第1回③ 「絵をつくる」ことと「見たまま描く」こと|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談
─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談
第1回③ 「絵をつくる」ことと「見たまま描く」こと
「イラストレーション」とは一体どんな「絵」なのか、
「イラスト」と「イラストレーション」、呼び方の違いに意味はあるのか。
有名なあの描き手はどんな人なのか、なぜあの絵を描いたのか、
このイラスト表現はどうやって生まれて来たのか……。
イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんがユル〜く、熱く語り合う、イラストレーションをめぐるよもやま話。
第1回のパート3は、小村雪岱が挿絵を「舞台」のように考えて、
写実ではなく「絵をつくる」演出をしていたというお話。
連載『イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談』の一覧を見る
■リアリズムよりも舞台のような様式美
南伸坊(以下、伸坊):鈴木春信の弟子だった司馬江漢*25が描いたものすごい遠近法効かせた絵があってさ、司馬江漢は(自分が描いたと)告白するまで春信作で通ってたと言ってたらしいんだけど、一目見たら春信じゃないってスグ分かる。だいたい、遠近法を取り入れようなんて考えが春信には全然ないと思うんですよ。雪岱も、近代人として遠近法的な表現はもちろん入っちゃってるけど、「効果」として使ってる。つまり写実をしたいんじゃなく、「舞台」なんだよね。
伊野孝行(以下、伊野):演出家ですよね。挿絵に限らず、絵を描く時は演出家の才能が必要で、能力の高い人はその時代の演出方法に飽き足らず、自分がしたい演出で見せ場を作ろうとする。そうすると、絵が一歩先にいくんですよね。
埼玉県立近代美術館に小村雪岱展を見に行った時に、当時の雑誌が見開きの状態でたくさん置いてあったんです。他の人のページは今見ると非常に古くさい。雪岱だけが今見てもかっこいい。
伸坊:リアリズムの挿絵っていうのは様式にならないじゃない? スケッチしたり、写真があってそれを描いたり、要するに実際に見えるように描く。雪岱のやり方は、春信がそうなんだけど、小物をちょっとあしらったりして「想像」させるんだよ。それを置けば分かる、行灯とか鳥居とか、他は描く必要ない。
「絵にしよう」としてますよね。情景の雰囲気を描きたいとか、情景をいわば説明的に描き出すってんじゃない。絵にしたいんだ。
伊野:ちょっと作為的すぎる、ということでもあるわけですか。
伸坊:自然なものというよりは、絵として成立させる。写実的じゃない、やっぱ「舞台」なんじゃない?
伊野:木村荘八の場合、「濹東綺譚」の挿絵なんか、スケッチをしたりして実際にあるものを描いていることも多いんですが、「絵を作ろう」という意図はなくてもそうなっている部分はあると思う。
伸坊:荘八の絵って挿絵としてはむしろ正統派で、つまり情景が普通の人に分かるように描かれている、その場の空気感を出すっていうか。
小村雪岱の新聞小説の挿絵って、もうほとんど春信みたいな絵柄になってるじゃん。完成してるんですよ。様式としても完成しているし、驚かせ方も心得てて、こんな風に描こうと思ってもなかなか描けない。だけど、コンテ画を最初に見た時、オッ、なんだこんな下手な時もあったんだって(笑)。
伊野:ちょっと安心しますよね。小村雪岱は割と早死に(54歳没)でしたね。80歳ぐらいまで生きていたらどんな絵を描いていただろうかと思います。あれだけカッチリ雪岱調ができてるから、変に崩しておかしくなっちゃったり……。
伸坊:変わったと思うね。いつもいつも何かアイデアのある構図とかって無理でしょ。木村荘八なんかの方が割と自分の気持ちで描けるんじゃない?
