挿絵画家からイラストレーターの時代、そして絵師の時代へ?|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


 
─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第2回③ 挿絵画家からイラストレーターの時代、そして絵師の時代へ?

「イラストレーション」とは一体どんな「絵」なのか、
「イラスト」と「イラストレーション」、呼び方の違いに意味はあるのか。
有名なあの描き手はどんな人なのか、なぜあの絵を描いたのか、
この表現はどうやって生まれて来たのか……。

イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
ユル〜く、熱く語り合う、イラストレーションをめぐるよもやま話。

イラストレーターの台頭で、それまでの挿絵画家の仕事は徐々に縮小していった。
そして今、「絵師」の進出が続いている。歴史は繰り返すのか?

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アイコン第2回_2

■時代に合わせようとすると古く見えてしまう!?

伊野孝行(以下、伊野):伸坊さんが若い頃、河野鷹思さん*22てどうでした? エラい人って感じですか?

南伸坊(以下、伸坊):高校生ってナマイキじゃない? っていうか自分がナマイキだったんだけどさ、河野鷹思の名前を知った頃は「古い」って思ってたね。河野さん本人は、時代に合わせてたんじゃないかな。高校生は昔の仕事とか、なんにも知らないからね。ずいぶん後になってびっくりした。若い頃の絵がすごくいい。

伊野:いいんですよね〜! びっくりするくらい。若い頃の仕事を集めた『青春図會』という作品集が『芸術新潮』で紹介されてるのを見て、めっちゃカワイイな〜と思って。限定1000部って書いてあったんで、急いで「デスカ」という河野さんの会社に買いに行きました。

『青春図會 河野鷹思初期作品集』(河野鷹思デザイン資料室/2000年) 伊野孝行さん所蔵

『青春図會 河野鷹思初期作品集』(河野鷹思デザイン資料室/2000年)
伊野孝行さん所蔵

南伸坊画 河野鷹思による『NIPPON』表紙

南伸坊画 河野鷹思による『NIPPON』表紙


 
伸坊:河野鷹思さんがバリバリやってた『青春図會』の頃って、未来派とかダダとかシュールとか新しいイメージがどんどん入って来てて、そういう海外の動きに敏感でしたよね。それが戦争で中断されたんだね。いわゆる挿絵の感じが古いって思ったのも、戦争による中断と関係あるかもしれない。なんか硬直してるんだ。刺激受けてないから。

伊野:伸坊さんが若い時にカッコよくないと思っていた挿絵って他にありますか。

伸坊:岩田專太郎*23の絵がキライで(笑)。でも岩田專太郎、けっこういい人なんだよ。日経新聞の「私の履歴書」の企画で、横尾忠則さんと岩田さん、土門拳さん*24と「のらくろ」の田河水泡さん*25の4人のエッセイがまとまった文庫本の解説を頼まれて、その時に初めて岩田さんの文章を読んだんだけど、ものすごい謙遜、謙譲の人なんだよね。

編集部:灘本唯人さんが若い頃、極端にデフォルメした美女を描いていた時期に1度会いに行ったという話ですよね。

伸坊:ああ、灘本さんから聞いた。岩田專太郎さんに呼ばれてうれしかったんだけど、出かけてったらすごく待たされた(笑)。岩田さんは売れっ子だったからそういうこともあったんだろうけど、それで開口一番「君はなんで美人の顔を三角とか四角に描くんだ?」って(笑)。なんでって言われてもね〜って(笑)。でも気にはなってたんだろうね。岩田專太郎もなんか色っぽいなとか思ったんじゃないかな。本当になんでこんな三角や四角なんだ? と思ったかもしれない。

灘本さんが岩田さんと会ったのはたぶん70年頃じゃないかと思う。『グラフィックデザイン』の表紙(73〜74年)とか、ああいうスタイルで描いていたから。

灘本唯人 オリジナル作品(シルクスクリーン/1980年頃)

灘本唯人 オリジナル作品(シルクスクリーン/1980年頃)

 
伊野:岩田專太郎には灘本さんのよさを理解して欲しくはないですね(笑)。小村雪岱も背景はびっちりとは描いていなくて、とはいっても何かが配置されている。灘本さんや村上豊さん*26はもうまったく背景がなかったりする。でもただ、抜いてるわけじゃなくて、ピカソ*27やマティス*28と同じで、区切られた四角い画面という前提の中で、デフォルメして「いい形」を探っている。

岩田専太郎はモダンアートをどう思ってたんでしょうね。「私の履歴書」は僕も読んだんですけど、半分は女性の話で、絵の話なんか野暮って感じで、ほとんどなかったなぁ(笑)。

伸坊:アハハ、岩田專太郎、大人なんじゃないの(笑)。でもオレ達、岩田專太郎の何がそんなにイヤなんだろう(笑)。岩田專太郎には石井鶴三みたいな書生っぽい感じはないよね。大人な職人て感じ。挿絵屋ですからアタシは、みたいな。お客さんに喜んでもらえればいいんですって、そういう。


*22 河野鷹思(1905-99) 日本のグラフィックデザインの草分け的存在。モダニズムを取り入れたデザインに定評がある。戦前は松竹宣伝部、名取洋之助主宰の日本工房で活動。1951年、亀倉雄策らと日本宣伝美術会(日宣美)設立に参加、59年デザイン事務所「デスカ」を設立。

*23 岩田專太郎(1901-1974) 昭和を代表する挿絵画家。菊池契月、伊東深水に師事、大正期より挿絵の仕事を始め、吉川英治「鳴門秘帖」(1924年)の挿絵で人気を得る。美人画の名手として知られ、雑誌表紙も多数手がける。日本出版美術家連盟の初代理事長を務めるなど、挿絵画家の権利・地位向上にも尽力した。

*24 土門拳(1909-90) 日本工房から報道写真の道へ進み、「絶対非演出の絶対スナップ」など独自のリアリズム論を掲げ、戦後日本の報道写真をリード。著名人のポートレートや庶民の暮しを捉えたスナップ写真を数多く発表。寺院や仏像など日本の伝統文化の記録をライフワークとした。

*25 田河水泡(1899-1989) 前衛美術運動に参加したのち漫画家の道へ進む。1931〜41年に自身の徴兵体験を反映した「のらくろ」を『少年倶楽部』に連載し、大人気を得る。戦後は文筆業を中心に活動、「のらくろ」の続編として除隊後の物語を描いた。

*26 村上豊(1936-) 1960年、司馬遼太郎「風の武士」(『週刊サンケイ』連載)挿絵でデビュー。繊細な表情や仕草を捉えた人物画やユーモラスな表情の動物や妖怪、詩情豊かな風景を描き、挿絵、装画、絵本など幅広く活動。『小説現代』の表紙を1962年の創刊以来担当する。

*27 パブロ・ピカソ(1881-1973) 20世紀最大の芸術家と言われるスペイン出身の画家、彫刻家。フランスに拠点を置いて活動。その作風は時代ごとに目まぐるしく変遷するが、最もよく知られるのは「キュビスムの時代」で、後年はシュルレアリスムに傾倒、晩年も版画や陶芸を中心に多くの作品を制作した。

*28 アンリ・マティス(1869-1954) フランスの画家。ゴッホやゴーギャンなど後期印象派の影響を受け、大胆な色彩と激しいタッチの作品を発表、フォーヴィスム(野獣派)の代表と言われたが、次第に穏やかな画風へと変化する。後年は切り絵による制作へと移行した。

 

■萌え系美少女絵と美人画のつながり

伊野:岩田專太郎っていろんなタッチがありますよね。

伸坊:何でも描けるよね、上手いし。でも、ぐっと来ないんだなぁ。

伊野:描かれている人物の表情にあまり魅力を覚えない……とかクソミソ言ってますが(笑)。岩田専太郎の流れって、劇画*29とかアニメ表現の方に受け継がれているかのなぁ、って思うんですけど。描いてる本人たちは岩田專太郎のことは知らないかもしれないけど、感性というか感覚が近い。

