第17回後編 強いインパクトはどうやって生まれるのか|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談


─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第17回後編 強いインパクトはどうやって生まれるのか


イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションを軸に、古典絵画や現代アート、漫画、デザインなど
そこに隣接する表現ジャンルについてユル〜く、時には熱く語り合う。

雑誌文化、絵のフォルムや構図、笑いのある絵…。
ジャンルやカテゴリーはまちまちながら、
強いインパクトや影響を与えたものについて取り上げる回。

 

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イラストレーションについて語ろう 第17回アイコン
 

■芸術表現や文化はあっさり断絶する

伊野孝行(以下、伊野):この連載の最初の方で、明治時代に日本の美術が断絶したって話をしましたが、今でも簡単に断絶しますよね。ネットに情報があるにもかかわらず。こうやって断絶していくんだっていうのを日々感じてる。専門学校のイラストレーション科の生徒が和田誠さんを知らないとか。平野レミ*5さんはみんな知ってんだけど(笑)。

南伸坊(以下、伸坊):ホント、そうだよね。伊野君が「名作挿絵全集」って本を見つけて読んでたけど、出た当時みんながこの本知ってたかっていうと、そんなことない。むしろそれほど売れてないと思う。オレと伊野君は24歳違うんだけど、オレだって明治大正の挿絵画家の絵見たら「こんなの古い」って思っちゃう。でも中には面白いのもあるんだよな〜。

伊野:あれが出たのは80年代の前半で、その時に別に挿絵が盛り上がってたわけではないと思うんですけどね。なんであんなの出たんだろ?(笑) でも、あれだけの分量がまとまっていると、明治以降の挿絵、つまり浮世絵が衰退して、1960年代にイラストレーターが登場するまでの間のおおよそのイメージが分かる。資料としてもすごく頼り甲斐がある本ですよね。

伸坊:あの時点で「挿絵を残しておかなきゃ」って考えた編集者がいたんだね。本があると「こういう人がいた」って新しく発見できる。繋げていくのは編集者なんだよね。宮武外骨は明治・大正で浮世絵が衰亡した時にそれやった。自分の雑誌に浮世絵師をどんどん起用したし、『比花』*6っていう浮世絵の研究誌を出してる。

ところが、ネットにこういう編集者がいないんですよ。つまり、目利きがいない。こないだ、糸井重里さんとこのWEB*7で漫画の連載やってる人に話を聞いたら、最初は全然うんでもすんでもなかったって。タダで見られる面白いサイトあったらみんな見に来ると思ってたけど、来ないんだってね。伊野君のブログなんか、もっと見られて当然だよね。

伊野:僕のブログは今年で10年目ですけど、最近はアクスセス数見るのがもう嫌で(笑)。ネットって、数字が如実にわかるじゃないですか。だけど『話の特集』や『ガロ』も、あれだけ影響力があったのに数の上ではそんなに売れてなかったって話ですよね。

編集:絶対的な数は多くなくても、影響力が大きいということもありますよね。

伸坊:『話の特集』はまさにそれだったね。とっても影響力あった。けど、ものすごく売れてたわけじゃない。当時のそうそうたるイラストレーター、カメラマンが一挙に登場してた。でもそれはオレがデザイン学生だったから知ってただけなんだ。デザインの専門誌やカメラ雑誌じゃ篠山紀信*8はスターだし、横尾忠則はホープなんだけど、世間一般は知らないんだ。

『話の特集』は一般誌だから事情が違う。専門誌に載ってた時とは違う広がり方するんだよ。例えば編集者、よほど興味がなけりゃデザイン専門誌とか見ない。カメラ雑誌はもうちょっと一般的だけどさ、でも秋山庄太郎*9は知っててもコマーシャル畑のカメラマンの名前とかは知らないでしょ。そもそもその頃の雑誌にはイラストレーターは絵描いてない。描いてたのは挿絵画家か漫画家か画家で、イラストレーターは広告の仕事だけしてた。

