第13回前編 シュールな絵は好きですか? シュルレアリスム①|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第13回前編 シュールな絵は好きですか? シュルレアリスム①


イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションを軸に、古典絵画や現代アート、漫画、デザインなど
そこに隣接する表現ジャンルについてユル〜く、時には熱く語り合う。

ちょっと不思議な表現を、よく「シュールだ」と形容する。
その語源になっているのがシュルレアリスム(超現実主義)という芸術運動。
運動としては過去のものと思われているが、その思想は今も生きている。

連載『イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談』の一覧を見る

第13回アイコン_伊野_伸坊

■シュルレアリスムはイラストレーションにも影響を与えている

伊野孝行(以下、伊野):前からちょくちょく出て来ますが、今日はシュルレアリスムの話とかどうですか。よく分からない不思議なものに対して一般の人でも「シュールだね?」と口にする。「酒場放浪記」の吉田類*1さんって何やってたか結構ナゾな人物で、経歴には若い頃にフランスで「シュールアート」を勉強したって書いてあって、「なんだよシュールアートって(笑)、シュルレアリスムじゃないの?」って突っ込んじゃいました。ま、それくらい流行して一般化されてる言葉や感覚で、僕も分かったようなつもりだったんだけど、本当のところどういうものなんでしょうね。

南伸坊(以下、伸坊):シュルレアリスムは「流行」や「運動」として捉えられてるけど、本当は絵の見方だったり描き方だったりの「考え方」だからね。オレはシュルレアリスムはまだ終わってないと思うし、その本当の面白さはみんなまだ分かってないんじゃないかな。

編集:シュルレアリスム的な表現は「暗い」「不気味」とかネガティブなイメージで、昨今の広告や雑誌ではあまり使われていませんが、イラストレーターの展覧会を見るとそういう絵を描いている人は結構いますし、なんだかんだでシュールなテイストが好きな人は多いですよね。

伊野:楽しいですからね、ああいう絵を描くのは。感覚に従ってる感じで。今、新しいと言われているものも、実はシュルレアリスムの中ではすでにやられているものが多い気がします。

伸坊:アンドレ・ブルトン*2って人はけっこう狭量な人だったらしいけど、シュルレアリスムって「それはもう誰かがやってる」とかって言わないと思うし、そこがいいんじゃないかな。最初にあったのは、「無意識」。「自動記述」*3っての発明したのもこの無意識の探究だし、フロイト*4の考え方が当時の最先端だったのを取り入れたんだけど、この「無意識」が「絵を描く」ってことの今日的なテーマになるんじゃないかって思ってるんだけどね。

伊野:ああ、「それはもう誰かがやってる」って言わないのがシュルレアリスムなんですか。心が広いですね。

伸坊:だって特許競争じゃないから。

13-1_AndreMasson

アンドレ・マッソン「Automatic Drawing」(1924) ニューヨーク近代美術館所蔵 ©Andre Masson / Museum of Modern Art(N.Y.)
アンドレ・マッソンによる自動ドローイング作品。

 

*1 吉田類(1949-) 文筆家、俳人、画家。幼少時から俳句や詩作、絵画制作を始め、シュールアートに傾倒。高校卒業後、パリに渡りヨーロッパ各地を放浪しながら絵画の勉強と制作を行う。帰国後はイラストレーターに転向、1990年代よりライターとして旅や酒場に関する執筆を行い、酒場をテーマにしたテレビ番組で人気を得て「酒場詩人」と呼ばれる。

*2 アンドレ・ブルトン(1896-1966) フランスの詩人、文学者。1910年代より象徴派の詩人として活動、初期ダダ運動に加わるが間もなく決別。1924年に「シュルレアリスム宣言」を起草し、シュルレアリスムの創始者として運動の中心的存在となり、文学や美術など多方面に影響を与えた。その反面、過激な言動などからしばしば対立を生み、シュルレアリストの多くはブルトンの元を去った。

*3 自動記述 自分の意識とは無関係に動作を行う現象(心理学用語で「筋肉性自動作用」=オートマティスム)を用いて筆記を行うこと。オートマティスムには神的・霊的な「憑依」によるものもあるが、アンドレ・ブルトンは半ば眠った朦朧とした意識状態での口述や、異常な速度で書くといった手法で自動記述の実験を行い、のちのシュルレアリスムの重要な要素となった。絵画では、同じくフランスのシュルレアリスト画家アンドレ・マッソン(1896-1987)が自動デッサンを試み、ジャクソン・ポロックのアクションペインティングにも引き継がれている。

