第9回後編 風刺とパロディ④ 自分が興味があることにツッコミを入れよう|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第9回後編 風刺とパロディ④ 自分が興味があることにツッコミを入れよう


イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションの現在・過去・未来と、そこに隣接するアートやデザイン、
漫画などについてユル〜く、熱く語り合う、連続対談。

風刺画を「ジャンル」として捉えることによって生じる表現上の窮屈さと、
社会を批判しなくてはいけないという「気負い」が風刺画をつまらなくする。
もっと気楽に身近なところから笑いやユーモアを考えようという提言。

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第9回アイコン

■あえて風刺画と名乗る必要はない

南伸坊(以下、伸坊):伊野君は風刺画って言ったけど、風刺画やパロディについて話すとあまり話が弾まないじゃん。面白くないから面白くないんだよってことになっちゃうけど、面白いイラストレーションってことであれば、まさにそういうものを描きたいわけなんだからさあ、どういうものが面白いかってことで考えた方がいいんじゃないの?

伊野孝行(以下、伊野):そうですね。「風刺画」や「パロディ」って言葉自体が古い感じがして、そう呼ばれるだけで拒否反応を起こしてしまうというか。でも、その内実的な要素はあった方が僕は好きなんですけどね。

伸坊:むしろ笑いの要素がなかったらイラストレーションってあんまり興味ないんだよね。この間、散々リアリズムの話をした時さ、「うまい」って思うのは絵の楽しみ方の一つではあるけれども、「面白い」には負けるって思ってる。

伊野君は自分の絵に「風刺画」とかってつける必要はないと思うよ。笑いのあるイラストレーションってことでいい。

伊野:うん、そうですね。深沢七郎*13さんが『人間滅亡的人生案内』*14という人生相談の中で「こっけい以外に人間の美しさはないと思います」って答えていて、ああきれいないい言葉だなあって思いました。人間の存在はこっけいだとかいう言い方はありますが、こっけい以外には美しさなんてないっていう言い切りに感動しましたね。ちょうどその時は無職でイラストの仕事もまったくなかったんで、僕の人生にも僕の絵にもぴったりな言葉だと思った。

7年くらい前だったかな、日下潤一さんとN.Y.へ行った時に、ちょうどメトロポリタン美術館の特別展で「限りなき戯れ」っていうタイトルの風刺画展をやっていて、それを観た後で「伊野君が風刺画を描けば面白いんだけどな」って日下さんに言われたんです。その時は自分はただこっけいな絵を描いてるだけで、風刺画なんてまったく意識してなかった。むしろ毛嫌いしてた。でも、言われてみれば自分はそっちに向いてるなとは思ったんですよ。基本、人をおちょくってるような絵なんで。風刺画を敬遠してる人間だから、逆に風刺画を描いてみたら新しいことも出来るかもしれないし、あわよくば新聞で連載持てるかもしれない(笑)。

9-5_限りなき戯れ図録_500

「Infinete Jest 限りなき戯れ」展図録
メトロポリタン美術館で2011年開催されたカリカチュア作品を集めた特別展。図録表紙はフランスの画家ルイ=レオポルド・ボイリー(1761-1845)の「Le Grimaces(顔)」(1823/メトロポリタン美術館所蔵)。


*13 深沢七郎(1914-87) 小説家。ギタリストとして日劇などに出演していた1956年に書いた初の小説『楢山節考』が第1回中央公論新人賞を受賞、ベストセラーとなる。小説・エッセイを多数執筆したが、65年に「ラブミー牧場」を設立して自給自足生活を送ったり、今川焼き屋を開店するなど、その風変わりな生活ぶりも話題になった。


*14 『人間滅亡的人生案内』 『話の特集』に1967年から連載された深沢七郎が読者からの相談に答えるコーナーで、世の中に媚びない深沢の独特のユーモアと毒舌ぶりが味わえる。単行本は1970年に話の特集から刊行され、河出書房新社より2013年復刊された。

 

■自分が興味を持てることにだけツッコミを入れる

伸坊:伊野君が「風刺画ってなに?」展の時に、美術に関するマンガを持ってきたのはすごくいいことだと思った。自分にとって何か言いたいことっていったら、それしかないもんね。