『話の特集』はカメラマンの名前もイラストレーターの名前も必ず入れたんです。今なら当たり前だけど。どうして当たり前になったかっていうと、『話の特集』で和田誠さんが始めたからなんです。新しもの好きの雑誌好きや編集者、編集者予備軍みたいな人達がこれをまず学習した。で、一挙に一般化した。雑誌にイラストレーターが絵を描く、カメラマンがページ持つ。これが当たり前になった。

『話の特集』の影響力はこういう感度のいい読者にまずインパクトを与えた。その影響力が一挙に広がったんです。だから部数じゃないっつう話。

横尾さんはこれがきっかけで『平凡パンチ』に取り上げられて、三島由紀夫みたいなスターになった。イラストレーターが花形職業になって、イラストレーションが一挙に一般化した。これは『平凡パンチ』だからこそだよね。

*5 平野レミ(1947-) 歌手、タレント、料理愛好家。父は詩人・フランス文学者の平野威馬雄(1900-86)、祖父はサンフランシスコ日米協会初代会長で日本美術愛好家として知られたヘンリー・パイク・ブイ(1848-1920)。シャンソン歌手としてデビュー、ラジオ番組が縁で1972年に和田誠と知り合い結婚。近年は料理番組に多数出演、テンションの高いキャラクターで人気。

*6 『比花』 宮武外骨が1910(明治43)年〜12年に刊行した浮世絵と江戸風俗の研究雑誌。版元は雅俗文庫、22号まで刊行され、第1号は「第一枝」、最終号は「凋落号」と、花にちなんだ銘が打たれた。

*7 糸井重里のWEB コピーライターの糸井重里(1948-)が主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」のこと。「ほぼ日」の愛称で親しまれ、1998年の開設以来毎日更新され、1日約150万ビューのアクセス数を誇る。コラムやエッセイ、インタビューなどコンテンツは充実、サイトを通じた商品開発や通販も行われている。www.1101.com

*8 篠山紀信(1940-) 写真家。日本大学藝術学部写真学科卒業後、ライトパブリシティで広告写真を手がけ、独立。ヌードグラビアからミュージシャン、歌舞伎役者、落語家、建物の記録写真までその被写体は多岐にわたる。中でもグラビア写真では、1970年代〜80年代にかけて「激写」シリーズで一世を風靡した。

*9 秋山庄太郎(1920-2003) 写真家。女性と花の撮影を得意とし、有名女優のポートレートを多数手がける一方、後年は花を撮ったシリーズをライフワークとした。南青山にあったアトリエ跡が秋山庄太郎写真芸術館になっている。

■岸田劉生の描く手は小さく、竹久夢二の描く手は大きい

伸坊:静岡に遊びに行った時、たまたま岸田劉生の展覧会やっててさ、へえ〜劉生こんなこともやってたのかって、面白いんだ。装丁やってたり、染め付けの絵みたいなのがあったり、日本画だったり、中国風だったり、一番気に入ったのが「近藤医学博士」っていうお医者さんの絵。この絵があの劉生のリアリズムのまんまメガネのガラスの質感なんかモロなのに、なんか形がかわいくなってる。

Web連載17回6

岸田劉生「近藤医学博士之像」(1916 神奈川県近代美術館所蔵)
モデルとなった近藤次繁は東京帝国大学医学部の教授で、白樺同人だった近藤経一の父。写真(東京大学医学部腫瘍外科・血管外科HPより)と比較するとかなりひしゃげたフォルムになっている。

 

伊野:前に「劉生は冬瓜みたいな形が好き」と言いましたが、やはり!

伸坊:でしょ? この形が好みなんだろね。岸田劉生はリアルにばっかり描いてたんだと思ってたけど、いろいろ面白がってる人だったんだね。挿絵とかもすごくいいし、日本画みたいなの描いてもやっぱり岸田劉生の絵なんですよ。

オレがいつも床屋に行く道の途中に「田村直臣終焉の地」って碑があってさ、床屋さんで聞いても分かんないし、なんだろうって思ってたら、岸田劉生の画集にその田村直臣描いた絵が出てた。この人、銀座に今もある教会の牧師で、劉生はこの牧師を尊敬してて、自分も牧師になろうとまでしたんだって、まるでゴッホじゃない(笑)。絵そのものだけじゃなくて絵の周辺みたいな話も面白いんだなって、この歳になってやっと思うようになったね。

