第7回前編 イラストレーションに「批評」は成り立つのか|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


 
─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第7回前編 イラストレーションに「批評」は成り立つのか


イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションの現在過去未来と、そこに隣接するアートやデザイン、
コミックなどについてユル〜く、熱く語り合う、連続対談。

今回はイラストレーションを取り巻くメディアのお話。
注文を受けて制作するイラストレーションに「批評」は成立するのか、
また批評があることでどんな効果がもたらされるのか。

「仕事が来ること」をイラストレーターの絶対的な評価軸と捉えるあまり
その枠内だけで発想してしまう風潮に、二人は警鐘を鳴らします。


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■イラストレーションにも批評が欲しい

編集:イラストレーションにはアートのような「批評」がないとよく言われます。

南伸坊(以下、伸坊):そうですよね。デザインの批評、イラストレーションの批評ってないね。まあ、イラストレーターは優しいから。

伊野孝行(以下、伊野):みんな飲み屋じゃいろいろ言ってると思いますけど(笑)。批評っていうのは、お互い刺激し合うところがいいわけですけど、映画や文学や現代美術みたいな批評があるジャンルと、デザインやイラストレーションのように批評がないジャンルの違いはなんでしょうね。単純に批評で食っていける人がいるってことなのか、もしくは批評家自体が価値を作る役割も果たしているから必要とされているのか。

イラストレーションやデザインって商売が成り立ってればそれでよし、みたいなとこありますよね。それはそれである意味さっぱりしてるんですけど、現実の判定に委ねすぎてるところもあるかな。

編集:イラストレーターは個人で媒体から仕事を受けているので、『イラストレーション』のような専門誌で悪く書かれたら商売あがったり、という側面もありますね。

伸坊:昔ね、『デザイン批評*1』って雑誌があったんですよ。建築家とか美術評論家とかいろんな人が書いてるけど、和田誠さんが横尾忠則さんのことを書いたり、木村恒久さんをインタビューしてたりとかして、それはすごくいい批評でしたよ。つまり、和田さんが面白かったんで、美術評論家のデザイン評なんてちっとも面白くなかったけどね。

伊野:世の中って新しいものを待ち望んでいるかと思いきや、新しいものにしかめっ面をすることも多いですよね。横尾さんにも最初拒否反応があったと思います。そういう時に「コレがすごいんだよ!」って言ってくれる人がいると力強い。別に批評って悪口みたいなのじゃなくて、批評することによってそのよさがより分かる、そういう感じでもいいわけですよね。

伸坊:そうそう、いいこと書けばいいんですよ。いやなら書かなきゃいい。書かれないってことは別に取り上げるまでもないってことだから。

編集:雑誌としては、誌面に取り上げた時点で何らかの評価をしているということですけど。

伸坊:そうするとさ、雑誌が売れるからって人気の作家を取り上げると、それは評価してるって表明になるわけでしょ。

伊野:最近はすでに評価がついてるものを取り上げる傾向が多いんじゃないですかね。

編集:売れるという読みがあって取り上げるにしても、少なくとも最初のきっかけとして「この人いいね」というのはあるわけです。

伸坊:昔のデザイン誌っていうのは、それが分かるわけですよ。新しい作品が出てるから、今どんなのが流行っているのか空気で分かるの。そういう意味じゃ、『グラフィックデザイン』*2にしても『デザイン』*3にしても、話題になった作品を載せてて面白かったよ。デザインとかイラストレーションのいいところは、図版だよね。文章で書いてる批評より、図版見れば分かるんですよ一発で、面白いかつまんないか。

今は情報が溢れてて、全部見るっていうのはもう無理だから、最初から何にも見ないってことになっちゃうじゃん。「海外でこういう新しい動きがある」みたいなことって、かえって昔より一所懸命探さないと分からないよね。

『グラフィックデザイン 54』(講談社/1974夏号)表紙イラストレーションは滝野晴夫、灘本唯人、山下秀男、湯村輝彦の4氏の共作。

『グラフィックデザイン 54』(講談社/1974夏号)
表紙イラストレーションは滝野晴夫、灘本唯人、山下秀男、湯村輝彦の4氏の共作。


 

伊野:そうなんですよね。この対談で、明治時代は西洋にコロッといかれたとか、戦後になると今度はアメリカだとか、自分たちのいいところを捨ててまで飛びつくなんてもったいないって話をして来ました。でも作品というのは、外からやって来るものと、自分の中から盛り上がって来るものとがぶつかり合うタイミングで生まれるものなんじゃないかとも思う。海外からの影響は、結果的に面白いことを生み出すきっかけにもなったわけですもんね。今は海外のことは自分で探そうと思ったら探せるんだけど、そうやって見つけた人が見てるだけで、みんなの目に自然に入って来るって感じではないですよね。

伸坊:あって欲しいよね、そういうメディアが。

伊野:あって欲しいですね。『イラストレーション』も昔は当然そういう役割も果たしていたはずだし、自分がイラストレーターになりたい時はネットもなかったし、それこそ舐めるように一所懸命読んでました。でも、自分がプロになれたかなと思った頃にはあまり読まなくなっちゃいましたね、すみません(笑)。プロになりたい人向けの業界誌なのでしょうか……。プロ同士で刺激し合うようなのがあれば読むかな。それが批評ってことになるのかな?

伸坊:そうそう。並べて見れば分かる。それで分かんないってんなら、最初からセンスないってことでしょ。イラストレーターは依頼が来て始まるってところがあるので、仕事が絡んでるとそのへんが歯切れが悪くなっちゃうんだろうけど、美術批評だってそれは同じなんですよね。業界の事情を知らずに、単純に美術ファンみたいな立場で見てると、批評家が言ってることは公正な評価だと思うかもしれないけど、実はいろいろしがらみがあったりするんじゃないの。

伊野:まーあれですよね、イラストレーションに批評がないって話から始まっちゃいましたけど、そんな大げさな話じゃなくてもいいんですけどね。単純に「絵の話」をするのは楽しい。だからこの連載も雑談みたいにしたかったんですよね。

伸坊さんと僕がよく話すようになった頃、「こういう話するのって面白いよね〜」って言ってくれたんです。実際、僕は非常に楽しかったんだけど、伸坊さんには学者から奇人変人まで面白い友達がいっぱいいるのに「オレなんかと話してホントに面白いのかな?」って最初いぶかしがってたんです。気を遣ってくれてんのかなって。でもよく考えたら、絵を描く者同士で絵の話をする機会っていうのは、伸坊さんにもそんなにないのかもしれない。伸坊さんがエッセイで「赤瀬川さんと空いてる美術館で、絵を見ながら談笑するっていうのは、至福の時間だ」って書かれてたの読んで、「オレも伸坊さんと話してる時ってそんな感じなんだよな〜」って、だから僕としゃべっても面白いはずだって、今はまあまあ確信してますけどね(笑)。

伊野孝行画 「勝新太郎さん、いい批評ってなんでしょう?」

伊野孝行画 「勝新太郎さん、いい批評ってなんでしょう?」


 

*1 デザイン批評 1966〜70年に風土社から刊行されていたデザイン誌。デザインや美術、建築、広告などを批評の対象とし、当時まだ新しい言葉だったイラストレーションも取り上げられている。いわゆる評論家による評論だけでなく、デザイナーやイラストレーター、建築家が評論を書いたり、インタビュアーを務めた記事も多かった。和田誠による横尾忠則論は、創刊号に掲載されたもの。

*2 グラフィックデザイン 講談社が刊行した季刊のデザイン誌で、1959年創刊。64年の東京オリンピックでデザイン委員長を務めた勝見勝(1909—83)が編集長に就任し、原弘や亀倉雄策、田中一光ら著名なグラフィックデザイナーがアートディレクション、執筆等で参加している。86年、100号をもって終刊となった。

