第19回前編 古典絵画、現代美術、漫画、全てがイラストレーションで繋がる|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談
─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談
第19回前編 古典絵画、現代美術、漫画、全てがイラストレーションで繋がる
イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションを軸に、古典絵画や現代アート、漫画、デザインなど
そこに隣接する表現ジャンルについてユル〜く、時には熱く語り合う。
タイトルに反してイラストレーション「以外」の話題も多かったこの連載、
そこには「絵についてもっと雑談しよう」というお二人の意図があった。
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■イラストレーションを軸に全てが繋がる
伊野孝行(以下、伊野):最初、この連載はイラストレーション史を、ということでお話をいただいてたんですが、実は端から真面目にイラストレーションの歴史を追って行くつもりはなかったんですね。というのは「イラストレーション」という言葉の意味は、絵の役割とか、絵の使われ方ってことだから、いくらでも遡れちゃうし、まとめようがないと思ったんで。
でも、ひっくり返して言うと、「イラストレーション」という言葉を軸にすると、あらゆる絵を扱えるってことでもあるわけですよね。そこがこの連載の素晴らしいところです(笑)。
編集:現代アートもコミックもそれぞれ隣接しているし、アニメーション畑出身の人が児童書の挿絵を描いていたり、イラストレーションの分野にちょっと足を踏み入れるぐらいのことはしている。
伊野:でもなぜか、この連載を始めてから「イラストレーション」ってちゃんと言わずに「イラスト」って言うことが増えてきた(笑)。
南伸坊(以下、伸坊):せっかく和田さんや水丸さんの言いつけ守ってたのにね。
編集:和田さんは「我々がイラストレーションを広めた数年後には“イラスト”と略して呼ばれるようになって、ああ浸透したんだと思った」(『定本 和田誠 時間旅行』インタビューより)と言ってます。
伸坊:あっ、そうなの? そんならよかった。
伊野:日本においては、イラストレーション=「新しい感覚の絵」だったので、その気持ちが込められた言葉でもあったわけですが、今やイラストレーションは新しい絵でもなんでもなくなって、本来の意味に戻ったというか。いや、本来の意味に戻ったんなら「イラストレーション」と言うべきですかね。
伸坊:「イラスト」は日本独自のもんだね。本来のイラストレーションにはものすごい広い意味があって、泰西名画だってみんなイラストレーションだしね。近代絵画以降ですよね、発注者がいて描くんじゃなく自分の好きに描くようになったのは。
伊野:海外では「イラスト」って略称は通じないから、ちゃんと「イラストレーション」って言った方がいいらしいですよ(笑)。
■きっかけはブログから
伸坊:このあいだ伊野君、ブログに「惰性で生きてる」って書いてたけど、そうなの?
伊野:ダハハ、いや、ブログに本当のことが書いてあるかどうか疑わしいですが。でも、バイトしてた時の方が生活に張りがあったかな。ブログは仕事で描いた絵を載せてるのが主で、それを基に話を膨らましたり、導入部で凝ってみたりするんですが、肝心の絵がいつもと変わりばえしない時は、あまり話も大きく出来ないんで、「最近は惰性で生きてます」っつーことで先手を打っておこうと思って。友達から「最近楽しくないの?」って心配されちゃいましたが(笑)。
伸坊:アハハハハ。でも、見てるといろんないい仕事してるなーと思うけどなぁ。
伊野:同じような仕事の絵とか、毎週載せても読む人は退屈だろうなと思って。いろんなタッチで描いているのは、ブログの記事をバラエティにするためですから(笑)。
伸坊:まあ、いろんな仕事見て「今度はこういうのでやって貰おう」ってなるかもしれない。
伊野:ブログは今年で10周年なんですけど、最近はみんなSNSで交流するようになって、ブログまで見に来る人が減ってるんですよね。でもまぁ、僕はブログを始めてから仕事が来るようになったので。
それまで売り込みっていうと、A4のクリアファイルに絵のコピーを入れてデザイン会社や出版社に持って行ってたんですけど、応対してくれた人が全く絵に興味なかったりすると、渡してそれで終わりなんですよね。で、そこの本棚を見ると売り込みのファイルが無数に差してあって、二度と引っ張り出されない気がした。ブログで文章と絵で自分のことを伝えられるというのは、すごいイノベーションでしたよ。
編集:この対談のきっかけも伊野さんのブログでした。出版やサブカルチャーに詳しい人は結構いるんですが、アート、特に日本美術に関する知識が豊富で、そこにイラストレーターの目線が入っているのが面白いと思いました。伊野さんなら、それら全部を絡めた話が出来るんじゃないかと考えたわけです。