伊野:逆に絵の周辺ばっかり書いてある本もありますよねー。

伸坊:カタログの文章に岸田劉生の絵のこと「顔に比較して手が異様に小さい」って書いてあって、これもきっとわざとやってるよね。長くしたり平べったくしたり、絶対面白くしようとしてたと思う。

伊野:確かに、手ちっちゃいですね。肩幅が狭いのか? 顔がデカイ? 逆に竹久夢二って手がすごくデカいんですよね。それはそれでかっこいいんですよね。

伸坊:うん、デカいね。手を大きくすると品がなくなるって日本の伝統的な絵の中では言われてたらしい。竹久夢二の描く手が大きいのは、その伝統を逸脱することで新しいイメージ作ったかもしれない。

伊野:長沢節センセイもそう言ってました。手がデカい方がカッコいいって。それは自分が手の骨や関節に興味があったからかもしれないですけど。

伸坊:そうね、手が小さいと造形的に弱い。品はいいかもしれないけど。

伊野:デフォルメとまでは言わないまでも、やっぱり何かしらの「形づくり」、手を小さくしようとかもっと大きくした方がいいとか、そういうのが出てきますよね。

伸坊:要するに「絵にする」ってことだよね。

伊野:そうです。自分が人体を描く時に、まず何を主張させたいのかっていうのがあって、そういう形が出てくるんでしょうけど。

伸坊:黒田清輝はオレたちの間では評判悪いけど(笑)、西洋に行ってギリシャ彫刻のようなものが美しいって洗脳されちゃって、日本人を描く時もめちゃめちゃ八頭身なんだよな。

伊野:あ、そういやこの前の『芸術新潮』に出ていたんですけど、山下裕二先生ともう一人誰だったかの対談で、黒田清輝の描く絵は、確かに西洋人的なプロポーションなんだけど、足の親指が離れていて、草履を履いてる足なんだって(笑)。

伸坊:へえ〜! 面白い! 気がつかなかったなあ。親指離れてる方が色っぽいのかな。

伊野:唯一、「智・感・情」*10という作品だけは、黒田清輝が単に西洋に倣ってるだけじゃなく自分で考えて描いている感じはありますよね。

Web連載17回7

黒田清輝「智・感・情」(1897-99 東京文化財研究所所蔵)
並びとしては左から「情」「感」「智」となる。西洋の写実画手法だが、モデルのプロポーションは理想化されており、3幅1対の構成や金地の背景など日本的な要素も見られる。

 

伸坊:でもあの抽象的なことを女の裸で表現するって、変だよねー。何で女の裸なの? 意味分かんない(笑)。

伊野:さっぱり分かんない(笑)。

*10 「智・感・情」 日本人をモデルにした裸体画の嚆矢とされる黒田清輝の作品。当時の国内では裸体画に対する無理解や、風紀上好ましくないとする風潮もあって風当たりが強かったが、それに対する啓蒙や抵抗の意識もあったとされる。第2回白馬会展(1897)で発表、その後加筆され、パリ万国博覧会(1900)に出品され銀牌を受賞した。

■小さくても迫力を感じる絵とは

伊野:さっき「死ぬ時に見たい絵」っていう話しましたけど、状況を限定して考えていくと、自分が素直に好きなものが出て来るんじゃないですかね。

伸坊:初めてのニューヨークでMoMA*11に行った。現代美術いっぱいあって、高校生ン時だったら、すげえ興奮だったかもなんだけど、実際ホンモノの現代美術見てもそんなでもないんだよね。抽象画ってどんどん通り抜けちゃう。そんなに長いこと見てらんないの。唯一モンドリアンの絵はじっくり見た。モンドリアンの絵ってこんな小ちゃいんだよ。「へぇ〜、こんな小ちゃいんだ〜」って。ダリのあの時計が溶けてる絵も最初のはものすごく小ちゃいんだよね。

伊野:ヨーロッパの昔の宗教画でもすごく小ちゃいのがよくあるけど、小ちゃいとこにすごく描き込んであると、それだけで宗教的な気持ちになりますよね。米粒に写経するみたいな感じで。

伸坊:そうだね。

伊野:小さなサイズの浮世絵は奇抜な構図使ったりしている。あの構図で100号ぐらいで描いたらものすごく強い絵になると思うんですけど、いきなり100号サイズで描こうとしたらあの構図は思いつかないと思うな。

伸坊:そうだね、あれは小さいサイズで迫力を出そうとするからああいう構図を思いついたんじゃない?

伊野:ええ、逆に壁一面のサイズの浮世絵があったとしたら強すぎるというか、ちょっとうるさいですね。

伸坊:あの本物のサイズは今の感覚でいうと小ちゃいけどね。美術館やギャラリーサイズじゃないから、手に取って見るとか柱とかに貼って見るもんだからね。

伊野:あのサイズだからちょうどいい感じ。他の絵でもそうなんですが、写真で見てる時に感じてた絵のサイズ感と実物の大きさが全然違うって、あれはなんでしょうね。

伸坊:やっぱり見た印象で勝手に自分の頭の中に「大きさ」を作ってるんじゃないかな。

伊野:オレ、伸坊さんに直接会うまでは、こんなに背の高い人だと思ってなかったです(笑)。

伸坊:身長顔ってのがあるんだよね。オレは星新一さんお会いしたらすごく背が高いって驚いた。

*11 MoMA ニューヨーク近代美術館。近代・現代美術専門の美術館で、The Museum of Modern Artの頭文字を取ってMoMA(モマ)の愛称で親しまれる。開館は1929年、第1回展示は「セザンヌ、ゴーギャン、スーラ、ゴッホ展」で、ポスト印象派の画家たちを「前衛」として取り上げた。絵画や彫刻だけでなく、商業美術や建築、工業デザイン、映画などを取り上げている点も特徴的。

■笑わせる絵が一番難しい

伸坊:この前、伊野君と河鍋暁斎の話をしたけど、暁斎って小さい絵見るとめちゃくちゃうまいよね。で、アイデアも豊富、才能バリバリなんだ。けど、あのこれでもかこれでもかってのが、辟易するっていうか、もういいですうってなる。笑わそうとして描いてる絵がなんか節度ないんだ、あれはどうしてだろ。国芳とか、耳鳥斎とかは節度があるんですよ。暁斎のは笑わそうとして脇の下くすぐるみたいでさ、大阪の耳鳥斎の方がいわゆる大阪っぽくないよね。「大阪のコテコテ」って案外最近のもんかもしれないね。耳鳥斎の「笑い」はもっとさらっととぼけてるよね。

伊野:暁斎の絵はパっと見は面白いけど、僕的にはスベってる感じなんですよ。「オレの話、面白いだろ」ってずっと喋ってるような。

伸坊:そうなんだよね、まさにそう(笑)。

伊野:パロディのイヤなところは、その「笑かすぞ」ってのが最初にあるところなんですけど、絵で笑かすっていうのは難しいことかもしれないですよね。カッコイイって思わせるのと笑わせるのとでは……。

伸坊:笑わす方が難しいでしょうね。

伊野:ルソーの絵は別に声を出して笑うようなものじゃないけど、心の中で笑ってる感じですよね。そういう感じが暁斎にはない。

Web連載17回8

アンリ・ルソー「サッカーをする人々」(1908 グッゲンハイム美術館所蔵)
ルソーの作品はヨーロッパ画壇では「幼稚」「稚拙」と酷評されたが、ピカソやゴーギャンらが絶賛し、最晩年にようやく評価を得た。

 

伊野:笑いって、いろんな感情が高まって来た時にも出る現象で、悲しいとか他の感情よりも、笑いの方が複合的というか。

編集:爆笑するというよりは、ニヤリとかクスッと笑わせる感じでしょうか。

伸坊:爆笑する絵ってのはないよねえ。

(第18回は9月中旬公開予定です)


取材・構成:本吉康成


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Inoイラストレーションについて語ろう 第17回伊野アイコン1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minamiイラストレーションについて語ろう 第17回伸坊アイコン1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。

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