*4 ジークムント・フロイト(1856-1939) オーストリアの精神科医で、精神分析学の創始者。精神医学の見地からさまざまな研究や考察を行い、その理論は精神医学の領域を超えて現代思想や哲学、社会科学、芸術にも多大な影響を及ぼした。中でも意識下における無意識が人間の行動に影響するという「無意識」の考察は、シュルレアリスムの拠り所になっている。

■無意識の中で面白くすることを考える

伸坊:「無意識」がいま面白いのは、養老孟司*5さんと話してたら、AI(人工知能)ってのは0と1の二進法で成り立ってるわけだけど、その0と1の間を埋めるのが絵描きが絵を描いたりすることじゃないかって話になってさ。AIって究極の意識なわけだから、絵を描くとか見るとかってことは、感覚とか無意識の領域にあるんじゃないかってなったんですよ。

絵の歴史では「見た通りに描きたい」ってのがずっとあって、理性的に透視図だとか陰影法とかが発明されて写実が出て来たわけだけど、面白いって感じるのはどうもそういう「うまく描かれたもの」じゃない。例えば、岸田劉生が人物の顔に変形加えるよね。冬瓜みたいな形にしたり、そのまま描いたんじゃ面白くないってことだよね。絵を描く人って、いつも面白くしたいんだよ。

伊野:岸田劉生は人の顔が0で冬瓜が1だったのか(笑)。いや、でも0と1の間ですか。なるほど、そうかもしれないですね。

シュルレアルって直訳すると「超現実」だけど、現実を超えたものじゃなくて、強度の現実。「超カッコいい」の超なんですよね。西洋の合理主義と科学の進歩がもたらしたのが第一次世界大戦みたいな悲惨なもので、こういう進み方ってヤバいんじゃないか? って自分たちにとっての確かな現実、つまりシュルレアルを求めて行って……ああいうバカバカしい遊びみたいなことをやってるのが超いいっすね。

この前「ヘタうま」の話をしたけど、あれだって、ああ描いた方がより感じるものがある。絵の中に理屈があぐらをかいてるとつまんないとか、未完成がいいとか、素人の絵がいいとか、たぶん僕らが面白いと言ってるものって、シュルレアリスムの人たちが面白がってた感じと似てると思うんですよね。

伸坊:うん、似てるね。

伊野:あと、岡本太郎が「人類の進歩と調和」*6に反発して「太陽の塔」を作ったり、「対極主義」とか言って矛盾と矛盾をぶつけ合うみたいなみたいなの、子どもの頃はよく分かんなかったけど、あれはまさにシュルレアリスムだなと思いました。逆にあまりにストンと腑に落ちて、僕の中で岡本太郎は分かりやすい人になってしまいましたが。

太陽の塔(万博記念公園「太陽の塔」オフィシャルサイトより)

太陽の塔(万博記念公園「太陽の塔」オフィシャルサイトより)

*5 養老孟司(1937-) 解剖学者。医学や生物学などの広域な自然科学と、社会問題や文化、芸術を結びつけて論じる著書を多く発表。『バカの壁』(新潮新書/2003)がベストセラーとなり、流行語にもなった。南伸坊さんとの共著に『解剖学個人授業』(1998)、『老人の壁』(2016)などがある。昆虫好き、漫画好きでも知られ、京都国際マンガミュージアム初代館長を務めた(現在は名誉館長)。

*6 「人類の進歩と調和」 「EXPO’70 日本万国博覧会」(大阪万博)のテーマ。大阪万博のテーマプロデューサーに就任した岡本太郎は、当初からこのテーマに反発しており、万博のシンボルとなった太郎の「太陽の塔」は、その異様な外観も呪術的な内部展示も実はこのテーマを否定するものとされる。

■「変なもの」は自分の中にある

伊野:話を振っておいてなんですが、シュルレアルと言われていようがいまいが「変な絵」に惹かれてしまうので、シュルレアリスムって括らなくてもいいかもしれない。

自分も描く側なので、どうやって変な感じを作っていくのか知りたいんですね。コラージュをしても、エルンスト*7以上の不思議なものってなかなか作れない。版画と抽象画とコラージュって誰がやっても似ちゃうんですよね、なんでだろ。さっきシュルレアリスムの成り立ちの話をしたのは、自分自身が知らなかったというのもあるけど、なんかグッと押し出されて出て来た、そういう社会的な背景があるのかなって。そういうのなしには、すごく面白いものも出来にくいのかも。

