第4回③ 写実表現=よく見て描く、とは限らない!?|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談
─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談
第4回③ 写実表現=よく見て描く、とは限らない!?
「イラストレーション」とは一体どんな「絵」なのか。
有名なあの描き手はどんな人なのか、なぜあの絵を描いたのか、
この表現はどうやって生まれて来たのか……。
イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションの現在過去未来と、そこに隣接するアートやデザイン、
コミックなどについてユル〜く、熱く語り合う、連続対談。
写実表現の中にも面白い絵とつまらない絵がある。
なぜそう感じるのか、という考察(あくまで個人の感想です)。
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■美術教育における石膏デッサンの呪縛
伊野孝行(以下、伊野):ところで、伸坊さんが3浪もして石膏デッサンを一所懸命描いていたなんて、今じゃ想像出来ないんですけど(笑)。そこから「カンタンな絵」になるまでに何があったんでしょうか。
南伸坊(以下、伸坊):ハハハ、最初からカンタンなんだよ、オレは(笑)。隅から隅までって根気ないし。
伊野:じゃあ、受験だけ無理してたんですね。僕は美大を受験してないから、石膏デッサンなんてほとんどやってないんですよ。石膏デッサンが絵の基本だっていうのは、高校生の頃からうすうすなんか怪しいんじゃないかって思ってました。それを裏付ける説明がその時の自分に出来たわけじゃないけど、どっかこの考えには矛盾があるなって。だって、いろんな絵が周りにいっぱいあって、それらと石膏デッサンは無関係に思えたから。
僕は最初、線に惹かれてましたね。最初に蛭子能収さんの絵が好きになったのも、蛭子さんの線の要素が大きいと思う。湯村輝彦さんも伸坊さんも、安西水丸さんも峰岸達さんも線がかっこいい。今でもそうだけど、とてもシンプルな画材だけで描いてみたら、自分はどれくらい描けるのかっていうのが気になります。ライバルに対してもそこを見てるかもしれない。
伸坊:形、と言ってもいいの? そうね、線の好みってのもありますね。
伊野:たぶんね、線を引くのが気持ちよかったんだと思います、子どもの頃に。線を引くだけで人によってこんなにも違うのか、こんな感じが出るのかとか。リアルに描いて質感出すってことよりも、線でいろんな違いが出るんだってことが単純に面白かったんです。
伸坊:それを自分で考えたのは大きかったよね。美術教育ではそういうことを考えるヒマがないんですよ。いきなり「これを描け」でしょ、それで「裏側が描けてない」とか言うし(笑)。立体感を出すにはキワのところをよく見るんだよとか、一言言ってやればいいのに、「自分で気付け」ってのが美術教育なんですよ。概念的になっちゃうんだよ。例えば、面取りの石膏像があって、「こことここの光が違うだろ」ってなると、今度は頭で考えちゃうわけですよ。それが頭に残ってるから、むしろよく見なくなる。よく見れば、さっき伊野君が言った光の変わり目が濃いとか気付くんだろうけど。
伊野:「自分で気付け」っていうのは大事なことかもしれないけど、石膏デッサンと写生というのをごっちゃにしてるような気がするんですよね。
伸坊:そうだね。写生ってのは、虫や草花があってそっくりに描きたいって思うかもしれないけど、石膏の円柱とか円錐とかを持って来られて「これを描け」って言われても、そういう気持ちになかなかなんないよね。
伊野:僕は中学の理科の時間に花を描いたんですけど、ただきれいに描いちゃって、科学的な観察がなかったからいい点数をもらえなかった。きれいだなーって気持ちだけだったから。
絵の場合の「写生」も自然をよく観察する、観察によって何か発見したものを描く、ということだと思うんですけど、その発見には自分の眼と自分の気持ちが欠かせない。自分が見た世界ですから。でも、「石膏デッサン」には自分の眼は必要ないの。気持ちも必要ない。自分の眼をカメラのレンズにしろってことなんだもん。