伊野:何で読んだか忘れましたけど、石井鶴三が新聞小説の挿絵が描けなくなって、バトンタッチして木村荘八が描いたことがあって、荘八は「鶴三は難しく考えすぎだ」みたいな事を言ってましたね。
僕はこの荘八の、肩の力の抜けたユルいところが好きなんです。仕事場で猫を膝に乗せたまま机に向かっている写真がありましてね、で、膝の上以外にも部屋中に猫がいるんだ。あれじゃ、しょっちゅう猫が邪魔しにくるでしょ(笑)。
伸坊:へぇー、いいねえ。今、坪内祐三*26さんが銀座のことを書いていて、そのイラストをやってるんですよ。昔のことが出てくるんだけど、昔の写真見て描いていると、同じ場所を木村荘八が描いてたりするんだよ。うわ、テキトーに描いてるなぁって(笑)。
伊野:僕も『風俗画報』を見てたら、「あぁ、これ木村荘八がそのままテキトーな感じに模写したな」っていう元の絵を見つけました(笑)。木村荘八はペンを筆のように使うんですよね、フォービズムというか、そんな感じが自由で好きなんですけど。僕は小村雪岱みたいには描けないんだけど、木村荘八みたいだったら描けるかなって。根がテキトーだから(笑)。
*25司馬江漢(1747-1818) 江戸時代の絵師。狩野派に学んだのち鈴木春信に師事、浮世絵師となり、二世鈴木春信、鈴木春重を名乗る。平賀源内を通じて多くの画家や知識人と知遇を得て西洋画や蘭学を学び、日本で初めて油彩画や銅版画を制作した。
*26 坪内祐三(1958-) 評論家、エッセイスト。雑誌『東京人』編集者を経てフリー。主な著書に「慶応三年生まれ七人の旋毛曲り─漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代」「酒中日記」など。
■「絵を作る」ためにスタイルが生まれてくる
伊野:鏑木清方*27って、伸坊さんどう思われますか?
伸坊:清方は挿絵画家と日本画家の両方にかかっている人じゃないですか。
伊野:だから挿絵の「本流」とされているのが、この清方からかなと。
伸坊:ああ、そうだね。
伊野:僕は『名作挿絵全集』をパラパラっと見た時に、小村雪岱にはすぐ目が行ったんですけど、鏑木清方は最初見過ごしていたんですよ。
伸坊:つまりね、清方は「美人画」なんですよ。美人を綺麗に描いている。黒田清輝*28みたいなもんですよ。黒田清輝の奥さん美人なんだよね。「湖畔」って絵があるでしょ、あれ奥さんモデルなんだけど、絵の美しさってのと、美人描いて美しいって、違うよねぇ。
伊野:それは写実にも言えますね。写実の精度が高いからいい絵、というわけではない。
伸坊:写実のものすごく上手い絵、感心するけど、ずーっとは感心してらんない(笑)。ベネツィアでなんか貴族の館みたいなところに昔の絵がいっぱい飾ってあるとこ入ってさ、スイカとかリンゴとか果物が描いてあるような絵。よく描いてるなーと思うけど、隣にも全く同じような絵があって、そういうのばっかりイヤってくらいに並んでる。イヤって思うんだ、ホントに(笑)。
伊野:向こうはそういう絵の歴史だったわけですよね。
伸坊:そうして歩いて行ったら、奥の方にボッシュ*29の絵があったんですよ。ホッとするよね。面白い絵っていいなあって。
伊野:ボッシュの絵って、裏庭の大きな石をどけたら、よくわかんない小さな虫がいっぱいうごめいてた、みたいな感じするんですよ(笑)。「オレたち生きてるぞ〜!」って。
話が飛びますけど、前に小林清親*30と井上安治*31の話をしたじゃないですか。井上安治が小林清親の弟子で、清親の絵を模写したみたいなのありますよね。
伸坊:いや、模写っていうより、同じところを描いたんじゃないかな。同じ景色の絵が何枚かある。
伊野:清親が描いているところを安治は省いたりしていて。僕は清親の方が全然好きだったのですが、それは絵が「作ってある」面白さなんですけど、伸坊さんは「清親は絵を作りすぎている」と言ってて。
伸坊:そう、オレも最初は清親の方が好きだったの。でも、安治の方が飽きが来ないっていうか、ソッ気ないんだけどイイんだよなぁ。
伊野:僕も言われてそう思ったんです。印象派で言ったらシスレーに近いかな。いいと思った景色をそのまま描いた感じ。それで言ったら、雪岱に同じことを感じる人がいるかもしれないですね、「絵を作りすぎる」って。
伸坊:ああ、そうね。でも、描く側にしたら「絵にしたい」って意識もあるよね。雪岱のはアイデアって感じかな、趣向を考える。「波の中に足だけが見える」みたいなシーンを作るじゃないですか、(雨のシーンで)唐傘いっぱい描くとか。あれは明らかにリアリズムじゃなくて、お芝居の見せ場みたいな感じでしょ。
伊野:きっと文章にはあの(傘が集まる)シーンが事細かに書いてあるわけではないんだと思いますね。