*3 デザイン 美術出版社から1959年創刊されたデザイン誌。72年までは月刊で刊行され、73年から『季刊 デザイン』として16号まで刊行された。グラフィックや広告、工芸、イラストレーション、建築などさまざまなジャンルを取り上げ、各ジャンルの著名人が執筆等で参加した。

 

■リスクを冒してでも面白いことをやった人たち

伊野:アーティストの場合は、絵が売れなくたって、絵を描くこと自体が仕事だって言えるけど、イラストレーターは仕事してナンボというか、注文が来ないとは切なくなっちゃいますね。

伸坊:アート・美術とイラストレーションは違うっていうのは、昔から美術の側からもイラストレーションの側からも当然のように言われてたけど、画家の絵を使ったってイラストレーションなんだから。そういう意味じゃ、仕事がどうのってことじゃなく、「この絵が面白い」とか「この方向が面白い」とかそういう話をする場がなかったのはイラストレーターにとっては残念だったよね。仕事来るとか、何がウケるかみたいなところからしか発想しなくなっちゃった。

伊野:ああ、仕事がたくさん来て、注目を浴びるってことが「イラストレーターとして評価が高い」ってことだって、自分たちで思っちゃってるところはありますね。だけど、物差しがそれだけだとつまらない。実際つまんない絵だって、その物差しで計るとすごいものになっちゃう(笑)。

伸坊:そんなのつまんないよね。湯村輝彦さんがすごいなと思ったのは、最初は『ガロ』で漫画を描いて欲しいって安西水丸さん経由で頼んでもらって、やることになったんだけど、そこから湯村さんが自発的に広げてった仕事がすごかった。

前にも話した、横尾忠則さんが作った労音の春日八郎のポスター、今見たらいい仕事だってすぐ分かるよね。でも当時は、「こんなことやってると仕事なくなるよ」って意見が大勢だったってさ。その時に和田さん一人が大絶賛して、横尾さんも勇気づけられたと思うんだけど。

あの時点じゃ、横尾さんも画家になりたいって思ってたわけじゃなくて、イラストレーターとしてもデザイナーとしてもクライアントの方ばっかり向いて作ってたんじゃつまらないって、自分が描きたいものを描いたのであって。当時、横尾さんは「死」をテーマにポスター*4作ったりして、コマーシャルデザインに「死」ってさあ、エ〜!? って思うじゃん。それをやっちゃったんだよね。それだけ横尾さんのビジュアルのインパクトがあったし、人気も出たから、「使いたい」って思わせたから仕事が来たわけよ。

横尾忠則「TADANORI YOKOO」(1965) 「ペルソナ展」出品作品。 それまでクライアントのためのものと考えられていたポスターで自己の「死」を表現し、センセーションを巻き起こした。

横尾忠則「TADANORI YOKOO」(1965) 「ペルソナ展」出品作品。
それまでクライアントのためのものと考えられていたポスターで自己の「死」を表現し、センセーションを巻き起こした。


 
伊野:いくら注文を受ける仕事であっても、相手のことを考えてるばかりじゃダメなんですよね。自分をご本尊と思って自分本位でやる部分がどっかにないと、その人自身もイラストレーターとして一皮むけないというか。

伸坊:そうそう、横尾さんにしても湯村さんにしても、ものすごいリスクを冒しているわけよ。そのリスクを冒したためにああいう境地が開けた。

伊野:そうですね、必ずリスクがある。

伸坊:あえて何かやろうってんじゃなくて、「やっぱりやりたい」んだよ、描きたいのはこういうものですって。最初っから「仕事のために」って思ってやると、その範囲に収まっちゃう。そのうち頼む方が飽きちゃって、ちょっと毛色の変わった絵を使おうかってアニメーションの絵使うとかさ。アニメで育った世代にはものすごく見慣れてて親しみあるから、ワッと飛びつくのは当たり前だよね。