"マックス・エルンスト「百頭女/La

マックス・エルンスト「百頭女/La Femme 100 Tates」表紙絵(1929)
エルンストによるコラージュ文学3部作の第1作目。既製の挿絵をコラージュした挿絵が使用されている。巖谷國士訳の日本語版は河出書房新社より1996年刊行。

 

伸坊:戦争による不安な世相とかってよく言われる、普通では出て来ないものがそれで出たりすることがあるのは分かる。でも、みんな自分の中にわけ分かんないこととか持ってるわけだから、それぞれ工夫すれば出て来るんだと思う。若い頃、「気が狂った人だけが面白い絵を描く」ってなっちゃって、オレもちょっと狂ったりしないとダメなのかなって思ったけど、かといって狂人の絵がみんな面白いかっていうとそうじゃないよね。

伊野:そう、みんな1回は憧れるんですよ、気が狂った人に。全部が面白いわけじゃないかもしれないけど、確率は高いかな。

伸坊:なんで確率が高いかっていうと、普通の人は自分が描かないようにしちゃう。描けないんじゃなく、描くのを規制しちゃってるんじゃないかな。気の狂った人の絵を普通の人が面白いと思うのは、自分の中に同じものを持ってるからだと思うよ。

伊野:たぶん持ってるんでしょうね。絵を描く時に使う頭脳があって、普通の人は理性が邪魔してそれを完全に使い切れないけど、アウトサイダーの人はきっとフルに活用して描いてますね。論理的ではないけど、何かしらの思考がちゃんと絵の中に入ってる。アウトサイダーアート(アールブリュット)の絵って、描く時に脳で消費されるカロリーがすごく高い感じがして、だから我々が見ても脳が刺激されるんですよね。シュルレアリスムは玄人の絵とか素人の絵、アウトサイダーの絵を区別しないで連続したものとして見てる。

伸坊:そう、そこがいいとこだよね。オレ、普通のおじさんもホントは面白い絵を描けるんじゃないかとも思ってる。描かないんですよ、普通のおじさんは。「オレは絵が苦手だから」って、どうして苦手かっていうと、「うまい絵」にしないと大人として恥ずかしいって思うからなんだよ。

伊野:僕の大学の時の友達が、年齢的には立派なおじさんですけど、「絵を描きたい」と言ってLINEで絵を送ってくれるんだけど、うまい絵にしようとしてますね。そのおじさんが失敗だと思ってるのをほめて方向性を変えたいんですけど(笑)。「絵なんて初めて描いた」ってくらいがいい。

伸坊:そうだね。例えば、最近は俳優さんが描いたへたくそな絵をみんなが笑ってて、「画伯」って呼ばれてるじゃないですか。あれはすごくいい傾向だと思うんですよ。最初は笑ってるけど、笑ってるところで何か感じてるものがあるんだよ。イラストレーターでこういうの出て来たら「すごくいい」ってなるよね。新しいんだよね、絵が。

伊野:笑いもちゃんとした評価ですもんね。笑いには理屈じゃなく「なんか可笑しい」っていう、無意識に近いのもある。だからシュルレアルの絵には笑えるのが多いのかも。

*7 マックス・エルンスト(1891-1976) ダダ、シュルレアリスムの画家の一人。ドイツ出身で、のちにフランスに帰化。「幻視」のイメージをコラージュ手法で表現。またフロッタージュ(擦り出し)、グラッタージュ(絵具を何層か重ねてパレットナイフ等で削る手法)、デカルコマニー(転写)などの手法で現れた模様をもとに絵を描くオートマティスムの一種と言える表現を行なった。

■シュルレアリスムはダリだけではない

伸坊:最初にシュルレアリスムが日本に入って来て話題になったのって、ダリだと思うけど、絵を楽しんだっていうとルネ・マグリットとかジョアン・ミロ*8とかじゃないかな。

伊野:伸坊さんが中学校の図書館で最初に見たのはミロなんですよね。その頃って、ダリとかミロぐらいしか紹介されていなかったんですか。

伸坊:シュールっていうとダリですよね。ミロもシュールだけど、学校でシュルレアリスムについて教える時にミロは出て来ない。シュルレアリスムは実は広いんだよね、ダリは派手だから。

