第5回① 見る人が「リアル」だと感じるのは形よりも質感?|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


 
─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第5回① 見る人が「リアル」だと感じるのは形よりも質感?


「イラストレーション」とは一体どんな「絵」なのか。
有名なあの描き手はどんな人なのか、なぜあの絵を描いたのか、
この表現はどうやって生まれて来たのか……。

イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションの現在過去未来と、そこに隣接するアートやデザイン、
コミックなどについてユル〜く、熱く語り合う、連続対談。

明治以前の日本における写実表現の話からデッサン論に進んで、
どんどん話が脱線していく様子をお楽しみください。


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第5回アイコン02

■江戸時代から洋画は入って来ていた

伊野孝行(以下、伊野):江戸時代にも、円山応挙はすでに写実的な絵を描いてたわけですけど、光と影の表現っていう感じではないですよね。もう少し時代が下った渡辺崋山の絵では、陰影はすごく自然に馴染んでる。

南伸坊(以下、伸坊):応挙は明暗法にあんまり積極的じゃないよね。知識としては知ってたはずだけど。もっとも、日本人がまったく影を描かなかったわけじゃないんだよね。影を意識しなくても、色の濃淡を使って物の感じを出してた。

伊野:英一蝶*1が川面に映る影を描いたのが日本人初の「絵の中の影」らしいですが、歌川広重*2の歌舞伎座の前の通りを描いた夜景の絵なんかは月明かりの下に影がきれいに落ちてる。でも広い目で見ると、昔の日本の絵には影ってそんなに描かれてない。必ずあるものなのに、別に絵にしようと思わなかったんでしょうかね。不思議ですよね。

伸坊:思わなかったんでしょうね。なんだろ、汚れを描かなかった、みたいな感じ。本質的なものじゃないと思ってたんじゃないかな。

5-1-1応挙_元旦図

円山応挙「元旦図」(18世紀/個人蔵) 『別冊太陽 円山応挙』(平凡社/2013年)より
「応挙もこんなの描いてはいるんだけど」(伸坊)


 
5-1-2名所江戸百景・猿若町の夜

歌川広重「名所江戸百景・猿若町の夜」(1856年) 国立国会図書館「錦絵で楽しむ江戸の名所」より転載


 
伊野:影が絵の主題になるってなったの、いつくらいからでしょう。NHKでやってた葛飾北斎の娘のお栄*3のドラマ見てたら、光と影の絵描いてたけど。

伸坊:お栄の絵があるよね、吉原のやつ。あれは夜の光と影を描きたかったんだね。

伊野:うまいですよねー。浮世絵をそのまんま時代小説の装画に使っちゃうとつまんないっていうか「現在」って感じがしないんだけど、お栄のあの絵は今のイラストレーターが描いたみたいな絵ですよ。川原慶賀*4にも夜の妓楼を描いた絵があるんですよね。お栄が参考にしたのかな? 結構似てますよ。

5-1-3葛飾応為_廓中格子先図

葛飾応為「廓中格子先図」(1844〜54年頃/太田記念美術館蔵)


 

5-1-4川原慶賀_青楼

川原慶賀「青楼」
「川原慶賀展 鎖国の窓を開く出島の絵師」(1980年/西武美術館・日本経済新聞社)より転載


 
伸坊:川原慶賀はシーボルトのお抱え絵師で、ああいう仕上がりを発注されたと思う。見本もあったろうし。で、慶賀が仲立ちになって北斎にも絵を注文してるんですよ。それで、お栄も描くんだけど。最近オランダで見つかった北斎の絵ってのは、その慶賀経由でシーボルトが頼んだものらしい。

伊野:へえー、そうなんですか。川原慶賀って伸坊さんに教えてもらうまで、全然知らなかったんですけど、すっごくいいですよね。素朴で丁寧な絵に外国人の観察眼が入ってて、前に話したビゴーの絵にも共通するものがありますね。「ニッポン発見」みたいな。シーボルトプロデュース、うまくいってます(笑)。

伸坊:そうだね、実直な感じがいいんだよね。博物画扱いなんで図版が小さいのが多くて、ちゃんとした画集があったら欲しい。平賀源内*5が秋田に行って、「お供えの餅を上から見たとこ描けるか」って言ったって話*6があるじゃない。まァ作り話かもしれないけど、だいたいあんなもん上から描かなくたっていいよね。明暗法を説明するんなら、ツヤとかテクスチャーとかを描き分けたいって話にするなら分かるけど。

伊野:陰影をつける西洋人だって、わざわざ上から描こうとは思わない。

伸坊:平賀源内は日本で最初に油絵を描いたことになってるけど、あの絵は全然ダメだよね。

伊野:全然ダメです(笑)。秋田蘭画*7はけっこういい感じですよね。

伸坊:そうそう、真面目に描いてるもんね。高橋由一と秋田蘭画、どのくらいタイムラグあるのかな。

伊野:いや、パッと出てこない(笑)。すぐ忘れちゃう。司馬江漢(鈴木春重)と同時代ですかね?

伸坊:オレも分かんないけど、司馬江漢よりは後かな。

編集部:ネットで調べると、秋田蘭画は安永年間(1772〜81年)の成立で、司馬江漢が師匠・鈴木春信の偽絵を描いていた時期の少し後、平賀源内を通じて洋画技法を学んだ時期とほぼ重なります。秋田蘭画を確立した小田野直武*8が江漢に技法を教えた説もあります。由一が石版画を見て洋画に目覚めたのが嘉永年間(1848〜55年)なので、ざっくり70〜80年の期間があります。

伸坊:あのへんは面白いんだよね。国芳も面白いし、北斎も面白い。みんな洋風の描き方に興味持ってるんだ。でも、北斎が実際に洋風に描いた絵ってあんまし面白くないのな。

伊野:なんででしょうね。浮世絵の時はパースを狂わせたり、大げさに描いて面白がらせたりしてるのに、洋風の描き方にする時は抑えちゃってますよね。川原慶賀はうまく合ってる感じですよね、洋風の描き方が。

伸坊:そうそう、性格が律儀だから。

伊野:洋画の技法や道具、西洋の考え方って、明治に入って急にガバッと取り入れられたわけではなくて、江戸時代中期ぐらいから入ってきてるんですよね。

伸坊:朝鮮経由で入って来た、なんてったっけ、ナントカ派。

伊野:南蘋(ナンピン)派。ナントカ派でだいたい正解ですよ(笑)。沈南蘋(シン・ナンピン)*9って中国の人ですよね。

伸坊:あはは、だいたい正解(笑)。若冲なんかも南蘋の影響を受けてるよね。

伊野:鸚鵡とか孔雀描きたいって思ったのは、南蘋派の絵を見たからでしょうね。それで鶏を描くことになるっていう。

伸坊:そもそも、沈南蘋が西洋の影響を受けてるわけだから。南蘋経由で円山応挙とか京都あたりの人たちは、西洋のものを見てるんだよね。

鈴木春信も平賀源内と知り合いだし、そういう情報を持ってたらしいけど、自分の絵に取り入れたのは中国系のものだけなんだ。これは趣味の問題で、例の司馬江漢が描いた春信の偽作っていうのは、そのへんが分かってないってことだよね。絵としてうまくいってない。

伊野:妙ちくりんな面白さはありますけどね。司馬江漢版鈴木春信は。江漢だって師匠のことが好きで弟子入りしたんだろうけど、全然違う方向に行っちゃうのが面白い。だいいち、司馬江漢が鈴木春信の弟子だって聞いてその時点でびっくりしましたもん。全然絵がつながんなくて。

南伸坊画・司馬江漢

南伸坊画・司馬江漢

司馬江漢(鈴木春重)「庭で夕涼みする男女」(1771〜72年/ボストン美術館所蔵) 「春信画」とあり、司馬江漢による偽作とされる。線遠近法が用いられている。

司馬江漢(鈴木春重)「庭で夕涼みする男女」(1771〜72年/ボストン美術館所蔵)
「春信画」とあり、司馬江漢による偽作とされる。線遠近法が用いられている。


 

*1 英一蝶(1652-1724) 狩野派に学ぶが、破門され町絵師となる。松尾芭蕉らと交友を持ち、自らも俳人としても活躍。浮世絵の影響を受けつつ俳諧的要素を加えた風俗画などを多数描いた。47歳の時に三宅島に12年間島流しとなるが、この間も多くの作品を制作した。障子や水面に映る影を表現したことでも知られる。

*2 歌川広重(1797-1858) 江戸末期に活躍した浮世絵師。歌川豊広に入門、初期は役者絵や美人画を描き、のちに風景画や花鳥画を描いて人気となり、中でも「東海道五拾三次」シリーズが空前のヒットとなる。その大胆な構図や色彩は、印象派やアール・ヌーヴォーの画家たちにも影響を与えた。

*3 お栄(葛飾応為 1791?-1857?) 葛飾北斎の三女。阿栄、栄女とも呼ばれる。北斎の助手を務め、自らも浮世絵師として活動。緻密な描写と、光と陰の表現が特徴。現存する作品は10点と少ないが、北斎との共作や、北斎作となっているが実は応為の筆によるものがあるとされる。

*4 川原慶賀(1786-1860?) 長崎の出島出入絵師として風俗画や肖像画を描き、オランダ人医師シーボルトの依頼で精細な動植物の写生画を描いた。シーボルトの江戸参府にも同行し、風景画や風俗画を制作。「シーボルト事件」でシーボルトが追放されたのちも、後任者の依頼で動植物画の制作を続けた。

*5 平賀源内(1728-80) 江戸時代の本草学者。博物学、地質学、物理化学などの分野で活躍。多芸多才な人物で日本のダ・ヴィンチと呼ばれ、「エレキテル」の発明者で、戯作家、「土用の丑の日」を宣伝したコピーライターでもある。長崎で医学、蘭学、蘭画を学び、初めて油絵具を使ったとされる。

*6 お供え餅を上から描く 鉱山開発の指導で久保田(秋田)藩を訪れた平賀源内が、小田野直武に洋画技法を伝授した時のエピソード。輪郭線のみで描く日本の画法では餅が二つ重なった立体感が表現できず、陰影法を用いる洋画ではそれが可能という話。

*7 秋田蘭画 日本の画材を用いながら、洋画の構図や陰影法を取り入れた和洋折衷の画風。小田野直武が確立した。極端な遠近法が特徴的で、写実的な描写は南蘋派の影響といわれる。

*8 小田野直武(1750-80) 秋田藩藩士で絵師としても活躍した。狩野派を学び、早くから画才を開花。平賀源内より洋画技法を教わり、秋田蘭画の一派を形成した。源内の紹介で『解体新書』の挿絵を描いたことでも知られる。

*9 沈南蘋(1682-1760?) 中国・清代の画家。徳川幕府の招聘で1731年より長崎に2年間滞在し、花鳥画の技法を伝えた。精緻な描写と華麗な彩色はすぐに評判となり、弟子の熊代熊斐(1712-73)が南蘋派を形成して広め、伊藤若冲や円山応挙ら江戸中期の画家に大きな影響を与えた。

 

■形のリアルと質感のリアル

伸坊:趣味っていえば、岸田劉生も、ハッキリ自分の趣味ってのがあるんだよね。

伊野:はっきり自分の趣味があるし、趣味に幅もある。そういう人の描く絵って面白い。その頃ヨーロッパではもう印象派が起こっていましたけど、岸田劉生が取り入れたのはデューラー*10とか、もっと前の時代の絵。取り入れ方に才能がある。

伸坊:そうそう、他人の作った流行じゃなく、自分が面白いと思ったことファースト。岸田劉生は中国画とか水墨画も描いてて、デザインもうまいんだよね、装幀とか。岸田劉生の実家、薬屋だっけ?

伊野:父親が岸田吟香*11っていう面白い人で、実業家やったり、新聞記者やったり、ヘボン式ローマ字の辞書を作るのを手伝ったりしてたんですよね。ナントカ水って目薬を売ってた。ナントカ水(笑)、なんだっけな、「き」がついた名前だった気がする。

伸坊:それのパッケージデザインを劉生がやったりして。

編集部:今調べたら、「精錡水」というそうです。

伊野:あと、「デロリ*12」っていう美感を提唱した。20年くらい前に『芸術新潮』で「デロリ特集」っていうのがあって、その時に載ってたヘンな絵をいっぱい見たのが、僕が日本美術に興味を持ち始めるきっかけでしたね。岸田劉生は面白いですよ。あの時代、劉生に影響を受けた人はけっこう多いですね。写実的な描写のタッチとかも真似してる。

編集部:一連の「麗子像」*13はかなりデフォルメされているという話ですけども、それでも写実画として見られている?

伊野:う〜ん、写実画って括っちゃうとはみ出る部分の方が多いですよね。麗子像にもいろいろバリエーションがあって、割と普通っぽいのから、座敷童みたいなのもありますね。写真に写ってる麗子さんはそこまで妖怪っぽくなかった。見たままの写実的ってことじゃなくて、質感を利用して表現しているわけですね。

伸坊:そう、質感だね。皮膚のテカリとか毛糸のショールの質感とか。

編集部:形としてのリアルと、質感としてのリアルがある。

5-1-6_麗子微笑模写

伊野孝行画 「麗子微笑」模写


 
伸坊:うん、岸田劉生は形にも好みがあって、冬瓜の絵を呆れるくらいいっぱい描いてる。冬瓜みたいな形に興味あったんじゃないかな。

伊野:「麗子像」も「切通之写生」も冬瓜みたいな形ですもんね。

伸坊:え? 切り通し、冬瓜って!?(笑)

伊野:あ、無理ありますか(笑)。

伸坊:無理でしょ、冬瓜と切り通しは。あ、全然別の話だけど、「切通之写生」ってさ、制作年が1915年なんだけど、キリコ*14の「街の神秘と憂愁」が1914年なんだよ。キリコの絵はまだ日本に渡って来てないと思うんだけど、なんか並べると共通する雰囲気がある。

伊野:ほぉ〜、そういう眼で今度見てみよう。

5-1-7&8岸田劉生 デ・キリコ

左:岸田劉生「切通之写生」(1915年/東京国立近代美術館蔵)『別冊太陽 岸田劉生ー独りゆく画家』(平凡社/2011年)より転載
右:デ・キリコ「街の神秘と憂愁」(1914年/個人蔵)


*10 アルブレヒト・デューラー(1471-1528) 北方ルネサンスの代表的画家で、ドイツ美術史上最大の画家といわれる。宮廷画家として祭壇画などを手がける一方、初めて本格的な自画像を描いたことで知られ、水彩による風景画や動植物画も残している。金銀細工技巧師の息子だったデューラーは、緻密な木版画・銅版画も多数制作し、版画の地位を向上させた。

*11 岸田吟香(1833-1905) ジャーナリスト、実業家。岸田劉生の父。「ヘボン式ローマ字」の考案者である医師ジェームス・カーティス・ヘボンによる『和英語林集成』の編纂に関わり、のちに東京日日新聞の主筆となり、日本初の従軍記者も務めた。また、ヘボンより処方を教わった目薬「精錡水」を発売し、成功を収めた。

*12 デロリ 岸田劉生が「卑近味、猥雑、下品、濃厚」を旨とする表現を形容した造語で、初期の肉筆画浮世絵や、甲斐庄楠音(1894-1978)の日本画を好意的に評して用いたとされる。「デロリ」をキーワードにした雑誌特集が組まれたり、展覧会も開催されていて、劉生自身の作品もそこに含まれている。

*13 麗子像 岸田劉生が自らの娘を描いた作品シリーズで、70点ほどが描かれた。劉生の「デロリ」の画境がよく表れていて、極端にデフォルメされたフォルムの一方で、リアルな質感を追求している。モデルとなった岸田麗子(1914-62)は自身も画家として活動、執筆活動も行った。

*14 ジョルジュ・デ・キリコ(1888-1978) イタリアの画家・彫刻家。1910年頃「実際には見ることが出来ない風景を描く」形而上(メタフィジカ)絵画を興して、シュルレアリスムに強い影響を与えた。1920年代にはいったん古典的な表現に転じたが、晩年は再び幻想的な作品を描いた。

 

■絵の基本にデッサン以外の「何か」がある

伸坊:フェルメールの展覧会だったと思うけど、あの頃のオランダの風景画で、もう、まんまスーパーリアリズムみたいなのがあって、画面も大きくてさ、なんか妙に残ってるなあ。なんでもないリアルな絵でも、そこから何か感じるものと、「はい分かりました」でおしまいなのとあるよね。

伊野:ありますね。リアルでも面白い絵と面白くない絵がある。へたな絵でも、抽象画でも面白いのとつまんないのがある。単なる自分の好みって言えばそれまでだけど、それだけじゃない何かがある気がするんですよね。人が平面芸術を見て面白いと思う共通する何かがあるんじゃないかって。その土台となっているのは石膏デッサンとかじゃないはずですよね。

伸坊:そうだね、でもそれ一番難しいことでしょ。何が面白いか、そこが問題だもんね。石膏デッサンは、要するに明治時代「本場」でそう習っちゃったからそのまま続いてんだよ。

伊野:西洋で歴史画が一番エライって言われてた時代は、そういう絵を描くためには石膏デッサンはある意味、絵の基本だったと思います。基本ていうか、技術的な基礎という意味で。

絵画の序列みたいなのがなくなって、アートも漫画も、今はどんな絵だって平等だってことになったし、それぞれのジャンルで必要な技術も違うから、デッサンが絵の基本だなんて、大雑把すぎると思うんですよね。抽象画のどこ探したってデッサンなんてないもん(笑)。時代によって絵も変わっていくけど、でもなんか全ての絵に共通する何かがあるんじゃないかと考えてしまう。

 

■見る側が「知ってる」こと、「分かる」こと

伸坊:見る方の人が作ってる流行ってのもあるよね。見る側は、飽きるんですよ。新しいイメージが欲しい。見る側の立場っていうのも無関係じゃない。そこんとこ、どこまで考えるべきなのか。べきってのもアレだけど(笑)。

伊野:べきかもですよね(笑)。ちょっと話はズレちゃうんですけど、僕が最近「見る側の人」のこと意識しちゃったことがあって。まー、セコイ話なんですけどね。

セツ時代、やっと自分のスタイルらしきものが出てきた時、絵を描くのがすごく楽しくなったんですよ。それまで話したいことがあるのに伝える言葉を持ってなかったのが、やっとカタコトで話せるようになったみたいに。でも覚えた言葉を捨てて絵を描くと、とたんに描けないの。

「これじゃオレは絵のことが分かってるとはとても言えないな。他のやり方で描いてもうまくいくようにしなきゃ」と思って、ちょっとずついろんなやり方で試すようにしてたんですね。でも、イラストレーターになりたいって時に、成功してる人はみんな自分のスタイルを持ってたので、自分も絞っていかなきゃいけないのかって悩みました。でも、もうスタイルも出尽くしてる感じだったし、これだという自分のスタイルがなかなかできなくて。

で、紆余曲折ありまして、今は「どんな絵を描いたって、そりゃ自分の絵だろう」と完全に開き直って、スタイル気にせずやってて、それは一つのスタイルで描くことへの反発でやってる部分もあるんですが……。でも、いろんなタッチで描いてると、「見る側の人」にとっては印象がまぎれちゃうっていうか。

ちょっと前に、伸坊さんの「私のイラストレーション史」*15の安西水丸さんの回で、「絵描きとして名を残したほどの人は、たいがい印象に残る発明をしているものだ」って書いてあるのを読んで、ウ〜ン、やっぱりスタイルを築けるってすごいことだと思ったし、反発を持ちながらも羨ましいと思ってるのもどこかにありますね。

もっと有名になりたいけど、これじゃ有名になれないなと(笑)。モノマネ芸みたいなことばっかりやっていいのかと。名を残せないぞ、オレはって。だからと言って、スタイルを絞ろうとしてるわけでもなく……えっと、単なる邪念が頭をかすめたって。ハイ、この話はコレで終わりです(笑)。

伸坊:いやいや、面白いよ。つまりスタイルだけじゃないんだ、発明って。ポロック*16が「ピカソが全部先にやっちゃった」って焦る話あったけど、オレは違うと思うんだ。例えば、篠原有司男*17さんが昔「イミテーション・アート」っていうのをやったんだけど、ラウシェンバーグ*18の「コカコーラ・プラン」ていうのをものすごくズサンに作る(笑)。20分ぐらいで出来る。それがいいんだよ、愛嬌あって(笑)。

真似をするってのもさ、何かそこに発想の転換があれば面白いものになる。伊野君が山下裕二*19さんと一緒に『一夜漬け日本美術史』やったじゃない、オレはあの絵が面白かったんだよ。図版の代わりにチョイチョイって伊野君が描いてる長谷川等伯*20の「松林図」とかがさ、すぐそれと分かるのが面白い。

5-1-9松林図屏風模写

伊野孝行画 「松林図屏風」模写 『一夜漬け日本美術史』(美術出版/2012年)より転載


 
伊野:あの本は山下先生の計らいで、僕のコーナーを作ってもらって「高橋由一の肖像」とか載っけてくれたんですよね。で、巻末に、日本美術史の年表があるんですけど、年表に入れる図版を全部借りるとすごくお金かかるじゃないですか。出版社からウチはあまりお金がないから模写してくれって言われて(笑)。なんか竹久夢二の絵は、ある持ち主から借りると4万円も取られるとか言ってたかな。僕に頼めば、縄文から昭和までやっても安く済んじゃうから。

その時は僕、今よりもへただったし、数が多いから、かなり雑な模写なんですけど、ギュッと縮小されると結構それらしく見えたりして。いうなればあれも「へた模写」だったわけですが、「へた模写」って言葉は発明できなかった。やっぱり発明って大事ですよね。この連載では伸坊さんが「へた模写」をされるから、同じことをしちゃイカンと思って、とりあえず「マジ模写」やってます(笑)。こんなうまく描いてもつまんねーよなって思いながら。

伸坊:ハハハ。なんで面白いのかなって思ったんだけど、「あらかじめ知ってる」ってことと、絵を見る面白さってなんか関係がある気がするんだよね。子どもの頃ね、『サザエさん』のマンガの中でカツオがつまみ食いするお菓子が、「あ、オレが知ってるお菓子だ」って分かって、カンタンな線なんだけどすごく感じが出てるわけ。それが自分の中にあるお菓子のイメージと合致する面白さ。そもそも絵って、平面の中に線や色があって、それが空間に見えたり、自分が知ってるあるものに見えたりする「構造」なわけじゃない。その構造が露わになることの面白さなんだよなあって。

伊野:そっかー、なるほど。当時はまだバイトもやってて、駆け出しだったからこういう仕事も頼みやすいんだなって、そんな社会の構造しか考えてませんでしたね(笑)。

(第5回②へつづく)


*15 「私のイラストレーション史」 南伸坊さんが亜紀書房のWEB「あき地」で連載しているエッセイ。http://www.akishobo.com/akichi/

*16 ジャクソン・ポロック(1912-56) 抽象表現主義の先導的役割を果たしたアメリカの画家。シュルレアリスムの「無意識」「オートマティズム」概念に着想を得て、キャンバスを床に置いて絵具を直接滴らせたり垂らす「ドリッピング」や「ポーリング」手法を生み出し、アクション・ペインティングと呼ばれた。

*17 篠原有司男(1932-) 東京藝術大学中退後、1960年前衛芸術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」結成。ボクシンググローブでキャンバスに絵具を打ちつける「ボクシング・ペインティング」で知られ、「イミテーション・アート」「花魁シリーズ」などの作品を発表。69年にNYへ活動拠点を移し、精力的に活動を続ける。

*18 ロバート・ラウシェンバーグ(1925-2008) ネオ・ダダを代表するアメリカの画家で、ポップアートの隆盛にも重要な役割を果たした。「芸術と生活の橋渡し」が創作の目的と語り、作品の素材に日用品のイメージや実物をしばしば用いた。「コカコーラ・プラン」もその一つで、キャンバスにコーラの瓶が貼付けられている。

*19 山下裕二(1958-) 美術史家、美術評論家。明治学院大学文学部芸術学科教授。1996年赤瀬川原平と「日本美術応援団」を結成し、団長を務める(団員2号は南伸坊さん)。著述活動のほか、展覧会の企画・監修も行う。小学館の新版『日本美術全集』全20巻(2012〜17年)の編集委員を務めた。

*20 長谷川等伯(1539-1610) 安土桃山時代〜江戸初期にかけて活躍。能登七尾で町絵師として活動ののち、30代で京都へ出て狩野派など諸派の画法を学び、独自の画法を確立、自ら長谷川派を興す。千利休や豊臣秀吉に重用され、襖絵や障壁画などを描き、狩野派を脅かすほどの勢力を誇った。


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino
第5回アイコン_伊野1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami
第5回アイコン_伸坊1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。
 
 
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