伊野:僕も何をやっても全然仕事がなかったんで、どうせならやりたいことやってからあきらめようって、個展をやって。それですぐに仕事が来たわけじゃないんですけど、あそこで開き直ったのがよかったかも……って横尾さんや湯村さんと比べるとスケールの小さい話だけど、そういうリスクを冒したからっていうのは絶対にあると思う。

伸坊:それはすごくいいことだと思うよ。僕はパソコンとか全然苦手なんだけど、ネットで何か探したり、ネットサーフィンっていうんですか(笑)、やってると伊野くんの絵が出て来るんだよね。みんな、画像をネットに出すとそれが勝手に使われちゃうとかすごく心配してるんだけど、勝手に使われるぐらいになんなきゃダメでしょ(笑)。いくらあったって、よくなければ誰も勝手に使わないでしょ。

伊野:ネットの大喜利みたいなところで勝手に使われてるだけですけどね(笑)。

編集:ネット上に絵はゴマンとありますから、その中で勝手に使われるというのは、その絵なり作家によほどの知名度がないと。

伸坊:いやいや、知名度じゃないよ、絵の力ですよ。
 

*4 死をテーマにしたポスター 1965年に銀座松屋で開催されたグラフィックデザインの展覧会「ペルソナ展」で、横尾忠則が発表したポスター。旭日を背景に首を吊った男が描かれている。これ以外にも「死」をテーマに扱った横尾作品は多く、1968年に刊行された初作品集のタイトルも『横尾忠則遺作集』だった。

 
7-4_対談風景
 

■タダで見せる、タダで仕事することの是非

伊野:イラストレーションに限らず、ネットはいろんなものがタダで見られますけど、漫画家はネットに作品を載せて、読まれちゃったらおしまいってのがあるじゃないですか。でも、イラストレーターは見られるのが宣伝になるというか、イラストのギャラってのは使用料としてもらってるわけだから、ただで見せても全然損にはならない。けっこう利点のあるものだと思います。

伸坊:そうね、でも漫画家でもやってる人いるよね、タダで見せるって。

編集:意識的にやっていますよね。1回読んでもらって、いいと思ったら購入して繰り返し読んでもらえるという確信があるんだと思います。

伸坊:そういう考え方もあるんだよね。そういう風にタダで見られるのって、それは今後変わるはずだとオレは思うけど、今って過渡期でさ。1回見ておしまい、タダで充分だって見る方は思っちゃう、そこが問題だよね。金を払いたい! って、見る方が思わなくちゃ。消費者は、面白いものにはご祝儀を出す「ダンナ」になんなきゃダメだよ。

伊野:ずーっと立ち読みでいいのかって、ハタキでパタパタしましょう。

伸坊:まあ、オレが子どもの頃ってさ、高校生の頃だって全部立ち読みだったね。

伊野:僕も未だに立ち読みしてますが……。でも今後も作り続けて欲しいから1票投じる気持ちで、作品集や絵とか買ったりしますもんね。安い金でダンナ気分を味わえる。

今、タダで仕事を頼むとか、ものすごい安い金額で頼むことに対して、クリエイターのことを考えないみたいな、そういう議論が巻き起こることがありますけど、やっぱ最初って、タダでもいいから自分が描いたものを見てもらいたい、タダでもいいから仕事したいってあると思う。『ガロ』は表現したいけど既存の場所には発表の場がなかった人のための漫画雑誌でしたよね。

伸坊:『ガロ』にいた時はそれでいろいろ言われたけどね。「原稿料払わないでお前は給料もらってるんだってな」って(笑)。だけど、湯村さんだって『ガロ』じゃなかったら出来なかったことがあったんじゃないか? って。開き直るわけじゃなくて、そういうメディアとしての誇りはあったよね。とにかく『ガロ』は作家のやりたいことをやっていただく、そこが存在意義だった。

