第10回後編 ヘタうま② 「ゆるさ」を絵の魅力と捉える価値観|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第10回後編 ヘタうま② 「ゆるさ」を絵の魅力と捉える価値観


イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションの現在・過去・未来と、そこに隣接するアートやデザイン、
漫画などについてユル〜く、熱く語り合う、連続対談。

意図的に「へた」に描いた絵には、どこかわざとらしさがつきまとう。
子どもの絵やアウトサイダーアートのような崩れた線や形の魅力を引き出す
「ヘタうま」の極意は、一体どうすれば獲得できるのだろうか。

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第10回アイコン

■子どもの頃に描いていた絵でいい

伊野孝行(以下、伊野):安西水丸さんが生徒に言ってたらしいですけど、「うまい人は止まらなくなっちゃうんだ」って。うまさっていうのは目標が定めやすいから技術も積み重ねやすい。僕もうまく描けちゃうと、自分で「ヤバイんじゃないかな」って思うんですよ、この方向でいいんだろうかって。

南伸坊(以下、伸坊):え〜? もうどんどんうまくなっちゃっていいんじゃないの。それに拘らないくらいになっちゃえばいいんだから。

伊野:いや、前言撤回。そう心配するほどはうまくなってないか(笑)。でも、達者やうまさってある意味気持ちいいんですよね。見る方も気持ちいい。へたな絵を見る快感とは種類が違うんだけど。

水丸さんは最初に描いた絵が一番いいって気付いてから仕事がますます早くなったっとか。

伸坊:何が「いい」のかって考えたんだよ。アメリカに行ったでしょ、むこうでナイーブアート*11に触れてるんだけど、誰かが集めて来たのを展覧会で見るんじゃなくて、実際にそれを描いてる人を訪ねて見てたりする。そういうところで「あっ」と分かったんだろうね。自分が子どもの頃に描いた絵に似てたってことじゃない? つまり子どもの時に描いた絵でいいんだって、いきなり分かったんだよ。ピカソも、ものすごく悪達者にうまい絵が描けるようになっちゃったことに気付いてから、子どものように絵を描こうとするんですよ。

伊野:「悪達者」って言葉があるんですね。

伸坊:本人はそう思ってたと思うな。「悪達者」って、つまり、ものすごくうまいんだけど「迫って来ない」。

伊野:湯村さんが言うところの「うまヘタ」ですね。

伸坊:ピカソのお父さんは絵描きで美術教室をやってたけど、息子の方が上達しちゃって、自分で絵描くのをやめちゃうぐらいだから。そのぐらい上達しちゃって、子どものような絵描いてるヒマがなかった。それでルソーとかピロスマニ*12みたいな絵を見て「いいなあ」って思っちゃうわけだよ。でも描けないんだよ、いったん大人になっちゃってるから。で、無理矢理にでも描いて、無意識に描けるようになったんだね、ピカソは。

伊野:あれは無意識ですか。

伸坊:「無意識の力」を引き出す術を編み出したんだと思うね。ものすごく無理矢理な時あるじゃん。ピカソの絵、全部見たわけじゃないけどさ。

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ニコ・ピロスマニ「女優マルガリータ」(1909/グルジア国立美術館所蔵)
マルガリータとの出会いから15年後に描かれた作品。


*11 ナイーブアート(素朴派) 広義には、正式な美術教育を受けていない者が制作した素朴で独創性が際立つ作品のこと。他に職業を持ちながら個人的な楽しみとして独学で始めた作家が多い。狭義にはヘンリー・ダーガー(1892-1973)などのアウトサイダーアート(アールブリュット)を指すこともある。作家ごとに画風はさまざまだが、外部の評価を意識しないため、作者の内面や個性が素直に反映された作品が多い。


*12 ニコ・ピロスマニ(1862-1918) グルジア(旧ロシア帝国の一部)の画家で、素朴派、プリミティヴ派に分類される。独学で絵を始め、ロシア美術界で一度は評価されたが、幼稚な画風であると非難され、不遇のまま死去。死後再評価され、放浪の画家として広く愛されている。またフランス人女優マルガリータとのラブロマンスで知られ、日本では「百万本のバラ」として歌われヒットした。

 

■「無意識の線」で描けた絵を自信持って出せる素質

伸坊:湯村さんも水丸さんも、普通の意味ではうまくはないんだよ。よく言われるような、もともと上手な人が崩しているんじゃない。へたの素質がある。「無意識の線」が出てしまう素質が。その素質は何かって言ったら、「自信」だろうな。自分がいいと思ったものに対して自信が持てる。オレだって、ヘロヘロって描いたのが「オッ、なんかいいな」って思うことあるけど、でもそのまま出したらまずいって思っちゃうじゃん。

伊野:何の努力もしないで描けちゃったものに対して、普通はなかなか自信が持てないですよね。これでカネもらっていいの? って(笑)。苦節ウン十年でやっと描けた絵っていうのは、努力が自信につながるかもしれないけど。

伸坊:アハハ、何の努力もなし(笑)。だけどさ、「オレがいいと思ったんだからいいんだ」ってのが自信じゃん、そう思えるのがすごいんだよ。写真みたいにうまく描くってのは、時間かければ出来る。やってる間は面白いよ、どんどんうまくなって来た! ってさ。でも、見せられる方は、そんなのなんでもない。

伊野:僕は子どもの頃から「ヘタうま」の絵をへただと思ったことは一度もないです。最初からうまいと思ってた。湯村さんのことは、ヘタうまの帝王だって知らずに見てたけど、ヘタうまの中じゃこの人の絵が一番すごいと直感的に分かったし、ルソーの絵だって最初からいいと思ってた。ピカソはどう反応していいか分らなかったかもしれません。天然モノじゃないからかな?
 

■「ゆるさ」を価値として受け入れる

伸坊:西洋の人は写真のように描かれた絵がいいんだってずーっと思ってたわけじゃない? そうじゃないんだ、そんな風に描いてなくたっていい絵はあるじゃないって、いろいろ見たら分かるよって(笑)。

伊野:今、日本では一般的に「ゆるさ」というのは一つの価値観になってますけど、それは最近になって気付いたわけじゃなくて、もともと分かってたんですよね。

伸坊:分かってたんだよ。

伊野:この対談も「ゆるい対談」として連載されてますが(笑)。日本人は伝統的にへたを「ゆるさ」として受け入れていたんですが、それをうまくてかっちりしたものと比較して、短い言葉で明確に説明したのはさっきの湯村さんの「ヘタうま理論」だと僕は思ってるんです。

編集:ゆるさ、突き詰めないよさと言うんですかね。

伊野:でも、理論になると完璧になっちゃうから、僕は一時期へたじゃなきゃいけないって強迫観念に囚われてた。真面目な人間ほど生き方がへたなように、絵に真摯に向き合うならへたになって当然だって。まー、そんなことないんですが(笑)。ありもしない縄で勝手に自分を縛っていたわけですね。「無縄自縛」ですよ。そういう意味では突き詰めてしまいましたね。ゆるさがなかった。

「ヘタうま」の命名って、和田誠さんが「湯村君の絵はへただけどうまいんだよね」って言ったのが最初ですよね。和田さんは中学生の頃、清水昆が同時代の近藤日出三*13の絵を批評した「欲を言えば、描き足りぬように描く工夫がほしい」という言葉にものすごくシビレたらしいです。「描き足りぬように描く工夫」というのはその後の和田さんを象徴してるし、ある時期の日本のイラストレーションのセンスの良さってそういうとこですよね。

編集:和田さんの絵にもデフォルメの要素があるし、必要以上に細かく描かないというのもありますよね。

伊野:逆に「描き足りる」ようにしたくなる気持ちも分かるんですけどね。そこで方向性が分かれちゃうんですね。


*13 近藤日出三(1908-79) 1928年岡本一平(1886-1948)に入門、同年『東京パック』から漫画家デビュー。32年横山隆一(1909-2001)らと「新漫画派集団」結成、40年「新日本漫画家協会」を設立、機関紙『漫画』編集に関わる。第二次世界大戦後は主に読売新聞で政治風刺漫画を描き、似顔絵の名人と言われた。64年に設立された「日本漫画家協会」の初代理事長も務めた。

 

■湯村輝彦=「ヘタうま」そのものか!?

伊野:「つきしま かるかや」って展示が日本民藝館*14であって、「つきしま(築島物語絵巻)」*15という室町時代のだったかな、完全なアウトサイダーアートの絵巻がものすごく綺麗な状態で残っているんですよね。名のある絵師が描いたものではないので、誰かが「これは残しておかないと」ってずっと思い続けてないと今にまで残らない。へたを価値として認めている文化が連綿とあったという証拠ですよ。

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「つきしま かるかや – 素朴表現の絵巻と説話画」パンフレットより
2013年に日本民藝館で開催。「つきしま(築島物語絵巻)」(日本民藝館所蔵)や現存最古の絵入本「かるかや(刈萱)」(サントリー美術館所蔵)など「素朴絵」を展示した。

伸坊:民藝運動*16が見出したものってそういうのがありますよね。そもそもピカソがルソーやピロスマニの絵を買って持ってたわけじゃないですか。欲しいと思ったから買った。ピカソは自分の絵よりいいと思ったから買ったんでしょう。

伊野:山本周五郎の「さぶ」という小説で、さぶの書く字はへたなんだけど「お前の字はいい字だ」と言われる話がありました。ま、それは作り話だけど。そういうのってあるわけですよね。

伸坊:そうです、「いい」んだね。湯村さんが「ヘタうま論」を展開した頃、ちょうどそれを前面に出してる人がいなかった、というのもありますよね。

伊野:その時代って、ちょうど世の中的にも「素人が面白い」というのがありましたね。ところで、都築潤*17さんが『日本イラストレーション史』*18で「湯村輝彦だけがヘタうまだ」みたいなこと書かれてませんでした? それって一体どういうことなんでしょうね。確かに「ヘタうま」を改めて定義したのは湯村さんだけど、そういう括り方をすることで何か見えて来るのかなって。

伸坊:えっ、なにそれ?

編集:「ヘタうま」というジャンル=湯村輝彦そのもの、という意味じゃないですか。

伸坊:湯村さんが「へた」と「うまい」をくっつけて4つに分類して、それが分かりやすい感じがしたんだろうけど、そういう絵のよさって日本ではもう大昔からあるんですよ。ヨーロッパでも近代になってそういうものに目を向けるようになったわけで、湯村さんの絵だけがヘタうまって、それはおかしい。

編集:都築さんは都築さんの考え方でイラストレーション史をまとめていく試みをされているので、それに対して違う考え方を提示することはアリだと思います。

伊野:評論ですからね、評論に対する評論。都築さん、悪口じゃないっす(笑)。

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『美術手帖』(美術出版社/2010年1月号) 特集「日本イラストレーション史」 表紙は山口はるみ。
単行本はJR東日本「SUICA」で知られる坂崎千春のペンギンキャラクターが表紙。

 
伸坊:イラストレーションの絵って、もともとある意味「ヘタうま」なんだよね。例えば、ベン・シャーンの絵、ヘタうまでしょ。形が歪んでるとか線がかすれてるとか、そういうのは昔からある。それがスタイルになっちゃったんだよね。

伊野:そうなんです。僕が嫌いなのは、わざとっぽくデフォルメしてイヤな感じになってるやつ。結局なんか典型的な形になっちゃってる。

伸坊:いつも思うのは、こういう形の崩れ方がいいなって思って自分でやると、わざとらしくなっちゃう。で、いいと思ったものと自分が描いたわざとらしいもののどこが違うのかって、そこが分からない。イヤな感じってのは分かる。そのことを言ってたのかもしれないね、水丸さんは。

編集:ヘタうまはよくリアルの対立概念のように言われますが、必ずしもそうではなく、ブームの時期もかなり被っているし、ヘタうまがスーパーリアルを駆逐したわけでもないですよね。

伸坊:それはいつの時代も同じなんですよ。同じようなのが続けば飽きるんだよ、飽きたら違う新しいイメージを持って来なきゃいけない。アニメみたいな絵がTISの会員が描いてるようなイラストを駆逐したみたいに言われて、怒るって違うんだよね。しょうがないの、それは。ある種「イラストっぽい」絵のスタイルになっちゃった、イラストレーションが。だけど、どっちの絵が面白いのか分かってない人が飽きて、「こっちが新しい」って言っちゃってるのは確かなんだよ。

伊野:世の中の流れがこっちだから自分たちはもう終わった存在だみたいに言う人もいるけど、僕はそれは違うと思いますね。お隣さんの描いてる絵がこっちにも見えるようになったというだけでね。あっちはあっちでいろいろ悩みを抱えてると思う。

(第11回は5月15日より公開予定です)


*14 日本民藝館 民藝運動の提唱者である柳宗悦(1889-1961)が1936年設立した美術館。日本各地の陶器や漆器、木竹工、織物などの日用工芸品、美術界で正当に評価されていない無名の職人による美術工芸品など、柳の審美眼によって選ばれた民衆的工芸品約17,000点を収蔵・展示する。所在地は目黒区駒場で、柳の自邸に隣接。実業家の大原孫三郎(1880-1943/大原美術館の設立者)が経済援助した。柳が初代館長で、現在はインダストリアルデザイナーの深澤直人(1956-)が館長を務める。


*15 つきしま(築島物語絵巻) 日本の絵画史上でも素朴美の極みに達したと評されている室町時代の絵巻物。平清盛が大輪田泊築港の際に人工島(築島)に人柱を立てたとする悲話を描いたものだが、人物描写のゆるさや奇妙な遠近感など、どこかほのぼのした雰囲気が漂う。柳宗悦が自ら編集に携わった『工藝』63号(1936年)で特集した。


*16 民藝運動 民衆の日常の生活の中で使われて来た日用品の中に美を見出す、日本独自の芸術運動。雑誌『白樺』同人で西洋美術の紹介を行っていた柳宗悦は、民衆的工芸品の素朴な美を広めるべく、1926年に陶芸家の河井寛次郎(1890-1966)、濱田庄司(1894-1978)らと連名で「日本民藝美術館設立趣意書」を発表し、民藝運動を展開した。英国人陶芸家バーナード・リーチ(1887-1979)らも運動に協力した。


*17 都築潤(1962-) 日本グラフィック展、日本イラストレーション展、ザ・チョイス年度賞などを受賞。80年代よりイラストレーターとして活動する一方で、イラストレーションや隣接するアート、デザインに関する論考・著述を行い、近年はそれらのジャンルの枠を取り払い「絵」について思考を続ける。


*18 『日本イラストレーション史』 『美術手帖』2010年1月号(美術出版社)の特集で、単行本は2010年10月に刊行された。都築潤と福井真一(1958-)が共同監修。10のキーワードから戦後日本のイラストレーションの歴史を紐解き、1950年代〜2000年代に活躍し一時代を築いたイラストレーターへのインタビューを実施している。


取材・構成:本吉康成


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino10回アイコン-伊野1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami10回アイコン-伸坊1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。

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