第10回前編 ヘタうま① 意識で描くことを離れ「無意識の力」を引き出す|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第10回前編 ヘタうま① 意識で描くことを離れ「無意識の力」を引き出す


イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションの現在・過去・未来と、そこに隣接するアートやデザイン、
漫画などについてユル〜く、熱く語り合う、連続対談。

1980年代にイラストレーション界に旋風を巻き起こした「ヘタうま」ブーム。
ブームの中心にいたのはそれを理論化した湯村輝彦さんだが、
日本では「ヘタうま」的な表現自体は江戸時代から存在し人気があったという。

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第10回アイコン

■「主義」のために描くのはつまらない

編集:今回から「ヘタうま」をテーマにお話いただきます。「写実表現」が数回続きましたが、実はすぐに話が脱線して「ヘタうま」の話題はよく出ていました。

南伸坊(以下、伸坊):写実が続いたってのは全然いいんですよ。ヨーロッパの美術はずっと写実が基本で、それが延々ルネサンスから19世紀まで続いてたんだから。だけど、日本の絵には昔からいろいろあって、むこうの人たちは日本の絵を見て「なんて自分たちは不自由だったんだろう」ってビックリした。こういう絵、描いていいんだあって。

伊野孝行(以下、伊野):こっちがリアルな絵に驚いてたように、むこうはむこうで驚いたわけですね。西洋への崇拝みたいなのは黒田清輝の悪影響かなって思ってたんですけど、熊谷守一*1の『へたも絵のうち』という自伝を読むと、案外そうでもなかったみたいですね。熊谷守一は黒田清輝の絵は感心しなかったと言ってるし、東京美術学校で同級生だった青木繁*2なんか完全にバカにしてて、黒田の授業が始まるとスーッと教室から出て行ったりしてたらしい。伸坊さんの若い頃のように、みんな生意気なんですよね(笑)。まあ、いくらエライ先生たって絵を見りゃつまんないって分かるし。でも黒田清輝は政治家的に有能だから、彼が作った制度*3は残っちゃった。そんで、黒田の絵も歴史に残っちゃった。

 『へたも絵のうち』熊谷守一(平凡社/2000)熊谷作品としてよく知られる「猫」(1965年)が表紙。オリジナル版は日本経済新聞社から1971年刊行。

『へたも絵のうち』熊谷守一(平凡社/2000)
熊谷作品としてよく知られる「猫」(1965年)が表紙。オリジナル版は日本経済新聞社から1971年刊行。


 
伸坊:黒田清輝ってさ、木炭デッサンすごくうまいんだよね。で、伊野君も僕も好きな萬鉄五郎が、黒田清輝と同じくらいデッサンうまい。だけど、きっと描いてて面白くなかったんだと思うんだよ、本人的には。それで黒田清輝が勉強して来たのとは別の、最新の西洋美術を追っかけるようになる。で、熱心なあまり次々に違う流行の絵を描かなきゃいけなくなっちゃった(笑)。

編集:正統だと言われるものからあえて外れていく、一種のドロップアウトですね。

伸坊:将来の出世や絵の注文のこと考えたら、あんな絵描かないね。せっかく絵が好きで描いてるんだったら、そういう気持ちがなきゃ面白くない。お金儲けがしたいなら、絵なんか描くよりもっと違う方法はある。写実なんて、単なる絵の描き方だからさ。「リアリズム」っていうと、また違う理屈があるんだろうけど。

伊野:それは「主義」(イズム)ですからね。主義といっても芸術の場合、一人の画家が自分の興味次第でいろんなイズムを出たり入ったりするわけで、政治みたいにある党に入ったらそこの主張に従わなければならないなんてことはない。だから萬鉄五郎のミーハー的変遷は興味の移りゆく様が分かって楽しい。頑固に一つのイズムでやるのももったいない気がするんですよね。