伊野:自分がいる美術の世界を皮肉るっていう意味の風刺画にしたかった。自分の場所だから言いたいことも自然に出て来るけど、政治の世界に対してはそんなに言うことがない。だから結局、自分の興味のある中で言う方がいいのかなって。

伸坊:そうそう。

9-6_鑑賞プレート

伊野孝行画 「解説プレートを読む時間と作品を鑑賞する時間を可視化してみた」

 

9-7_芸術の役割

伊野孝行画 「芸術の役割ってなんだろう?」

 

伊野:政治に興味が持てなければ、無理に何か言ってもしょうがないし。

伸坊:そこなんだよね。自分がそんなに言いたくもないことを、役割として何か文句を言わないといけないって思って言ってる。それが今の風刺画。だから面白くないんですよ。オレが今、どっかの雑誌から政治のことで10枚ぐらい描いてくださいって言われたら、断るよね。だって描くことないじゃん。「描くことない」ってこと描くしかない(笑)。

伊野:僕は頼まれたらなんでも引き受けてしまうなあ(笑)。仕事では安倍さんやトランプさんの絵はわりと描いてます。

伸坊:オレが最初に『モンガイカンの美術館』*15って本を書いたのも、頼まれたから書いたってのももちろんあるけど、じゃあ自分は何が書きたいかって、絵のこと自体じゃないところでグズグズ言ってるのが一番イヤだったの。まったく逆だったのが澁澤龍彦*16さんが『みづゑ』*17で書いてた美術エッセイなんだよね。つまり、自分が好きなものについて「こういうところが好きだ」ってことを書いてるわけですよ。で、自分が興味ないことについては「興味ない」ってハッキリ言うんだよ。好きなもの嫌いなもの、興味あるものないもの、みんな違うわけだから。澁澤さんの言うこと聞けってことじゃなくて、そういう風に言う人がいなかったんだよね、それまで。だから、大橋巨泉も珍しいんだ。「自分は世界中の印象派の現物を見た!」ってとこから始める。

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南伸坊:『モンガイカンの美術館』(1983)より「芸術はウンコである」

 

伊野:ははは。お金持ちだからマジで世界中見て回れますからね。巨泉さんは印象派のど真ん中の人が好きで、セザンヌに対しては「人間がただのモノにしかみえない多くの作品は失敗だった」とか言っちゃいますからね(笑)。ピカソに至っては自信を持って「分からない」と言い切ってます(笑)。モダンアートから遡ると、近代絵画の父であるセザンヌはものすごくエラい人なんだけど、大橋巨泉には関係ない。僕の友人が「巨泉はジャズ評論家だけど、実はモダンジャズが分かってないんだ」と言ってたんだけど、本当かも。

伸坊:いいんですよ、分かってなくたって。こういう風に言えば世の中に通る、って意見を言うのが「分かってる」ってことなんだから(笑)。巨泉は「オレは嫌いだ」と言ってて、嫌いは嫌いなんだからそれでいい。そういう悪口を言わないで、問題集の後ろの正解を先に見て「こう言えば間違いない」ってこと言ってたって、何にも面白くない。

つまりね、美術について何か言うってのは、ちゃんと勉強した人じゃないと言っちゃいけないってことが世の中の決まりみたいに思ってる。美術をやるなら石膏デッサンやらないとダメ、みたいなのと同じ。それと関係なく言いたいこと言ってるから面白い。

伊野:でも巨泉さんはきっと、石膏デッサンが出来てないようなやつが描いてもダメだって思ってる(笑)。

伸坊:あはは、そうだね、そう思ってるね(笑)。

伊野:そこはちょっと間違ってるというか、おかしいと感じるところですけど(笑)、言ってるのが大橋巨泉だから面白かったりします。とにかくそういうことを自信持って言ってるところがスッキリする。

伸坊:そうそう、自分が思ってることを自信持って言うのが面白いの。


*15 『モンガイカンの美術館』 1983年に情報センター出版局(現宝島社)から刊行された南伸坊さんの著作。美術雑誌『みづゑ』に連載された同名のエッセイを中心に収録。古今東西の画家やアートジャンルを取り上げ、小難しい専門的な記述を回避しつつ、独自の視点も交えて語った「シロート目線」の美術論。


*16 澁澤龍彦 (1928-87) フランス文学者、小説家、評論家。学生時代よりフランス文学に親しみ、ダダイズムやシュルレアリスムに傾倒。マルキ・ド・サドやジャン・コクトーなど仏文学の翻訳のほか、小説やエッセイなどを執筆。幻想的・耽美的なテーマを多く取り上げた。美術評論も多く書いたが、いわゆる美術史的文脈ではなく、独自の価値観や視点で論じており、シュルレアリスム絵画やマニエリスム絵画を融合して「幻想絵画」と呼んだ。


*17 『みづゑ』 水彩画家の大下藤次郎(1870-1911/美術出版社の創業者)が水彩画普及のため1905年に創刊した雑誌。当初は水彩画のみを扱ったが、のちに総合美術雑誌に発展。第二次大戦時の雑誌統廃合による休刊を経て46年復刊。82年に月刊誌から季刊となり、92年休刊。2001〜07年に絵本や手作り雑貨の季刊誌として復刊した。

 

■イラストレーターはもっとマルチに活動していい

伊野:話変わりますが、「イラストレーター」ってちょっと前までは使いやすい便利な肩書きっていう印象があった。リリー・フランキー*17さんがイラストレーターであることは事実なんですけど、それをメインにはしてない。でも、それだけイラストレーターは幅のある職業だったから面白かったのに。

編集:サブカルチャーの文脈で言われるマルチな面白さですよね。イラストレーターのそういう一面とパロディみたいなものは親和性が高い気がします。

伊野:そう。だから、そのへんも今は「イラストレーターでしかない」ようになっちゃってる。

伸坊:前は流行ってたからね。次にコピーライターが出て来たんだよ。

伊野:そうでしたね。コピーライターやイラストレーターが本来の職業を超えてマルチだったのは日本独特のものだったのかもしれないけど、それだけ自分たちに可能性を見てたってことですよね。今は社会に望まれてないというより、自分はそうなりたいって人が少なくなっているんだと思います。僕が伸坊さんや和田誠さんを見てそうなりたいって感じたことが、今にまで伝わってないというか。自分がそんな存在になれてないというか(笑)。

編集:イラストレーターは外部からの注文を受けて絵を描くために、常に世の中のいろいろな話題にアンテナを張っている必要があるから、その情報や知識をイラストレーション以外にも活かせる人が出て来ますね。

伊野:だから和田さんに憧れてるイラストレーターは、自分に「麻雀放浪記」*19は撮れるのかって自問自答した方がいいですよ。極端ですけど(笑)。

編集:和田さんは実写映画の他にアニメーションも作っていたし、音楽にも造詣が深くて本を書いていたり、それこそいろいろな引き出しがありますね。

伊野:イラストレーターは単なる分業化された職業じゃなくて、ある意味、自己完結できるくらい一人で何役も出来るようにならないとダメだと思うんですよ。デザインもやってない僕が言うのもなんですが……。

伸坊:オレは最初にファンになったのが和田さんだったから、イラストレーションの中に「笑い」の要素があるのは当然だって思ってて、文章で表現できることは文章で書くのが当然って思ってるけどね。

伊野:僕もそうです。ハイ、頑張ります!

(第10回は4月16日より公開予定です)


*18 リリー・フランキー(1963-) イラストレーター、作家、タレント。武蔵野美術大学卒業後、イラストレーター、デザイナーとして活動開始。文筆業、音楽、写真、タレント・俳優など、ジャンルの枠を超えて幅広い活動を行なう。自叙伝的小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』がベストセラーとなり、映画化・テレビドラマ化された。また絵本『おでんくん』はテレビアニメ化された。


*19 「麻雀放浪記」 阿佐田哲也(1929-89)の同名の小説を原作とした映画で、和田誠監督デビュー作品。1984年角川春樹事務所製作、主演・真田広之。戦後の混乱期の東京を舞台に、賭博麻雀を繰り広げる男たちの姿を描く。全編モノクロで撮影されている。


取材・構成:本吉康成


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino第8回アイコン_伊野1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami第8回アイコン_伸坊1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。

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