湯村さんにこないだ久しぶりにお会いして聞いたんだけど、とにかく自由にやらせてくれたって。だけど、1回だけダメが出たことがあったって、オレが辞めた後。え? どんな? って聞いたら、新年号の表紙絵、「金の特色でウンコの絵にしたい」って言ったら、「それはちょっと」って断られたって言うんだけどさ。それはウンコだからじゃなくて、金だったからだと思う(笑)。

伊野:ハハハ、金色は印刷代が高いから(笑)。そっちですか。
原稿料がない代わりに好きなことが描ける。だから自分に本当に言いたいことがあるのかないのかって、そっちの方が問題になってくるから、逆にすごいシステムだと思ってました。

伸坊:つまり原稿料が払えない雑誌があったために、逆に誰が今どんなことをやっているかってそこで見えてたわけじゃない? 編集者は割と見てくれていたわけね、あそこで面白いことが起きているんだって。『ガロ』に出たばかりの人が他の雑誌に引っ張られたり、それがあったから、オレは原稿料が払えないことにそんなに引け目を感じないでいられたんだけど。ネットは才能を見つける方の努力が必要だよね。

伊野:ゴッホみたいに、すごく才能があったのにほとんど知られずに非業の死を遂げるみたいなことが昔はよくあったと思う。でも今はネットがあるから、才能が発見されないってことはまずないんじゃないですかね。発見されなくてもこっちから発信できるし。

メジャーとマイナーでいうと、僕はマイナーなものをよく見てた。音楽とかでもインディーズからだんだんメジャーになったり、そこから次のスターが出たりするのを見てたから、マイナーなところで頑張ればメジャーにつながる道があると思ってたし、実際そうだったと思うけど、ある時代からつながらなくなってしまった。昔は『ガロ』とか『宝島』*5で面白いことやってたら、そこにみんなの視線が集まって、それによって押し上げられる。そういう視線が集中するところがなくなった。

伸坊:ああ、そうだね。「特集を作る」っていうのがそれまでの雑誌の作り方というか、存在意義みたいなものだった。「今こういうものが新しいんだよ」っていうさ。提言っていうか、そういうのが今は要求されてないのかもしれないって編集者が思ってるかもね。こっちから押し付けるんじゃなく、読者に寄り添うってカンジ?

伊野:そういう価値観を決定したくない。

伸坊:そう。でもさ、実際に絵をいっぱい見ている人とほとんど見ていない人とで、同じ価値観になるわけがない。「これいいじゃん」って目を付ける人がいるからこそ、それにつられてその良さが分かって来る、そういう人とか場所が必要なんだよ。

伊野:人それぞれに、自分にとってはこれが面白いとか、これが新しいとかあるから、そういうものは知りたいんですよね。人なり雑誌なりが強く推すものを見たい。ネットが登場して雑誌の存在意義は薄れているのかもしれないけど、お手軽に「シェア」されたものじゃなくて覚悟を持って「これがいいんだよ!」って紹介してるものが見たい。売れるかどうかは知りませんよ(笑)。

(第7回後編につづく)
 

5 宝島 宝島社から2015年まで刊行された雑誌。前身は1973年に晶文社から創刊された『ワンダーランド』で、編集者・評論家の植草甚一が責任編集を務めた。3号目で誌名を『宝島』に変更、休刊を経て74年にJICC出版局(現・宝島社)から復刊。70年代は先鋭的なサブカルチャー誌、80年代はパンク・ニューウェーブを中心とした音楽雑誌として人気を誇った。時代ごとに編集方針が大きく変わり、一時は週刊誌になるなど刊行形態も変遷を繰り返し、休刊時はアンダーグランド色の強い月刊情報誌だった。

 
取材・構成:本吉康成


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino第7回アイコン_伊野1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami第7回アイコン_南1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。
 
 
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