伸坊:そうね、でも萬鉄五郎、絵だけ見てるとミーハーだけどさ、何しろ純情でマジメなんだ。ものすごく悩んだりしてたみたいだよ。

伊野:地球のむこう側では新しい絵が生まれ続けてる、こうしちゃいられない、って急かされるように絵が変わっていきますね。


*1 熊谷守一(1880-1977) 東京美術学校(現東京藝術大学)卒業後、画業の道に入るがしばらく不遇で、実家に戻り肉体労働に従事した時期もある。60歳を過ぎて、明るい色彩と単純化されたフォルムで植物や生き物を描くスタイルを確立し、ようやく評価を得る。2018年には没後40年を記念した大規模な回顧展が東京国立近代美術館で開催された。


*2 青木繁(1882-1911) 明治期に活動した洋画家。早くから才能を認められたが、持病の結核のため28歳の若さで死去。東京美術学校卒業後のスケッチ旅行で描かれた代表作「海の幸」は、19世紀ヨーロッパのロマン主義への傾倒が強く表れた作品。


*3 黒田清輝が作った制度 パリで外光派の画家から絵画技術を学んだ黒田清輝は、石膏デッサンを重要視して東京美術学校西洋画科の教育課程に取り入れ、日本の美術教育の基礎として定着した。しかし、厳格な写実主義はより自由な表現を旨とする近代絵画とは相容れず、美大受験のデッサン偏重など、弊害を指摘する意見も少なくない。

■江戸時代のヘタうま絵師・耳鳥齋

伊野:僕と伸坊さんがもし「日本の美術ベスト10」を挙げるとすると、その中に必ず耳鳥齋(にちょうさい)*4って人が入って来ると思うんですよ。日本美術史においては全く重要視されてないけど、すごくいいんですよねー。

伸坊:いい。耳鳥齋って大阪の人なんだけど、オレが耳鳥齋の絵を初めて見たのは、吉野孝雄*5さんと大阪の伊丹市立美術館に宮武外骨の話をしに行ったことがあって、その3年くらい前にそこで耳鳥齋の展示をやったらしくて、展覧会カタログが置いてあった。「うわ、こんなの初めて見る」って思ってさ、ものすごく欲しかったんだけどもう売り切れてて買えなかった。地獄の絵があって、それがいいんだよねえ、とぼけてて。

伊野:そば打ちの棒みたいなので罪人が伸ばされてるんですよね(笑)。僕はその大阪の展覧会を紹介した『芸術新潮』の記事の、ちっちゃい絵を見てすごいなと思って、それは耳鳥齋の「絵本水や空」という本に載ってる版画でした。なんとも言えないすっとぼけた絵で、すんごい脱力感があるの。で、ずっとまとまった作品を見たかったんですけど、見る機会がなかった。いぬんこ*6さんが大阪からこっちに出てきて、伸坊さんが見れなかったという例のカタログを持ってるって言うんでコピーさせて貰ったりした。最近『耳鳥齋アーカイヴズ』って本出ましたよね。

伸坊:ああ出ましたね、持ってます。

10-2_絵本水や空

耳鳥齋「絵本水や空」(1780)より
国会図書館デジタルコレクションとしてネット公開されているほか、iBooksやKindleで無料ダウンロードが可能。

 

 

伊野:最近はありがたいことにネットでいっぱい見れるんですよ。耳鳥齋の絵って、江戸の滑稽な絵にはない気分があるんですよね。上方の滑稽っていうか。

伸坊:そうなんだよなあ、しかもうまいんだよ。宮武外骨は四国の人ですけど、最初に大阪で出版業始めてるし、最近知ったんだけど耳鳥齋の研究もしているし、センスに共通するものがあるんだよね。耳鳥齋の絵って、見る人が見ればすぐに分かって貰えると思う。

伊野:へー、宮武外骨が耳鳥齋の研究をしてるんですか。耳鳥齋の存在は最近は割と知られるようになってうれしいけど、オレだけのものにもしておきたかった(笑)。


*4 耳鳥齋(生没年不明) 生年は1751年以前、没年は1802または1803年とされる。江戸中期に上方で活躍した絵師。略画体による戯画(鳥羽絵)を得意とし、目を点で表す軽妙洒脱なタッチで役者などを描き、肉筆画や版本などを多数手がけた。大坂で耳鳥齋による扇絵が流行したとの記録もある。2005年伊丹市立美術館で展覧会が開催された。


*5 吉野孝雄(1945-) 文学史・ジャーナリズム史研究者。宮武外骨の甥で、外骨の研究で知られる。『宮武外骨』(河出書房)で日本ノンフィクション賞受賞、他にも外骨に関する著者多数。会話中で触れているトークショーは2008年に伊丹市立美術館で開催された「外骨−稀代のジャーナリスト」展の関連イベント。


*6 いぬんこ 大阪府出身のイラストレーター、絵本作家。浮世絵や大津絵、引札など日本の大衆絵画に影響を受けた和風タッチで制作。絵本『おかめ列車』シリーズ(好学社)、『こけしのゆめ』(チャンキー松本・文/学研出版)など。NHK Eテレ「シャキーン」ではタイトルロゴやアニメーション、コーナーのイラストレーション、セットや小道具などを手がける。

■湯村輝彦が提唱した「ヘタうま」理論

伸坊:ウチに七福神とかめでたい絵の薄い冊子があって、伊野君、大黒様とか恵比寿様とか描いてたでしょ。あの絵すごくよかったと思うけど、自分ではどう?

伊野:2010年にINAXギャラリーでやった「ゑびす大黒 −笑顔の神さま−展」のカタログのカットですね。たいしていいとも思ってないんですけど……今になって考えると、うまさとへたさがちょうどいい塩梅だったかな。唐仁原教久*7さんから以前「お前はうまさとへたさがちょうどいいよ」って言われてたんだけど、最近ちょっとうまくなりすぎてるんじゃないかと気に病んでるんです(笑)。精一杯やってへたなのがいいんですよね。湯村輝彦さんは「へたをキープする」っておっしゃってるけど、誰でも描いてると自然にうまくなっていきますからね。

10-3_恵比寿舞

伊野孝行 「恵比寿舞」(2010) 「ゑびす大黒 −笑顔の神さま−展」図録の挿絵。
改めて見ると「ヘタうま」という絵でもないか……。(伊野)

 

伸坊:オレが思うに、それは「無意識」が働いてるって気がするな、絵に。伊野君が散々嫌ってる写実っていうのは、いわば意識が描かせているものでしょ。

伊野:ダハハ、写実、大好きですよ(笑)。でもそうなんですよ、写実の絵って完全に意識で描くんですよ。そういうところが当たり前でつまらないとは言ったかな(笑)。いわゆるリアリズム、見た通りに描くにしろ、写真そっくりに描くにしろ、クロッキーにしろ、目の前にあるものをそれらしく描くのって要は「当たり前」に近づくってことでしょう。何せ基になる形はそこにあるわけですからね。形を崩すのは「当たり前」を裏切らないといけない。当たり前から開放されるから、へたな絵は気持ちいいのかもしれない。それはリアリズムの方向で行っても決してたどり着けないものですよね。

伸坊:意識は言葉だよね、つまり言葉で描かれているような絵ってことじゃないですか。そうすると、思わず出てしまっているっていうかさ、知らないうちに出てるもの。湯村さんがキープしようとしているものって、へたをキープじゃなくて、無意識なんだと思うな。

伊野:そうか、無意識なんですかね。

へたな絵は昔からいっぱいあるわけですけど、湯村さんがすごいのは「ヘタうま理論」*8にしてちゃんと言葉で説明してくれたところですね。世の中の絵は「ヘタうま」と「うまうま」と「ヘタヘタ」と「うまヘタ」の4種類に分類されて、「ヘタうま」が一番エラいんですよね。湯村さんの理論ですからね(笑)。「ヘタうま」は素人には「オレにも描ける」と思わせ、プロには「オレには描けない」って絶望させる絵。で、次にエラいのが「うまうま」だったかな? 「うまうま」は素人が見てもプロが見てもうまい絵。「ヘタヘタ」は本当にへたな絵。一番下が「うまヘタ」で、うまいけど別段面白くない絵のこと。これが実はプロには一番多いと、湯村さんはおっしゃってます。


*7 唐仁原教久(1950-) 1984年デザイン事務所HBスタジオ設立、85年にイラストレーション専門のHBギャラリーを開設。イラストレーター、アートディレクターとして書籍の装画や装丁、雑誌の挿絵、アートディレクションを手がける。哀愁を帯びた男の後ろ姿の絵で広く知られる。


*8 ヘタうま理論 文中で語られている通り、「一見へただが実はうまい」絵を「ヘタうま」と定義付けしたのは湯村輝彦。この言葉自体は音楽など他の表現分野でも古くから使われていて、起源は不明。「うまい」「へた」という相反する二極とは別の尺度として「面白い」という第三極があり、技術の巧拙に関わらず面白い、味があるものに価値を見出す考え方。

■崩れた線や形になぜ惹かれるのか

伊野:でも湯村さんによると、「ヘタうま」に影響を与えているのは「ヘタヘタ」であって、原爆の体験を描いた絵だったり、あるいは便所のいたずら描きであったり、まず自分の言いたいことがあって描いた絵。そういう絵ってどんなにへたでも心を打つ。へただから余計にいいのかもしれない。絵の始まりって何なのか考えさせてくれる。人を感動させたり納得させることが絵の技術力だと思うので、そこには高い技術力があると思うんですよ。描いてる本人さえ気付いてない技術力が。

山下清*9は絵の勉強をしたわけじゃないけど、八幡学園で貼り絵を始めた瞬間に高い技術力を発揮した。山下清でさえ、描き続けるとだんだんうまくなる。伸坊さんは八幡学園時代の素朴なトンボの貼り絵が一番いいっておっしゃってましたが、確かに後期の大作よりみずみずしい。結局、努力や訓練ではどうにもならない要素が絵の中にあるってことが僕にはうれしいのであって、だから絵って面白い、不思議だなって思うんです。

伸坊:現れた形に惹かれるものがあるっていうことだよね。今の文脈でいうとデッサンがうまい、写実的な形が取れてるのが「うまい絵」だと思うんですよ。そこから逸れている部分になぜ惹かれるのか、興味あるよね。何か共通するものがあるんだね、自分が面白いと思うものと。ここだ! ってはっきりとは掴めないけど、その「仕組み」みたいなのが分かると自分でも描けるようになるんじゃないかって思ってる。さっき出た「無意識」ってのはそれと関係があって、つまりうまい人がわざわざへたに描こうとするとそれは意識的なんですよ。

伊野:そう、意識してへたに描こうとすると、モロに絵に意識が出ちゃうんですよね。それは見てて嫌なものですね。下描きもせずに即興でバーッと絵を何枚か描いて、そこからうまく描けたのを選ぼうと思うと、だいたい最初の方で描いたのがよかったりしますよね。その時は自分でいいと思ってないんですよ。「ここはもうちょっとこうしよう」とか思いながら描いていった絵は、結局後で見ると意識しすぎて当たり前な絵になっててよくない。

編集:それに近いことを安西水丸さんもおっしゃってましたね。

伸坊:もともと最初に持っていたニュアンスってのが出る。水丸さんはある時それに気が付いたんだね。


*9 山下清(1922-71) 「裸の大将」「日本のゴッホ」と呼ばれ人気を博した放浪の画家。幼少時に病気の後遺症で知的障害となり、入園した養護施設「八幡学園」で貼り絵を始め、才能を開花させる。16歳で初個展、高評価を得る。18歳の時に放浪の旅に出て各地の風景を作品にしたが、制作は旅先ではなく八幡学園や自宅で行い、抜群の映像記憶力を有していたとされる。後年は東海道五十三次の制作に取り組むが、脳出血により49歳で逝去。

■自信を持つことの強さ

伸坊:水丸さんは最初からものすごく絵のこといろいろ考えてた人で、電通に入ったのもイラストレーターになるためだったって言ってるんだよ。次にアメリカの広告代理店に入ったのもイラストレーターになるため。で、日本に帰って来て、平凡社に入ってデザイナーになるんですよ、まだイラストレーターにならない。

伊野:まだならない(笑)。

伸坊:その時にオレを使ってくれたりしたんだけど(笑)、そこではイラストを発注する側の気持ちを知っておきたかったって言うんだよ。えっ、そんなに考えてるの〜、ホントかよ〜? って思ったけど、きっとそうなんだよねー。すごいよねー。

伊野:確かに、イラストレーションの仕事をしようと思うと、相手のことまったく知らないよりは知っておきたい。同じバイトするなら出版社やデザイン事務所の方がいいんじゃないかと思いながら、19年間ずっと喫茶店でバイトしてました(笑)。でも僕思うんですけど、仕事相手のことが分かりすぎると、相手の範囲内でしか絵が描けなくなってしまいそうな気もする。物分かりの良さも必要だけど、意外性を必要とされる立場でもあるから。だから水丸さんのおっしゃることはどこまで本気だったか分かりませんけど、ま、電通入って、アメリカ行って、平凡社入ってってなると、大概の人はイラストレーターになれません(笑)。

伸坊:水丸さん、ものすごい自信家なんですよ。まず「自信を持った」ことが強いと思う。あれは誰にでも出来ることじゃない。

伊野:水丸さんは「面接で落ちる気がしない」「試験で落ちる気がしない」って言ってましたもんね。

伸坊:オレはあらゆる試験に落ちたから(笑)。「入ろうと思えば入れる」って思う人には入れるのかもしれない。

伊野:そういうもんなのかなー(笑)。

伸坊:子どもの時の育ち方みたいなのもあるかもしれないね。水丸さんはお坊ちゃんなんだよ。病弱で千葉の千倉ってところに転校して、「風の又三郎」みたいに田舎の子たちの中に都会の子が入ってってさ、いじめられたりもしたみたいだけど。イラストレーターってけっこう多いんだよ、お坊ちゃん。湯村さんも、矢吹申彦*10さんもお坊ちゃんなの。なぜそれがいいかっていうと、もともとが大らかなんだね。アプリオリ(先験的)に自信が持てる。

10-4_青の時代

安西水丸『青の時代』(青林堂/1980)より
漫画雑誌『ガロ』で1974〜77年に不定期連載された短編をまとめたもので、表題作は千倉で過ごした作者自身の少年時代の生活を下敷きにしている。

 

伊野:昔の画家もお坊ちゃんが多いですよね、小説家とかも。そうするとお坊ちゃんじゃない人は希望が持てなくなりますけど。裕福か貧乏かというより、小さい頃に溺愛されたってことなのかもしれないですね。

伸坊:いやいや、別にお坊ちゃんじゃなくたって、自信が持てる人は強いですよ。絵に表れるんだね、自信があるかないか。だって、オレだったらコレ、出せないなって絵がいっぱいある(笑)。それにしても、亡くなってからもあんなに人気があって、本が次々出るのって尋常じゃない。それだけ人を惹きつけるものがあったんだよね。

(後編に続く)


*10 矢吹申彦(1944-) 1967年よりフリーのデザイナー、イラストレーターとして活動。70年湯村輝彦、河村要助と「100%スタジオ」結成(〜74年)。69〜75年『ニュー・ミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』)のアートディレクションと表紙を担当。レコードジャケットなど音楽関連の仕事が多く、他に書籍・雑誌の表紙や挿絵等を手がける。


取材・構成:本吉康成


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino10回アイコン-伊野1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami10回アイコン-伸坊1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。

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