第15回後編 襖絵を描く仕事から昔の「注文絵画」を考える|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第15回後編 襖絵を描く仕事から昔の「注文絵画」を考える


イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションを軸に、古典絵画や現代アート、漫画、デザインなど
そこに隣接する表現ジャンルについてユル〜く、時には熱く語り合う。

今回はお寺の依頼で襖絵を描く企画に参加した伊野さんの話を皮切りに、
江戸時代までの日本の注文絵画のありようについて思いを馳せてみる。

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第15回アイコン_伊野_伸坊

■2泊3日でお寺の襖絵を描いた

伊野孝行(以下、伊野):絵描きが存命中に忘れ去られることはあるし、亡くなってしまえばほとんど忘れ去られますよね。それが普通だし、まあ僕も自分が生きてる間だけ食えればいいかって了見で絵を描いてますけどね。

南伸坊(以下、伸坊):残るとかって運もあるね。

伊野:残されてきたものだけを見て、我々はいろいろ考えたり影響を受けたりしてるわけですけどね。

この間、大徳寺の真珠庵っていうお寺の襖絵*9を描いた時に、一緒に描いてる上国領勇*10さんていう方が「400年残るつもりで描いてる」とおっしゃってて。え〜! そんな風に思って取り組んでるんだ? ってびっくりして(笑)。確かに大災害でお寺がなくならない限り400年後も残ってる可能性はありますね。僕なんかそう考えると逆に変な色気が出るような気がして、「描き終わったら蔵にしまわれる」程度の感覚で(笑)。

伸坊:アハハ。番組見てて伊野君が一番カッコよかったね〜。

編集:NHK BSプレミアムで放送していましたね。後から颯爽と現れて、2泊3日でサッサと描き上げて、先に帰っていく。そのせいで登場シーンの尺がすごく短かった(笑)。

伊野:90分番組で2分半しか映ってなかった(笑)。実家に親戚が集まって見てたのに「あれ? 孝ちゃん、もう出てこないの?」って。でも、あのくらい短くないと逆にカッコよくなかったのかもしれないですね。

15-5伊野孝行画-大人の一休さん

伊野孝行画「大人の一休さん」 大徳寺真珠庵 大書院5面襖絵

 

伸坊:寒山拾得*11描いた人なんか、出ても来なかった。

伊野:あれは番組の企画で始まったわけではなくて、NHKの取材は途中から入ったんです。彼は取材前に描き終わってたってのもあるんですけど、気の毒でしたね。濱地さんっていう、あそこのお寺で修行してた画僧で。

合宿では禅寺での生活もしなきゃいけないから、朝は座禅して庭掃除して、ご飯の食べ方も決まりがあって、その画僧の方が指導してくれたんです。「お漬物は一切れ残しておいて、最後にそれでお茶碗をきれいにぬぐって食べるんです」って。で、じっと彼の動作を見ながら食事してたら、彼、漬物をペロッと食べちゃって(笑)。

真珠庵に田代さんっていう80歳ぐらいのお手伝いのおばあさんがいて、先代和尚の時代からずっといる人なんですけど、最初は「長谷川等伯の立派な襖絵があるのに、なんで漫画みたいな絵を描かなあかんの」って思ってたらしいんです。で、僕が描いた絵を見て「アラ、この襖絵ええどすなぁ〜、ちょっと和尚さん見てみなはれ、これよろしいわ〜」って10回くらい褒めてくれて。そこが使われるかなと思ったらそこも使われなくて(笑)。今言った画僧の方、半年通って寒山拾得の襖絵を描き上げてたんですよ。田代さんは「濱ちゃんの半年ってなんやったんやろな……」ってぼそっとつぶやいてました。

伸坊:アハハハ。「襖」に負けたね。

*9 大徳寺真珠庵の襖絵 大徳寺の真珠庵の曽我蛇足と長谷川等伯の方丈襖絵が修復に入るのを機に、現代作家の手により襖絵を新調することが企画され、6人の作家が参加した。メンバーは山賀博之(ガイナックス代表、映画監督)、上国料勇(イラストレーター、アートディレクター)、伊野孝行(イラストレーター)、北見けんいち(漫画家)、濱地創宗(日本画家、僧侶)、山口和也(美術家)。その制作の模様はNHK BSの番組でも紹介された。

*10 上国料勇(1970-) スクエア(現スクエア・エニックス)でゲームデザイナーとして「ファイナルファンタジー」シリーズのコンセプトアーティスト、アートディレクターを務めた。2017年に退社、フリーのイラストレーター、アートディレクターとして活動する。

*11 寒山拾得 中国・唐代の二人の高僧、寒山と拾得の伝承のことで、禅画の画題としてよく知られる。二人ともすぐれた詩人で「寒山詩集」に詩を残す一方で、奇行が目立ったとされるが、二人が実在するかも含めその真偽は確認できていない。

 

■制作にかかる時間の差は技法の違い

伊野:他のみんなもスタートの時点で全員下絵や構想は出来てるんです。

伸坊:あ、そうなの。

伊野:北見けんいち*12先生は漫画の〆切があるから仕方ないとして、結局、描き方の問題だけじゃないですかね。僕は水墨画だったんで早く終わったし、描写が細かったり段取りが必要な人は時間がかかる。他の人たちが半年籠って描いたってのは、リアルの人が時間がかかってヘタうまの人が早いって、それだけのことなんですよ。僕も時間は短かったけど、描いてるときの迷いはすごくあった。

しかし、僕は普段から「有名になりたい」とか言ってるクセに、ああいうところでみすみすチャンスを逃してる(笑)。番組では、襖絵が寄進でギャラが出ないけどどうするって時に、さっと来て短時間で済ませたヤツみたいな(笑)。

伸坊:アハハ、全然そんな風に見えなかった。でも、さっきのおばあちゃんいいね。いい話だよ。おばあちゃん目利きだよ。

一休さん*13描いたってのもよかったかもね。そもそも一休さんのお寺なんだからさ。一休さんのことはいろいろ聞いてたろうし、伊野君がやったアニメのことも知ってたろうし。

伊野:一休さんの漢詩を現代語訳したのが、あのアニメの歌の主題歌の歌詞になってるんです。

編集:そうなんですか。自分で自分のこと「破戒僧」って言ってたんですね。

15-6アニメ大人の一休さん

15-7アニメ大人の一休さん

「アニメ大人の一休さん」第1則「クソとお経」より ©︎NHK
アニメでは、クソにモザイクがかかっていました。(伊野)

 

伊野:一休さんは兄弟子の養叟(ようそう)って人のことをすごく罵倒してコケにしてるんですけど、それをまとめた本のタイトルが「自戒集」。「自分を戒める」って(笑)。

でも、ああいう大きな絵を描くのって、すんごく気持ちいいですよね。絵は成功とは言えなかったけど。

伸坊:オレ全体が映ってるとこ見てない。

伊野:描いてるところは早回しだったし(笑)。

9月から入場料とって一般公開になるんですが、これも全て等伯の襖絵修復費用捻出のためらしく、なにとぞご理解のほどを(笑)。

*12 北見けんいち(1940-) 漫画家。多摩美術大学卒業後、1964年に赤塚不二夫のアシスタントとなり、1979年漫画家デビュー。同年から映画化もされている「釣りバカ日誌」(原作・やまさき十三)の作画を担当する。

*13 一休宗純(1394-1481) 室町時代前期の臨済宗大徳寺派の僧で、大徳寺の復興の功労者である一方で、型破りな行動をとり、肉を食べ、酒を飲み、女と同棲する破戒僧でもあった。書の達人であり、詩作にもすぐれたが、「狂雲集」は性的な内容を詠んだ詩集である。

 

■襖絵や障壁画は江戸時代のイラストレーション

編集:等伯もそうですし、狩野派*14もそうですが、障壁画などの大きな絵を描いていたわけですよね。あれをイラストレーションと言っていいのか分かりませんが、注文を受けて明確な目的を持って描かれた絵には違いないですよね。

伸坊:昔の絵はみんなそうですよ。注文があって描く。教会の壁画だってお寺の襖絵だって同じでしょ。

伊野:イラストレーターの人は彼らの仕事をイラストレーションだと思って見た方がいいと思いますね。真珠庵にある等伯の襖絵というのは「商山四皓図(しょうざんしこうず)」(1601)という絵で、「松林図屏風」のような代表作というわけではないし、ずっと外気にさらされてるから状態も良くなかった。で、最初この襖絵を見た時は「ふ〜ん」って感じだったのが、自分が描いた後で見たら、木にしろ岩にしろ描写にビリビリって緊張感が走ってて、いや〜すげえな等伯! と思いましたね。自分で描いてみないとそこまで感じられることはなかったと思う。

伸坊:いいなあ、いい話だよ。最後に松描いた人、なんとも言えない感じだったよね、
「もっと、こう!」って(笑)。筆ってスピードとかで気持ち出ちゃうもんなあ。かすれた感じとかに。いつもああいう大きな絵を描いてる人は、どういうスピードで描けばどうなるか、効果として分かってるわけじゃない。そういう技術があった上で構図考えたり、気持ち入れてブワーっていくとかしてるわけで。突然やらされた人とは違うよね。

伊野:僕は、最初は1泊2日って言ってたんだけど、余裕を持って倍にして2泊3日にしたんですけど、ディレクターにそれで描けるんですかって聞かれて。

伸坊:水墨画って、早く描けちゃうよね。

伊野:そうそう、そんなもんですよね。等伯も住職の留守中にバババッて描いたりしたこともあったし。伸坊さんだったら余白を活かして2時間ぐらいで描けるんじゃないですか(笑)。

伸坊:水墨画って、オレたちは習字書くみたいにいきなりグッと描かなきゃいけないみたいに思っちゃってるけど、だいたい薄墨からやってるよね。薄い墨でバックほとんどグレーにしちゃって、そこから「ここは白く抜いといて」みたいにしてんだろうと思うけど、どんどん濃くしてくんなら、けっこう融通きくよね。一気に描くのとはちょっと違う。

伊野:一発描きの水墨画と、段取り踏む水墨画とがありますよね。

伸坊:墨だって筆に含ませる時に薄いところと濃いところに分けといたり、いろいろ術がある。でも、なんかはじめっから一本調子にスミ1色で真っ黒でやるもんだって思っちゃってる。白隠*15の絵とか、最初に薄墨で描いたとこ丸わかりだよね、そこが素人の強さなんだけどさ。

伊野:白隠は下描きの線もかなり残っていましたね。山下裕二先生は曾我蕭白には白隠の影響があるとおっしゃってます。今みたいに印刷物がないから、直接見に行かないといけない。僕は、昔の人がどういう影響の受け方をしたのか、興味はあるけどよく分からない。

伸坊:蕭白はもともとうまいからねえ、白隠の影響ってどんなとこのこと言ってんのかな? 例えば、ものすごいぶっとい線で雪舟*16が「慧可断臂図」って達磨の絵の衣んとこを描いてるみたいなああいう描き方、雪舟より前にもあったと思うし、蕭白なんかもっとものすげえぶっとい線で描いたりしてるわけだけど、そういうのって絵描きの気分としては誰かの影響とかってより、作業のアイデアとして誰にでもある思いつきだよね。

15-8白隠-達磨図

白隠「達磨図」(1767/清見寺蔵)
禅の民衆化に務めた白隠は、達磨や観音、七福神などを多く描いた。

 

15-9雪舟-慧可断臂図

雪舟「慧可断臂図」(1496/国宝・斎年寺蔵)
少林寺で面壁座禅中の達磨に慧可という僧が参禅を願い出るが許されず、己の左腕を斬り落として決意を示し、ようやく入門を許された場面。

 

*14 狩野派 室町中期から江戸末期にかけて活動し、常に日本画壇の中心的存在だった画家集団。上総(千葉県)出身の狩野正信(1434? -1530)は室町幕府8代将軍足利義政に重用され、息子の狩野元信(1476-1559)とともにその礎を築いた。安土桃山期には狩野永徳(1543-90)が多くの障壁画を手がけた。江戸期に入ると狩野探幽(1602-74)が活動の拠点を京から江戸に移し、江戸幕府の御用絵師として狩野派の地位をさらに強固にし、多くの分派も誕生した。一方、京に残った狩野山楽(1559-1635)は京狩野派を築いた。これ以外にも、多くの絵師が狩野派に学んでいる。

*15 白隠慧鶴(1686-1769) 臨済宗の僧で、臨済宗中興の祖と言われる。禅の教えを説いた書物を多く著した一方で、民衆への布教を熱心に行い、その中で禅の教えを絵で表現した禅画、書画を数多く描き、その数は1万点を超えるとされる。

*16雪舟(1420-1506) 室町時代に活躍した画家。禅僧として京都相国寺で修行し、画僧・周文(生没年不詳)に絵を学ぶ。水墨画を得意とし、山水画や花鳥画を数多く描いた。中国の模倣から脱した日本独自の水墨画を確立したが、江戸期に神格化された結果、多くの贋作も生まれた。

 

■同時代だから必ず影響を受けていたとは言えない

伊野:美術史の研究者の方は、類似点があると影響のことを指摘されますね。そのへんってどうなんでしょう。やっぱり、自分も何かしらからヒントを得ようとはするけど、必ずしも自分が直接会った人とか近い人から影響を受けているわけではない。むしろ、そうじゃないところから影響を受けないと「勝てない」んじゃないかって。

伸坊:伊藤若冲なんかは京都にいて、お寺に出入りできる立場だったし、中国人の絵とか朝鮮人の絵とか見て模写してる。本当にそばにいって模写してんじゃなきゃあんなにそっくりには描けない。

伊野:掛軸って、基本タテの構図が多いじゃないですか。歌川広重*17の浮世絵「江戸名所百景」もタテ構図。「そういうのって掛軸からの影響があるんですか」って、ある美術史の先生に聞いたら「ない」って。でも、タテで構図を考える時には参考にすることもあったんではないかと思う。

伸坊:描き手の実感としてね。

歌川広重「江戸名所百景 井の頭の池弁天の社」(1856) 東京都立図書館サイト「江戸・東京デジタルミュージアム」より

編集:聞かれると「ある」とまで言いにくいけど、あると。

伊野:逆に思いっきり誰の目にも明白に影響があると、本人は「ある」とは答えないもんですよね(笑)。「絶対影響受けてますよね?」「いや、ない!」みたいな。

伸坊:フフフ。昔は影響受けたとか、お手本にしてるって風には思ってないと思うけどね。オリジナル信仰みたいなのはないから。西洋だって、昔はそうだったんじゃないかなあ。

(第16回は8月1日より公開予定です)

*17 歌川広重(1797-1858) 江戸時代末期に活躍した浮世絵師。役者絵、美人画からスタートし、やがて風景画の第一人者として絶大な人気を獲得。「東海道五十三次」、「名所江戸百景」、北斎の「冨嶽三十六景」を意識したとされる「冨士三十六景」などの傑作を残した。西洋画の遠近法を取り入れた大胆な構図は印象派画家たちにも影響を与え、またその美しい青は「ヒロシゲブルー」と呼ばれた。


取材・構成:本吉康成


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino第15回アイコン_伊野1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami第15回アイコン伸坊1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。

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