イラストレーションにおける欧米志向と土着性|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


 
─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第2回① イラストレーションにおける欧米志向と土着性

「イラストレーション」とは一体どんな「絵」なのか、
「イラスト」と「イラストレーション」、呼び方の違いに意味はあるのか。
有名なあの描き手はどんな人なのか、なぜあの絵を描いたのか、
この表現はどうやって生まれて来たのか……。

イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
ユル〜く、熱く語り合う、イラストレーションをめぐるよもやま話。

第2回は内容を4つのパートに分けてお届けします。
まずは日本のイラストレーションの欧米志向と土着性のある表現の話から。

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アイコン第2回_2

■欧米崇拝からズレていく力

南伸坊(以下、伸坊):とにかく、1960年代の日本語のイラストレーションて、アメリカ! アメリカ! だったよね。プッシュピンスタジオ*1とか、フォルクスワーゲンの雑誌広告とかさ、カッコイイーってオレも思ってた(笑)。だから、モチーフもたいがい「なるべく洋風」……。

湯村(輝彦)さん*2もまさにそうなんだけど、一方で歌舞伎の絵とか相撲の絵とか、日本的なものをいきなり描き出したりもした。他の人たちが欧米ばっかり見ている時に、そこからズレていく力があった。でもある種、「ガイジンが見た日本」みたいなテイストでもあったんだけど。

伊野孝行(以下、伊野):そうそう、河村要助*3さんもそうなんですが、アメリカからもちょっとズレてるんですよね。横文字が入ってんだけど。それだけじゃなくて、和物のキャラもズレてる。そこが気持ちにピタッと来るんですよね。80年代は、日本のものをそのまま描いたり見たりするのはまだ、テレるっていうか。でも、欧米の影響を通り越して、一気に世界最先端の絵を見た感じがしましたね。

欧米のイラストレーションに触れる前の話をすると、少年時代の宇野亞喜良さんは小村雪岱や木村荘八が好きだったし、和田誠さんは清水崑*4の似顔絵が好きで……。

伸坊:あー、そうだね、横尾(忠則)さんは「宮本武蔵」の模写だし……。

伊野:あと冒険物の……、ジャングルに豹が出て来たりする。

伸坊:山川惣治*5ね。梁川剛一*6ってのもあった。

伊野:あぁ山川惣治。梁川剛一さんてのは知らないなぁ。後で調べよう。横尾さんは後年、子供時代に見ていた絵を作品に引用してますね。その世代の人たちは欧米のものに飛びついても、実はバックボーンにそれまで日本にあったものも豊かに持っている。その後の世代になると、断絶しちゃってるからなかなか遡れない。

伸坊:断絶したのはオレたち世代かもしれないなあ。伊野君が習作をしてた時に時代物をやろうと思ったのは、平凡社の『名作挿絵全集』と出会ったのもあると思うけど、まだ時代は「欧米」だったわけだよね。

伊野:伸坊さんの世代は小さい頃に体で覚えてるって感じはあるんじゃないですかね。その後の世代からは断絶ですよね。僕が育った1980年代もまだ欧米が本場って言ってるような時代でした。テレビで小林克也の「ベストヒットUSA」とか見て、なんで向こうの音楽の動向ばっかり気にしなきゃならないんだろーなって思ってました。浪曲だって、河内音頭だってカッコいいじゃんって。部屋で大音量で広沢虎造(浪曲師)を聞いて、妹に気味悪がられてましたよ(笑)。

伸坊:いや、それが伊野君のセンスなんだ。趣味の強さだと思う。オレ、感心したもんなぁ。時代物をねらうって着眼が才能ですよ。
 

湯村輝彦「完本 情熱のペンギンごはん」(ちくま文庫/1993年) 糸井重里との共著でオリジナルは青林堂より1980年刊行

湯村輝彦「完本 情熱のペンギンごはん」(ちくま文庫/1993年)
糸井重里との共著でオリジナルは青林堂より1980年刊行


*1 プッシュピンスタジオ アメリカのグラフィックデザイナー集団。シーモワ・クワスト(1931-)、ミルトン・グレイサー(1929-)らが1954年にニューヨークで結成。それまでのイラストレーションやデザインの流れを変える大きな影響力を持った。ポール・ディヴィス(1938-)、ジェームス・マクミラン(1934-)なども在籍した。

*2 湯村輝彦(1942-) 元祖「ヘタうま」イラストレーター。多摩美術大学卒業後、デザイン会社を経て、1970年矢吹申彦、河村要助と100%スタジオ結成(72年解散)、75年にフラミンゴスタジオ開設。76年、同スタジオの初期メンバーだった糸井重里と『ガロ』にて「ペンギンごはん」を連載。80年代のヘタうまブームの火付け役となる。

*3 河村要助(1944-) 「ヘタうま」ムーブメントの牽引者の一人。『ニューミュージックマガジン』表紙や『BAD NEWS』のアートディレクション、レコード・CDのジャケットや広告などで活躍。

*4 清水崑(1912-74) 漫画家。岡本一平に師事し、横山隆一らとともに新漫画派集団を結成。挿絵画家として認められたのち、新聞に政治風刺漫画を掲載、似顔絵に才能を発揮した。漫画『かっぱ天国』が人気となり、黄桜のキャラクターにも起用された。

*5 山川惣治(1908-92) 第二次世界大戦前より紙芝居作家として活動を始め、戦後〜1950年代の少年雑誌で活躍。小松崎茂らとともに「絵物語」というジャンルを確立した。代表作は『少年王者』『少年ケニヤ』。

*6 梁川剛一(1902-86) 戦前から活躍した挿絵画家で、『少年倶楽部』で江戸川乱歩『少年探偵団』シリーズの挿絵を手がけ人気を博した。絵本や児童書でも多くの実績を残し、彫刻家としても活躍した。

 

■『話の特集』創刊は「事件」だった

伸坊:“「イラストレーション」は1964年に始まった”ってのが第1回目のタイトルだったけど、実は本当の意味で世間に広まっていくのに一番影響したのは、1966年に創刊された『話の特集』*7なんです。あれは「事件」だったね。ものすごくうれしかったんですよ。

編集長は矢崎泰久さんなんだけど、新しいエディトリアルということでは和田誠さんこそが「主役」なんだ。横尾忠則さんが表紙で、中のイラストレーションもみんな東京イラストレーターズクラブ系のイラストレーター。そして、その絵には必ず「イラストレーション=宇野亞喜良」みたいにクレジットが入る。これがイラストレーションていう言葉を一挙に広めた。

当時僕は高2だったんだけど、デザイン科だからさ、もう横尾さんも和田さんも「身内」のつもりなのよ。もう、ほんとにウレシかったねぇ。

亀倉雄策*8さんが、若い頃に『NIPPON』ていう名取洋之介*9が関わった対外宣伝誌見てすごく興奮したって書いているんだけど、そうそうワカルワカルってカンジ。

伊野:あー、そのフレッシュな体験は羨ましい。僕はそういう事件のような出会い方ってしてないんですよね。自分がイラストレーターになろうとした時は、だいたいのものが出揃っている状態だったから。そして、挿絵画家の絵なんて古いって言われてた。でも『名作挿絵全集』を見ると、「けっこう面白いのもあるなぁ」って思ったんです。

小村雪岱や木村荘八を見て、「全然古くないじゃん。よし、ここからパクろう!」とほくそ笑んでたんですが、まあこれは『名作挿絵全集』という名前の通り、厳選された挿絵が載っているのものなんですよね。実際には名作も駄作も玉石混交で、うんざりするぐらいそういうものがあるっていうのが時代の空気ですから。

伸坊:その発見の感じ、歌謡曲かな。十代の頃って歌謡曲が好きっていうと、ダサいみたいな時期だったんだけど、例えば『ガロ』*10が話題になった頃、佐々木マキさん*11とか林静一さん*12の絵にビートルズと横並びに歌謡曲を引用してたりしてて、それが新しかった。

そういえば、あの頃の『ガロ』っていうのも、イラストレーションに相当インパクトを与えていたと思うな。かなり先取りしてたよね。イラストレーションの流れからすると、『ガロ』はむしろ日本の昔のものに目を向けてた。
 

南伸坊画 『話の特集』創刊号&第3号

南伸坊画 『話の特集』創刊号&第3号

伊野:へ〜、そうなんですか。僕は高校生の頃、寺山修司*13にどハマりしてたんです。すでに寺山修司は亡くなっていて、忘れかけられていましたが、前衛なのに土着的で、ビジュアルが圧倒的にカッコよかった。横尾忠則さんの存在は蛭子能収さんの後に知ったんですよ。蛭子さんと同じ匂いがする人がいるって(笑)。今にして思えば、当時の僕はモダニズムってものを、よく知らないで毛嫌いしていたみたいですね。

ビートたけしが本で「UFOやテレパシーとかの話をしても、こっちが素直に受け止められる唯一の人が横尾さんだ。他の奴らが言うと胡散臭くてたまらない」って書いてたのを読んで、僕もすごく同意したんですよ。その本読んだ時、テレビによく江原啓之が出てたから(笑)。

それってなんでだろう? って考えてたんですけど、モダニズムの人って、基本UFOとか霊の話しないじゃないですか。横尾さんは、そこで一貫しているんですね。ビジュアルだけじゃなくて思考も。モダニズムでガチガチの人にはこんな話できないだろう? 僕はできるよ、って敢えてしてるところがあるのかな? って。
 

伊野孝行画 「キミはUFOを見たかい?」

伊野孝行画 「キミはUFOを見たかい?」

伸坊:あれは地なんじゃないスか? とにかく一番最初に横尾さんがモダンデザインから外れたわけですよね。和田さんは別にモダンデザインを否定していないし外れようともしてなくて、ちゃんと面白いものを作ってたんだけど、その和田さんが横尾さんの春日八郎のポスター*14を見て、そのすごさを一発で見抜いたんです。これが和田さんのすごさですね。

伊野:伸坊さんはその春日八郎のポスターを実際に見たんですか。

伸坊:実物は1965年の「ペルソナ展」*15で見たんじゃないかな。その前にデザイン誌の図版とかでたくさん見たけど、街に貼ってあるポスターとしては見てない。

伊野:ポスターが町中にいっぱい貼られているっていうのは、今は昔ですね。僕の時代にも、山口はるみさんのPARCOのポスターとか印象的なのはいっぱいあったけど、今は……。

伸坊:そうだねえ、時代は変わるんですよ。「ポスターを描く人になりたい!」ってのは高校生の和田誠さんだったわけだけど…。

(第2回②につづく)
 

山口はるみ PARCO/ポスター(1972年)「ggg BOOKS 日本のイラストレーション50年」(トランスアート/1996年)より転載

山口はるみ PARCO/ポスター(1972年)
「ggg BOOKS 日本のイラストレーション50年」(トランスアート/1996年)より転載



*7 『話の特集』 1966年創刊。反権威・反権力を掲げ、カウンターカルチャーのリード役を担った。創刊から休刊まで矢崎泰久が編集長を務め、時代の先端をいく文化人が多数登場したが、その人選にはアートディレクターの和田誠が大きな役割を果たしたとされる。挿絵を「イラストレーション」とクレジットし、イラストレーションの普及に貢献した。95年休刊。

*8 亀倉雄策(1915-97) 世界的に知られるグラフィックデザイナー。日本工房で『NIPPON』などのアートディレクションを手がけ、1960年に日本デザインセンター設立に参加後、62年亀倉デザイン研究室設立。78年日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)設立に参加、初代会長を務めた。ニューヨークADC、東京ADC殿堂入り。

*9 名取洋之介(1910-62) ドイツ留学中に現地大手出版社の契約カメラマンとなり、帰国後の1933年に日本工房を設立。34年対外宣伝雑誌『NIPPON』を創刊し、山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策らのグラフィックデザイナー、土門拳らの写真家を輩出した。日本にフォトジャーナリズムを持ち込んだ。

*10 『ガロ』 1964年から2002年まで刊行された漫画雑誌。版元・青林堂の創業者である長井勝一が創刊から92年まで編集長を務め、南伸坊、渡辺和博が一時編集長を務めた。初期の執筆陣は白土三平や水木しげる、つげ義春など貸本時代に活躍した漫画家が中心だったが、メジャー誌には載りにくいユニークな才能の発掘に務め、蛭子能収や花輪和一、根本敬ら「ガロ系」と呼ばれる個性派漫画家を多数輩出した。

*11 佐々木マキ(1946-) 1966年『ガロ』掲載『よくあるはなし』で漫画家デビュー。前衛的な漫画を発表したのち、主な活動の場を絵本に移す。ナンセンス絵本を得意とし、代表作に『やっぱりおおかみ』『ぶたのたね』などがある。村上春樹の装画等、イラストレーションも多数手がけている。

*12 林静一(1945-) 東映動画にアニメーターとして入社、アニメーターの活動の傍ら、『ガロ』で漫画作品の発表を行い、1970年発表した『赤色エレジー』が人気となる。74年ロッテのキャンディ「小梅ちゃん」のCMディレクションとキャラクターデザインを手がけ、抒情的な美少女像が人気となる。

*13 寺山修司(1935-83) 歌人、詩人、劇作家、演出家。高校時代より短歌や詩作を始める。早稲田大学中退後はラジオドラマの台本や映画シナリオなどを手がけ、1967年に前衛演劇団「天井桟敷」を結成。初期メンバーには横尾忠則がいた。「天井桟敷」のポスターは宇野亞喜良、合田佐和子、粟津潔らが手がけた。

*14 春日八郎のポスター 横尾忠則が1964年制作した「春日八郎艶歌を歌う」のポスター。1950〜70年代は音楽コンサートの告知で多数のポスターが制作された。

*15 ペルソナ展 1965年11月に開催されたグラフィックデザイン展。メンバーは粟津潔、福田繁雄、細谷巖、片山利弘、勝井三雄、木村恒久、永井一正、田中一光、宇野亞喜良、和田誠、横尾忠則の若手デザイナー11人で、これに海外の有名デザイナー4人と亀倉雄策が招待作家として参加。「無名性」のデザインではなく個性を強く打ち出した画期的な展示として後世に伝わる。

 


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino
伊野自画像81971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami
南自画像21947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。
 
 
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