伸坊:ああ、そうだね。そうか、そこがつまんないんだ。

編集部:岩田專太郎の絵が劇画やアニメーションに繋がっているというのは新しい説かもしれません。美人画の名手としても知られていますが、萌え絵にも繋がる感じでしょうか。

伊野:そうなると、我々はそっちもdisってることになるわけですね(笑)。

今、萌え系イラストの人たちは「絵師」*30って名乗ったりしてますよね。あの絵は今の時代の気分を受けてそうなっているのだとしたら、60年代に挿絵をイラストレーションと言い換えた人たちのように、彼らもイラストレーターとは違う呼び名で自分たちのことを表現したくて名乗ってるんでしょうかね?

編集部:差別化したくてそう名乗る人もいるだろうし、二次創作だとオリジナル(作家性)を持たない職人という意味で名乗る人もいるようで、いろいろみたいです。

伸坊:オレ、オタクっていうのは支持したいって立場なんですよ。「描きたいものを描いてる」わけだよねオタクは。採算度外視っていうのもオタクの特長でしょ、すごくいいことじゃない。でも、絵の好みの幅がめちゃくちゃ狭い。もっといろんな絵があるんなら面白いんだけど。

伊野:そうなんですよねー。ガラパゴス的な絵であることは確かですよね。しかし、そのヴィジュアルは島を抜け出して、どんどん広がって、公共機関のポスターにまでなってるんですから。

伸坊:一般受け、ほんとにしてんのかな。

伊野:『イラストレーション』も『イラストノート』も最近はそっちの絵の特集をするから、もう主流はそっちかと思っちゃうんですけどね。実際、雑誌もそこそこ売れるんじゃないでしょうか。思うに、あっちのファンの人って財布の紐が緩い気がするんだよなぁ(笑)。でも、確かにどこまで一般受けしてんでしょうね。

人物画の面白さって、やっぱり顔にあると思うんですけど、美少女の顔の描き方が美人画の系譜に連なるように、頑なにそこだけは外さない意固地さがありますよね。そのセンスは他に行きようがないというか。

伸坊:これが美人だっていう、そこは疑ってない。

伊野:岩田專太郎にしろ、東郷青児*31にしろ、アニメの美少女にしろ、美人画の顔って描くのわりと簡単なんですよ。露骨な美人だから。歌麿も美人画なんだけど、ちょっと違うんです。模写してみると分かるんですけど、ちょっと目や鼻の位置がずれるだけで、全然表情が変わっちゃって、美人にならない。

編集部:美人画は一般大衆受けするジャンルですけど、絵を描く立場からすると、露骨な美人はイマイチ心に響かないのかもしれませんね。

(第2回④につづく)


*29 劇画 漫画表現のひとつで、それまでの子供向けの漫画とは一線を画し、青年向けにシリアスなストーリーを写実寄りのタッチで描いたものを指す。「劇画」の名称は1950年代に辰巳ヨシヒロが考案したとされる。

*30 絵師 本来の意味は浮世絵の元絵(原画)を描く職人(浮世絵師)のこと。近年はアニメやゲームなどオタクジャンルの絵を描く人や、「コミックタッチ」「アニメ絵」でライトノベルなどの装画・挿絵を描く人を指す言葉として用いられる。イラストレーションを本業とせず、趣味や副業で描いている人がそう名乗るケースもあり、定義はやや曖昧。

*31 東郷青児(1897-1978) デビュー当初は前衛的な画風で注目を集めるが、7年間のパリ留学を経て、徐々に泰西名画的モチーフを取り入れ始め、モダンな女性表現で評価を得る。戦後は二科会の会長を務め、独特のデフォルメによる甘美な美人画は、書籍や雑誌の表紙や包装紙などにも使われ人気を博した。

 


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino
伊野自画像81971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami
南自画像21947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。
 
 
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