伸坊:うん、まあ石膏ってさ、色着いてないから明暗の把握はしやすいってのはあるんだろうけど、美術教育の制度みたいになっちゃってるからね。何でもそうだけど、制度になっちゃうとズレてっちゃうんだよ。昔の日本の絵の教え方って、お手本があって「そっくりに描け」だから。そっくりに描くためにはとりあえず観察しなきゃいけない、ということだったと思うのね。それやるうちに、こういう線を引くにはどうしたらいいか、自分の感覚で会得できるようになってる。お手本ってのはある意味合理的だよね。
伊野:そうですね。先生のお手本や、自然をお手本にして、そっから自分で見つけたものを描けということだったと思うんですよ。そもそもは。
■「これでどうだ」という絵はつまらない
伸坊:浮世絵師、河鍋暁斎にしても葛飾北斎にしても、もっとうまく描きたいと思うと自分で写生する。伊藤若冲*28が面白いんだけど、若冲は鶏を飼って観察して描いたっていうじゃない。で、鶏はものすごく細かく描いてるんだけど、蛙とかさ、虫の絵は独特な形をしてて、いわゆる正確な形とは違うんですよ。自分のイラストの参考になんない(笑)。
伊野:若冲は月代頭の日本人なんて描きたくないって言ってたらしいですよ。日本の風景もイマイチそそらないって。中国の絵には向こうのオウムや孔雀みたいな派手な鳥が描かれてて、若冲はそんなのを描きたかったらしい。でも日本では、オウムや孔雀はしょっちゅう描けないから、鶏を飼って描いてたらしいですね、代用品として(笑)。だから若冲の鶏は、鶏以上の何かなんだ。バッタや蛙には、そこまで熱い視線を注いでなかったのかもしれませんね。
伸坊:アハハ、面白いねぇ。植物はものすごく細かく描いてるよね。
伊野:あれもきっと、若冲が描きたい感じの植物なんでしょうね。
若冲の絵は好きだけど、田中一村*29の絵はなんか好きじゃないんですよねー。どっちも動植物を熱心に描いて、わりと似てるとこあるんだけど。昔、図版を最初に見た時はいいと思ったんですけど、何年か前に展覧会で見たら……。なんでしょうね。
伸坊:ああ、分かる分かる。その「なんか違う」感……。オレも全然感心しない。小林清親や井上安治と似たような風景描く、あの、なんつったけ。ア、川瀬巴水*30。なんか違うんだよなぁ。川瀬巴水、人気があるんだよね。きれいだし、うまい。デッサンとか小林清親よりも正確だよね、きっと。だけど、なんかつまんないんだ。本人はこういうのが好きと思って描いてるんだろうけど、あの「これでどうだ」感が(笑)。
伊野:これでどうだ(笑)、そうですね。実際、川瀬巴水の絵はお土産の絵葉書的なものだったんでしょうけど、構図の切り取り方とかが、お土産的なつまらなさなのかな。
伸坊:小林清親も井上安治も光線画、まさに絵葉書にして売ってたんだけどね。
伊野:そうですよね、光線画は「東京みやげ」だったわけですもんね。じゃあ、なんだろう。川瀬巴水の方が写真の絵葉書の感じに近すぎるというか?
伸坊:ああ、写真も関係してるかな。なんて言うかさ、手際がよすぎる、小節きかせすぎの歌謡曲みたいなさあ。
伊野:小林清親と井上安治の絵には、どっかに変なところがあると思うんですよ。若冲はもっとあからさまに変。同じ「どうだ」でも、変な奴がやってる「どうだ」と優等生の「どうだ」の違いかな。
伸坊:手探り感がないっていうかな。小林清親や井上安治の時は、新しいことを始めたっていう喜びがあるんだよ。川瀬巴水も田中一村も、なんかやっぱり安心してるよね。自分の方法に対して安心しきってる感。
伊野:ゴーギャンがタヒチに行ったのは、モチーフを見つけるためだったんだろうけど、タヒチに行く前もいい絵はいっぱい描いてる。タヒチに行ってさらに、という感じがするんですよね。一村はちょっと……奄美以外では何描くんだろうなーっていうか、随分モチーフに助けられてる気がしちゃうんです。
伸坊:でもまず、絵がつまんないと思ってるのが出発点だからね。なんでつまんないと思うのか。好みと言っちゃえばそれまでだけど。まぁ、オレと伊野君、微妙に好みは違うんだけど、ある方向性では似てる。似てるけど違う、でもやっぱり似てる。話してて面白いのはそこだと思うんだよね。
伊野:この連載を読んでる人は、この二人は相当偏ってると思ってますよ、いつになったらリアルな絵を褒めるんだよ? って(笑)。
*28 伊藤若冲(1716-1800) 18世紀、江戸中期の京都で活動した画家。花鳥画を得意としたが、写実描法の中に想像を持ち込み幻想的な雰囲気を醸し出す画風は、19世紀末の印象派やその後のシュルレアリスムにも通じるとされる。それまで日本では用いられていなかった画材や技法を試したことでも知られる。明治以降は忘れられた存在になっていたが、1970年以降に再評価され人気が高まっている。