『MIRO』(Janis Mink著/Taschen/2016)表紙 ドイツTaschen社が刊行する現代の巨匠シリーズの1冊。画像はハードカバーで、ペーパーバック版は1993年より刊行(日本語版は2002年)。表紙絵は「BlueⅡ」という1961年の作品。

『MIRO』(Janis Mink著/Taschen/2016)表紙
ドイツTaschen社が刊行する現代の巨匠シリーズの1冊。画像はハードカバーで、ペーパーバック版は1993年より刊行(日本語版は2002年)。表紙絵は「BlueⅡ」という1961年の作品。

伊野:僕はミロがシュルレアルの仲間だと思ってなかったな。やっぱり最初はダリ=シュルレアリスムだと思ってた。ダリって分かりやすいから、ダリを見て「シュルレアリスムは分かった」ってそれ以上深くに行かなかった。なかなかシュルレアリスムをしっかり見る機会ってなかったんですが、7年前に新国立美術館でシュルレアリスム展を観て、いろんな絵があって面白かったです。広かったですね、幅が。絵の専門家っぽくない人もいるし、ダリなんてむしろ一部なんだ。その後かな、伸坊さんから巖谷國士*9さんの『シュルレアリスムとは何か』という本を薦められて、とてもいい本でしたね。

伸坊:巖谷さんはシュルレアリスムを一番深く理解した人だと思う。シュルレアリスムはもう終わったってみんな思ってて、まあ空中分解してキリコもダリも出てくしマグリットも離れてった。シュルレアリスムもマルキシズム*10に接近したりしたから、革命に役立つ絵じゃなきゃとか思ったのかな。でも基本、絵を描いてるヤツは理屈じゃないでしょ。ダダの時は「今までのものをとにかくぶっ壊して何か変なことをやれ!」って、もっと極端だったから分かりやすいけどね。ダダだってやっぱり終わってないわけで、赤瀬川さんたちが「ネオダダ*11」って言い出したのは、ダダの面白いとこに感応してたんだと思う。

伊野:ダダからシュルレアリスムに行った人も。

伸坊:繋がってる人は結構多いよね。

伊野:赤瀬川さん的にはダダの方が好きなんですかね?

伸坊:どうかな、聞いてみたことないけど。オレは「面白きゃなんでもいい」がダダだと思ってるから、ダダ好きなんだけどね。何かのために絵を描くとかって全然思わない。シュルレアリスムってもともと詩人が始めているし、ちょっと理屈なんだよね。その前のダダがあまりにめちゃくちゃだったんで、フロイトの「無意識」みたいな最新学問導入したりして、「ただのめちゃくちゃじゃないっス」みたいなところはあったんじゃないかな。

伊野:ほう、そうするとシュルレアリスムの方がちょっと大人だった?

伸坊:じゃね?(笑)

■後編につづく

*8 ジョアン・ミロ(1893-1983) スペインの画家。バルセロナ美術学校で学んだのちパリに出て、アンドレ・ブルトンの誘いでシュルレアリスムに参加。他のシュルレアリストの画家が古典的・写実的表現を主体としていたのとは異なり、デフォルメを効かせた自由奔放な画風で独自の地位を築く。後年は大型の彫刻や壁画なども多数制作。

*9 巖谷國士(1943-) フランス文学者。仏文学の他に美術、映画、漫画、メルヘンに関する著述や講演も多く手がけており、紀行文学や写真も手がける。澁澤龍彦やシュルレアリストの瀧口修造(1903-79)との交流をきっかけにダダ、シュルレアリスム研究を行い、ブルトンの著作の翻訳やシュルレアリスムに関する著書も多い。

*10 マルキシズム マルクス主義。ドイツの哲学者カール・マルクス(1818-73)が掲げた社会主義思想体系で、資本主義社会の高度な発展が共産主義社会の到来へと帰結する必然性を説いた。

*11 ネオダダ 1960年に赤瀬川原平や篠原有司男らが結成した前衛芸術グループ「ネオ・ダダイスム・オルガナイザーズ」のこと。1年ほどで解散。ネオダダの語源は、1950年代後半?60年代のアメリカで、制作手法や意図にダダとの類似点が多い現代美術家が多数現れたことから、彼らを一括りにしてこう呼んだのが始まり。


取材・構成:本吉康成


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino伊野自画像131971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami13回アイコン-伸坊1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。

連載『イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談』の一覧を見る

Tags: