第11回前編 ヘタうま③ 無意識の形や線はどうしたら描けるのか|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第11回前編 ヘタうま③ 無意識の形や線はどうしたら描けるのか


イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションの現在・過去・未来と、そこに隣接するアートやデザイン、
漫画などについてユル〜く、熱く語り合う、連続対談。

「へたな絵」には、意図しない形の歪みや線のズレが醸し出す面白さがある。
うまい人がわざとへたに描いた絵からは、決してその魅力は感じられない。
では、どうやってその「無意識」の境地に至るのだろうか。

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第11回アイコン

 

■不完全ゆえに面白い「未完成の魅力」がある

南伸坊(以下、伸坊):「ヘタうま」ってみんな言うけど、納得してんのかな、何がいいのか。

伊野孝行(以下、伊野):どうでしょう。

伸坊:単にへたなだけの絵もあるんだって、そこを分かってない気がするんだけど。

伊野:そのニュアンスを言葉で言い表すのはなかなか難しいですね。

へたな絵の魅力の一つに「未完成」というのがあると思うんですけど、伸坊さんが子どもの頃に見た職人さんの絵の話が印象的で、何の職人でしたっけ?

伸坊:ああ、マッチラベルの絵?

伊野:職人さんが作るのをそばでずっと見てるんだけど、だんだん完成されていくとつまらないっておっしゃってたのって、マッチラベルでしたっけ?

伸坊:あー、それは「絵ビラ」*1っていう手描きのポスターね。模造紙がどーんとあって、50枚とか100枚とか、おんなじ絵をずっと手描きで描く。最初はすごく気持ちいい絵なんだ。色がキレイで、黄色とか水色とかピンクとか、ところが最後にあ〜って思うのは、文字を入れなきゃいけないじゃないですか、「新装開店」とか。ポスターだから文字を入れてくとどんどんつまんなくなってっちゃう。

伊野:その気持ちすごく分かります。部分部分で進めていくから、これは何の形だろう? って意味不明なとこも含めて、形や色そのものが気持ちいい。どうなっていくかの過程も楽しい。でも最終的な形が見えてくるとつまらなくなる。完成されたものにはつまらないものが多いと僕は思っていて、「日展」*2とかの団体展の絵がいまいち好きになれないのは、どの絵も完成されてるからなんですよね。未完成な絵って、絵の向こうからこっちの想像力を引っ張ってくれるんですよ。完成された絵だと気持ちが遊べない。

伸坊:こないだ、川瀬巴水とか田中一村の悪口言ってたじゃん、二人で。川瀬巴水になくて井上安治にあるものってのが「未完成の魅力」だよね。

伊野:今日は答えがすぐ出たじゃないですか(笑)。よく「作品の半分は見る側が作るものなんだ」って言い方をしますが、絵もやっぱりそうで、未完成って実は「完成された未完成」なんですけど、自分の想像力と絵の方から引っぱる力とで、ちょうど「ここで合う」感じがある。

伸坊:全部描いてないけど、感じが伝わるでしょ。それは自分が感じているからなんだよね。

伊野:自分の気持ちっていつもカチっと決まってるものじゃなくて、不定形で絶えず動いてるものですが、それを受け止めてくれるものが未完成なものにある感じがします。カッチリ完成した絵には、こっちが絵に従うしかない。その絵がすごけりゃ喜んでひれ伏すけど、ただ完成されてるだけでは退屈なんです。未完成な絵もアリだって気付き始めたのは、ヨーロッパではずっと後の時代ですね。

伸坊:そうだね、ヨーロッパでは神の域に近付くことが理想だから。

伊野:セザンヌが塗り残したまま筆を置いたのも、描いてる時に不意に訪れた「完成の瞬間」を見逃さなかったからでしょう。

無意識、未完成って、バックボーンとして東洋的な思想、老荘思想*3とか禅とか、そういうものの影響がありますよね。僕は伸坊さんの『李白の月』や『仙人の壺』などの中国モノの漫画が大好きなんですけど、夏目房之介*4さんも解説で伸坊さんの漫画を枕元に置いてるって書いてました。まさに伸坊さんの漫画は夢のような、意識と無意識の間にある不思議さなんですよね。

伸坊:うへぇー、そんな風に言っていただいちゃって、ありがたいことです(笑)。

11_1李白の月

南伸坊『李白の月』より「月下の怪」
『李白の月』(マガジンハウス/2001)は中国の古典文学をベースにした不可思議な物語を漫画とエッセイで描いた作品。筑摩書房から文庫化(2006)もされた。『仙人の壺』(新潮社/1999)の姉妹編に当たる。

 

伊野:荘子の中の「混沌」って話は、あるところに「混沌」という名前のすごく魅力的な人がいたんだけど、顔を見ると目も鼻も口もぐちゃぐちゃだった。みんなで目鼻をきちんと整理してあげたら何日か後に混沌さんは死んでしまった、という話で。さかしらな分別を持ち込むと魅力というのはなくなってしまう、何千年も前の中国の人はちゃんとその重要さに気付いていたわけですね。安西水丸さんが言った「うまい人はうまさが止まらなくなる」っていうのも、そういう危うさがあるんですね。

伸坊:そういうことを言ってたんだなって分かるよね。水丸さんの絵がそうだし。

伊野:へたな絵は自分に「気付き」を与えてくれるんですよ。


*1 絵ビラ 街頭での貼付や配布を目的に作られる絵入りの印刷広告物。江戸時代から存在し、明治時代〜昭和初期にかけて多く作られた。商品広告など特定の絵柄を入れたものと、美人画や縁起物など流用が利く絵柄を入れたものがあり、後者は注文に応じて店舗の名前などを書き入れて使用された。


*2 日展 日本美術展覧会の略称。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門がある。1907(明治40)年に文部省第1回美術展覧会(文展)が開催され、その後改組などで「帝展」(1919〜34)「新文展」(1937〜43)と名を変え、第二次大戦後の1946年に第1回日展が開催された。当初は日本芸術院主催だったが、58年より社団法人日展の主催となり、2012年には公益社団法人化されている。


*3 老荘思想 中国の春秋戦国時代の思想家であった老子と荘子を合わせた思想。その根幹は「道」にあり、道徳や秩序を掲げる孔子や孟子の「儒家思想」とは異なり、「無為自然」(ありのまま生きること)を善とする「道家思想」を形成する。老荘思想では事物の価値観は絶対的なものではなく、立場や見方によって変わる相対的なものである。


*4 夏目房之介(1950-) 漫画家、漫画評論家、エッセイスト。夏目漱石の孫。雑誌編集者を経て、イラストレーター、ライターとして活動開始。『週刊朝日』での漫画コラム連載をきっかけに、漫画評論を開始。それまでのストーリーを主体とした評論とは異なり、コマや描線に着目して絵から内容や文法を読み解く手法で「漫画表現論」の研究領域を開拓。

 

■自分が意識しない線や形をいかに生み出すか

伸坊:マティスってさー、どういうことでああいう絵になったの? 美術学校には行ってるんだよね。

伊野:人物デッサンとかめちゃくちゃうまいですよね。ちょうど彼らは絵画が写実からどんどんズレていく過渡期にいたので、若い時はみんなデッサンうまいんだけど。

伸坊:マティスがもしそうだとしたら、工夫したんだね。ものすごく速く描く、とかさ。あの切り絵もさ、ハサミって自分の思う形にならないでしょ。そういう工夫をすると、自分が意識して描く絵とは違う形が出て来る。

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アンリ・マティス『HENRI MATISSE:The Cut-Outs』(Museum of Modern Art)図録表紙 2014年にMoMA(ニューヨーク)で開催された、マティス最晩年の切り絵作品を取り上げた大規模な回顧展の図録。表紙は「ブルーヌード」と題されたシリーズの1点。

 

 

伊野:うん、マティスが教会の絵を描く時に、ものすごく長い柄にチョークをつけて描いてる写真あるけど、あれだと意のままに自由に操れないと思います。そこを狙ったのかもしれませんね。

伸坊:なんかそういう、「ここをこうして」って自分の頭で操作するのではない形を探る、そういう工夫をしたと思いますね。

伊野:それともう一つは、四角い画面の中という前提で、どんな形が面白いかなってのは常に考えてたと思いますね。形を歪ませる時に、ただへたっぽく描くんじゃなくて、画面を意識することでデフォルメの形が出来てくる。灘本唯人さんの絵もそういう崩し方ですね。

編集:灘本さんは基本的にあまり背景を描かないけど、矩形は意識していたみたいです。

伊野:描かれた人物よりも描かれてない余白がどんな形をしているのかの方がむしろ重要だという。

伸坊:今言った、自分が意識して出せない線や形を生むためにみんなけっこう工夫してるよね。ピカソなんかもそうだと思うけど、ものすごいスピードで描くっての、篠原有司男が『前衛の道』*5って本書いた時に、中にものすごいイラストが入ってるんですよ。もう、冗談みたいに早く描いてんですよ。

伊野:あーこの間古本で買いました。造本もかっこいい本ですよね。凝ってて。篠原さんはヘタうまブームよりずっと前ですが、のちの世代に影響あるのかもしれないですね。

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篠原有司男『前衛の道』より「狂乱のホワイトハウス」

 

*5 『前衛の道』 美術出版社から1968年に刊行された前衛芸術家・篠原有司男の自伝。ボクシング・ペインティング、オートバイ彫刻、巨大絵画など、1950年代後半からの活動の軌跡を伝える。2006年にギュウチャンエクスプロージョン! プロジェクト実行委員会より復刊。

 

■「うまく描こうとしない」のは難しい

伸坊:熊谷守一が『へたも絵のうち』の中で「下品な人は下品な絵を描きなさい」って書いててさ、面白いよねえ。で、「へたな人はへたな絵を描きなさい」って続くんだけど、すごいこと言うなあって(笑)。「お前は下品なんだから下品な絵を描いてろ」って、そういうことじゃなくて、それぞれが自分を出せばいいんだって。でも「下品な人」っていきなり始めるとこが、ちゃんと言いたいことある人の言葉の選び方なんだよね。

伊野:熊谷守一は言葉遣いが面白い人ですよね。本人は「仙人」と言われるのは嫌ったそうだけど、僕も全然仙人ぽくないと思う。

もう亡くなられましたけど、昆虫を観察して写実的に描いた熊田千佳慕*6さん。ものすご〜く貧乏で、いつもは水彩で描いてるんだけど、一度油絵で描いてくれって注文された時に油絵具がなくて、奥さんがなけなしの金をはたいて何色か買ったとか、廃品回収の人が油絵具拾ってきて「これ使ってみたら」ってくれたとか、極貧のエピソードが残ってる。毎日庭に這いつくばって虫たちを観察してた熊田さんが蟻の歩き方を言うのなら分かるけど、熊谷守一はそういう科学的な観察してるわけじゃないですよね。「蟻は左の二番目の足から歩き出す」っていうのはありゃ嘘でしょ、なんであの言葉にみんなコロッと感心してしまうのかなって(笑)。でも言葉の威力を知ってますよね。

伸坊:アハハハ。そうか、そうだね。からかってたのか。

編集:熊谷守一が描く線や形って、イラストレーターへの影響力がありますよね。

伊野:ずっと蟻や蝶々見てたってあの絵は描けないですよ、思い切った飛躍がないと。そこがデザイン的ではあるんだけど、デザイナーやイラストレーターで熊谷守一みたいな絵を描く人ってたぶんいると思う。でも20枚ぐらいしか続かないと思います。それ以上描くとマンネリになる。熊谷は延々描き続けて、しかもどの作品も同じじゃない。あのスタイルが固まって来るまでに、絵に対する疑問がすでにいろいろ出ていて、それに答えていくだけでもとても充実した絵が描ける感じで。この前、近代美術館で初めてちゃんとまとめて展示を観ましたけど、感動しましたね。

伸坊:あの展覧会には出てないけど、雨だれの水墨画があるんですよ、それ、すごくいい。雨だれが描いてあるだけの掛軸(笑)。

伊野:へー、見たいな。僕は熊谷はスタイルを守ってる人かなって思ってたんですけど、単なるスタイルじゃないですね。どの絵にも発見があるからずっと見ていられる。熊谷守一は若い頃に無数にある音の振動数や組み合わせを順番に計算していったことがあるらしいんだけど、絵も無限にある色と形の組み合わせの研究をやってるっていう感じ。

編集:岡本太郎*7が「自分の頭で考えてること、それをうまく描こうとするな」と言っていて、熊谷守一も同じように思っていたかもしれません。「頭で思ってることが絵に出るからつまらなくなるんだ」と言ってます。

伸坊:最初はうまく描きたいと思うよね、普通は。

伊野:ですね。今回、熊谷守一を若い時からまとめて見ることが出来たし、去年は萬鉄五郎の全貌が分かる展示を見た。二人とも最初から絵のセンスは抜群。長生きしたのと早死にしたのとの違いはありますけど。自分の表現を発明した熊谷と、いろいろあっち行ったりこっち行ったりする萬鐵五郎。

伸坊:萬鐵五郎に関してはさ、青森だったかな、あっちの美術館に寄贈されたデッサンとかがあって見たんだけど、もう笑っちゃうぐらいに無理やりなの。つまり、意識的に崩すことを考えてる。藝大にいた頃のデッサン、ものすごくうまいじゃない。熊谷守一も油絵とかうまいんだよね。なかなかうまく描けない人は「もっとうまくなろう」ってずーっとやってるけどさ、うまく描けちゃうとなんとかしたくなるんだろうね。そのまんまじゃつまんなくて。

(後編に続く)


*6 熊田千佳慕(1911-2009) 絵本画家、グラフィックデザイナー。東京美術学校卒業後、長兄・熊田精華(詩人 1898-1977)の友人である山名文夫に師事。1934年デザイナーとして日本工房に入社、山名や写真家の土門拳とともに『NIPPON』制作に携わる。第二次大戦後は挿絵や絵本の画家に転身、花や昆虫をつぶさに観察して描く細密画で知られ、日本のファーブルと呼ばれた。


*7 岡本太郎(1911-96) 美術家。父は漫画家の岡本一平、母は歌人の岡本かの子。東京美術学校在学中の1930年、父・一平の仕事で渡仏、両親の帰国後もパリに残り40年まで滞在。戦後の48年に「夜の会」を結成し、前衛芸術活動を開始。60年代のメキシコ訪問で壁画運動の影響を受け、以後壁画やレリーフ作品を多数制作。70年には大阪万博のシンボルともなった太陽の塔を制作。テレビ出演も多く、出演CMの「芸術は爆発だ!」は流行語大賞となった。


取材・構成:本吉康成


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino伊野自画像その111971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami第11回アイコン_南1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。

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