*29 田中一村(1908-77) 栃木県出身で、東京美術学校(現東京藝術大学)に入学するが、2カ月で中退。画家として活動するが、中央画壇では認められず50歳の時に奄美大島に移住。染色工として働きながら奄美の亜熱帯の動植物や風景を描くが、無名のまま69歳で死去。没後に評価され「日本のゴーギャン」とも呼ばれる。
*30 川瀬巴水(1883-1957) 鏑木清方に弟子入りを断られ、洋画へ進んだのちに再度門を叩き、入門を許された。衰退した浮世絵の再興を目指し、吉田博とともに新しい浮世絵である「新版画」を確立する。日本的な風景を叙情的に表現した版画作品は、国内より海外で評価されたが、近年は国内での人気が高まっている。
■写実画における人物の「顔」のモンダイ
伊野:今年の春に、ミュシャ*31の「スラヴ叙事詩」の巨大な絵を新国立美術館で観たんですけど、すごかった。ここぞとばかりに褒めよう!(笑)
それまでミュシャの絵はポスターしか知らなかったし、アール・ヌーヴォー時代の絵として見てた。ところが「スラヴ叙事詩」はめちゃめちゃ現代的でしたね。写真を使ってるのはもちろんだけど、それをコラージュ的に配置して、物語ってる。構成力も抜群。映画のポスターのイラストレーションにすごく近い。近いっていうか、超えてると思った。1時間40分の映画じゃないですからね。スラヴ民族の長大な歴史画だから。しかも、ミュシャはゴーギャンと同時代人なんだって知ると、いったいこの現代性はなんだ! って。
生賴範義さんとか、そういうイラストレーションはアメリカに先行するものがあるのかもしれないけど、もっと前にこんなことやってた人いたんだなーって。「絵の進歩」について思わず考えちゃいましたよ。
ただ、僕が個人的にちょっと不満だったのは……ってすぐにボヤキに移りますが(笑)、登場人物の顔がね。「スラヴ叙事詩」はスラヴ民族のこと、王侯貴族だけでなく一般市民や農民なども描いているわけだけど、農民は一応日に焼けてぐちゃっとした顔してるんですよ。でもそれなりにかっこいいの。僕が不満なのは、左卜全*32とか泉ピン子とか温水洋一みたいな顔は出て来ないってところですね。もし自分がスラヴ民族だったら、自分はこの絵の中にはいないなって。
伸坊:アハハ、温水洋一(笑)。
伊野:ミュシャはいろんなタイプの顔を描ける人じゃないんですね。もともとはポスターを作る人だったから、美男美女は得意。変な顔には興味がないだけかもしれないけど。
伸坊:ダ・ヴィンチなんかは変な顔好きだよね。なんだろうね、岩田專太郎が全員八頭身のいい男といい女しか描かないって。それ楽しいのかな、って思うけど。
編集部:以前、岩田專太郎の流れを汲む挿絵画家の方にお話を伺ったら、昔は人気が出るためには「いかに美男美女を描くか」が課題だったと言っていました。
伸坊:あー、じゃあ意識的だったんだ。美人てさ、厳密な「平均顔」なんだよね。厳密に平均化していくと、整って来るの。普通の顔ってのは、てんでんにその平均からズレてるんだよ。生物学的には、男は「平均顔」を好むらしい。女は平均からズレる顔に期待するらしいね。オレたち、女っぽいのかもな(笑)。
伊野:昔の日本映画見てると、役者志望の人はみんな自分が男前だと思って入って来た人たちだから、脇役でも悪役でも基本男前ですよね。だから重宝されるんだ、殿山泰司*33とか。
伸坊:ホントは映画って見分けがつく方がいいからさ、例えば黒澤明の映画とか、大概「平均顔」からズレている顔を選んで来るじゃない。そういう顔がだんだん少なくなって来て、役者と違うジャンル、歌手だったりスポーツ選手から引っ張って来て使うようになって来た。
イラストレーションならどんな顔にだって描けるのに、なんだか知らないけどみ〜んな同じ顔にする。大昔の絵もそうだけどね。どこの誰だか分からない人物の顔がみんな同じ顔になってる。
*31 アルフォンス・ミュシャ(1860-1939) チェコ出身の画家。母国語では「ムハ」。ミュンヘン美術学校卒業後、パリに出て商業ポスターや挿絵で活躍する。装飾的な背景に平面的に描かれた女性像を組み合わせたポスターで人気を博し、アール・ヌーヴォー様式を代表する画家と言われる。1910年にチェコに戻り、ポスターと並行して20枚からなる連作「スラヴ叙事詩」を制作。
*32 左卜全(1894-1971) 俳優。当初はオペラ歌手として活動。劇団を渡り歩き、喜劇役者として出演していたところ松竹にスカウトされる。映画デビューは1949年と遅いが、とぼけた老人役で活躍し、特に黒澤明監督に重用された。1970年には「老人と子供のポルカ」を歌い、ヒットした。
*33 殿山泰司(1915-89) 俳優。ハゲ頭にギョロ目という独特な風貌と軽妙な演技で、名脇役として映画やドラマで活躍。出演した映画は300本に達する。ジャズ好き、読書家で、エッセイストとしても活躍した。
■リアルイラストレーションに様式はあるのか
編集部:写実表現は「様式」が成り立ちにくいという話がありましたが、写実表現でも絵画に近づけることで一種の様式みたいなのが成立していたのかなと思うのですが。
伊野:そうですね、写実的な絵が幅を利かせはじめたルネッサンス以降も、バロック*34とか、ロココ*35、とか新古典主義*36とか、西洋絵画の軸みたいなものを中心に、振り子のように振れながらナントカ様式みたいなのはずっとあったわけだから、リアルでも様式自体は成立してたとは思うんですけど。
今リアルなイラストレーションを見返していて、様式という感じで捉えられる部分があるとすれば、さっきのミュシャとかの方法。あれは一つの様式として受け継がれてると思うんです。写真をコラージュ的に組み合わせて画面を構成していくとか。
編集部:いろんな資料をコラージュ的に組み合わせるのは多くの人がやっていますけど、あからさまに見える形でやっていなくて、いかにそこをごまかすか、いかに資料を使っていることを感じさせないかに腐心しているような気がしますが。
伊野:ミュシャのはあからさまなコラージュになってるから、それが様式なのかなと思いましたね。うまくなじませて自然に見せると、やっぱり様式って感じは薄れるのかな。
編集部:1970〜80年代のリアル表現は、どちらかといえば見たままというよりは実際には見られない、写真には撮れないような世界を描いていましたよね。
伊野:そうですね、CG全盛の今と違って、イラストレーターのお力にすがる他なかった。戦場の臨場感とか、やっぱりリアルな描写力がものを言いますよ。ヘタうまの戦場画家とか難しいでしょ(笑)。
そういえば、美学校って、赤瀬川さん以外の教室ではけっこうリアリズムをやってたんですか? ちょっとそういうイメージありますね。
伸坊:ペン画のクラスとか、博物画とか、細密画工房はボッシュの絵を教材にしてた。ボッシュの頃の絵って、セピアで全部びっちり描いちゃった後に色を着けてたみたいね。ヘえ〜って思った。
伊野:赤瀬川さん自身も、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵を模写して水滴を描き加えた……。
伸坊:ああ、「岩窟の聖母」のね。「水滴のマリア」ってタイトルですね。
伊野:伸坊さんはそういうのを自分でやろうとはまったく思わない?
伸坊:根気ないから(笑)。アイデアでなんか思いついても「ムリ」ってすぐあきらめるね。
伊野:そう、思いついてもめんどくさい。めんどくさいから他の方法探そうかなって思っちゃう。やっちゃうか、やめてしまうかの差はありますよね。
(第5回は2018年2月初旬公開予定です)
*34 バロック 「バロック」とはいびつな円や穴を意味する言葉で、16世紀末〜17世紀初頭、ルネサンス後にイタリアで起こりヨーロッパに波及した芸術文化様式。絵画や彫刻、建築、文学、音楽など広範囲に及ぶ。絵画においては、誇張された動きやポーズ、装飾的要素の多用、強い明暗の対比などによる劇的効果や壮大さが特徴。
*35 ロココ バロックに続き、18世紀にフランスを中心に起こった美術様式。貝殻や植物のような複雑な曲線を用いた装飾を「ロカイユ装飾」と呼び、これが語源になっている。バロックの延長線上とする考え方もあるが、豪華な印象のバロックに対し、ロココは優美で繊細なイメージとされる。
*36 新古典主義 18世紀中期〜19世紀初頭にヨーロッパで起こった美術様式で、ギリシャ・ローマの古典様式を規範とし、写実性が重視されている。それまでのバロックやロココ様式が甘美的に過ぎて退廃的であるとの反発が背景にあるとされている。
<プロフィール>
伊野孝行 Takayuki Ino
1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/
南伸坊 Shinbo Minami
1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。
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