また話飛んじゃいますけど、(着物の)半襟っていうんですか、汚れが目立たないように黒いのかもしれないけど、日本髪を結った髪の黒いボリュームと、首を抜いたその襟の黒い形のバランスがすごく綺麗ですよね。昔の日本人は生活の中でそういう感覚を持っていたんですね。でも、実際の幕末の人の写真を見比べると、歌麿の浮世絵のような人っていませんよね。
伸坊:そうそう、写真だともっとずっとみすぼらしいよねぇ。浮世絵師はものすごく「作ってる」んですよ。例えば、こっち向いてる顔を描く時に髷どうなってんのか参考になんないよね(笑)。歌舞伎でも髷がものすごく大きくなってたり、強調されてくじゃない。浮世絵も同じようなことを平面上でやってるわけですよ。生身の人間では出来ない姿勢だけど、画面上は訴えるものがある、みたいなことじゃないかな。
伊野:昔の人も今の人も、眼の性能は一緒だし、同じように見えていたはずなのに、なぜ絵にすると違うのか。もともと東洋では絵は現実そのものを描くのではなく、絵は絵として出発しているからなのか。それもあるかもしれないけど、浮世絵の現実離れは、「日本髪と黒い半襟」みたいな美意識が背伸びして出来たのかな、なんて思いますけど。
編集部:様式化の流れですよね。浮世絵の顔って、鉤鼻で目が少し吊り上がっているじゃないですか。当時はそれが美人の記号として共通認識だった。
伸坊:歌麿の美人の描き方、目とか鼻とか、絵にする時にあのスタイルが出て来たんだと思う。実際は目の大きい人もいたと思うけど、でも絵にならないんだ当時の美感だと。あの細い目ってのも、表情として見れば涼しげだなぁとかオレたちにも分かるよね。要するに表情を描いてるんじゃないかな、顔立ちじゃなくて。
伊野:顔をそのまま描いても「絵にならない」というのが、今の僕らにすると面白いとこなんですよね、観察して写実して絵を作るっていう教育を受けてるから。浮世絵師たちは、そんなことは置いておいて、どうすれば感じの出る表情になるか、つまり、どうすれば「絵になるか」をよく考えて描いている。
円山応挙*32は、孔雀とか蝉とかものすごく写実に描いているけど、人間を描く時だけは伝統に従って、顔が横向いていても目は正面向きで横長なんです。あれ? 写実どうしたの? って(笑)。何でもかんでも写実的に描いちゃうと、自分たちの絵が危うくなると思ったのかな。そう考えると、「絵が絵になる」ためには何が必要なんだろう。時代によっても変わっていくんですね。
伸坊:描く人だけじゃなくて、見る人との関係ってのもあるかもしれない。
(■第2回は、11月15日公開予定です)
*27 鏑木清方(1878-1972) 浮世絵の流れを汲む画家で、父親が経営する新聞で早くから挿絵の仕事を始め、泉鏡花などの挿絵を手がけた。門下生である伊東深水とともに美人画の名手として知られ、江戸情緒を描いた風俗画も多数残した。
*28 黒田清輝(1866-1924) 法律の勉学のためフランスに留学するが、絵画に転向。印象派の外光表現を日本にもたらす。帰国後は美術団体白馬会を設立、東京美術学校で西洋美術の指導を行い、日本の近代美術の発展に貢献。貴族院議員も務めた。指導者としての側面が強く、知名度の割に作品数は多くない。
*29 ヒエロニムス・ボッシュ(1450頃-1516) ルネッサンス期の初期フランドル派の画家。寓話などを題材にシュールで幻想的な世界を描き、のちのブリューゲルなどの画家にも影響を与えた。
*30 小林清親(1847-1915) 明治時代の浮世絵師。木版画手法により、「光線画」と呼ばれる光と影を取り入れた風景画や、木版画による写実画を発表。日清戦争を題材にした戦争錦絵や、後年はポンチ絵(風刺画)を制作した。
*31 井上安治(1864-1889) 少年期に月岡芳年に師事したのち、小林清親に師事。清親とともに光線画に取り組み、清親の「東京名所図」(大判)を引き継ぐ形でハガキ版シリーズを制作するが、25歳の若さで夭折。
*32 円山応挙(1733-1795) 江戸後期に活躍した画家で円山派の祖。狩野派に学び、西洋画の透視図法や中国の写生画を取り入れた独自のスタイルを確立する。足のない幽霊を描いた最初の人とされている。
<プロフィール>
伊野孝行 Takayuki Ino
1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/
南伸坊 Shinbo Minami
1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。
連載『イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談』の一覧を見る