伸坊:あまりいないだろうね、イラストレーターでそういう話できる人。
伊野:「イラストレーター界きっての論客(?)」って紹介されてて驚きましたけどね。ハテナマークがついててよかった(笑)。
編集:伸坊さんの「私のイラストレーション史」も拝見していたので、伊野さんから伸坊さんとの対談にしたいとお話があった時、お二人なら話が合うなと。
伊野:僕と伸坊さんは24歳の開きがあって、ずっと自分のことを若いと思っていたんですけど、でもすでに僕は若者代表でもなんでもなかった。もう47歳だし。
伸坊:そんなこといったらさ、自慢じゃないけどオレ71歳だもんな(笑)。
伊野:伸坊さんはリアルタイムで日本のイラストレーションの黎明期を体験しているから、この対談では心強い。僕は本で読んだり、人から聞いたことでしか話すことが出来ないので。だから二人の対談にしてもらいました。
■やはりイラストレーションのキーマンは和田誠
伊野:僕、永六輔*1の『芸人 その世界』っていう芸人のエピソードをまとめた本が好きで、それの真似して、今度TIS*2の冊子でイラストレーターのエピソード集みたいなの作ったんですよ。これは永六輔さんの出版の仕事の出発点のような本で、元々は『話の特集』で連載されてたようです。「永六輔は放送の人間だけど、なんか書かせたら絶対に面白い」って、和田誠さんや他のイラストレーターの人たちが売り込んでくれたって、永さんはあとがきで感謝してました。

『TIS Magazine 2018-19』(2018/東京イラストレーターズ・ソサエティ)
TISのホームページ(www.tis-home.com)の「SHOP」からお買い求めいただけます。1000円ポッキリ!(伊野)
伸坊:和田さんと永さんは随分前から知り合いだったみたいだね。永さんは放送作家やってたけど、たしかに本は出してなかった。面白い話書いたら本になるって発想がまだ珍しかったかもしれないね。
和田さんは『話の特集』のアートディレクターで、編集者でもあったからね。編集長の矢崎泰久*3さんは新聞記者出身だから旗印は「反権威、反権力」。政治や社会に関して発言するってのに意義を感じてる編集者だったと思うんだ。でも僕がものすごく『話の特集』に影響受けたのは面白いこと、新しいこと、珍しいこと、を斬新に表現した編集デザインになんだ。
反権威、反権力って言うより、しゃべり方や顔つきや冗談のセンスみたいなところで通じるもの。それはデザインでもあるしレイアウトでもあるしイラストレーションでもあった。だから『話の特集』の雑誌としての新しさは和田さんによるところがものすごく大きかった。それを受け入れた矢崎さんも偉かったわけだけどね。
伊野:和田誠さんのことは我々は大好きだから、すぐに和田さんの話になっちゃうんですが、最近の若い人は和田さんをよく知らないみたいなんで、そこはちゃんと伝えておきたい。和田さんのことを知りたい人は、最近、玄光社から出た『時間旅行』の決定版、あれを買いましょう(笑)。

『定本 和田誠 時間旅行』(2018/玄光社)
幼少期、4歳の時に描いた絵から82歳の近作まで、和田誠さんの活動を俯瞰できるオールタイムベスト的作品集。
伸坊:和田さんが初めてやったことがあって,例えばグラビアページにカメラマンが「作品」発表する。当然カメラマンの名前が大きく入る。イラストレーターの絵を表紙に使う。イラストレーターの名前がハッキリ入る。全ページをデザイナーがレイアウトする。こんな今なら当たり前なこと、初めてやったのは和田さんなんだ。
それで雑誌は今こうなっているんだって、編集者でも知らないかもしれない。『話の特集』でいろいろ新しいことが始まったんだけど、そういう雑誌の歴史みたいなのがちゃんとまとめられてないからね。もちろん和田さんだけじゃなく、堀内誠一さんや木滑良久*4さんの『平凡パンチ』に始まって『an an』『POPEYE』『BRUTUS』って新雑誌つぎつぎに出したマガジンハウスの影響力みたいなことは、割と知られてるよね。これに先行してたのが『話の特集』だった。
伊野:『話の特集』を電子書籍化したら買いたいですけどね。特に最初の方のやつ。
編集:古本では割と入手しやすいと聞きますけど。
伸坊:そうなんだね。あんがい出回ってる。こないだ、『時間旅行』の編者の吉田宏子さんが『話の特集』の創刊号持ってて、「ネットで簡単に買えました」って言ってた。オレが欲しそうな顔してたみたいで、「差し上げますよ」って貰っちゃったんだけどね(笑)。
伊野:どうでした? 久しぶりに創刊号を見て。
伸坊:そう、自分の中で膨らませちゃってる部分もあったけど。やっぱり、横尾さんの表紙とか、全ページレイアウトした和田さんのデザインとか、すばらしいよ。長新太さんが創刊号から関わってて、2号目か3号目で「もっと面白くなるかと思ったけど大したことなかった」って発言してて(笑)。オレその時熱烈愛読者だからさ、「なんてこと言うんだ」って思ってた。植草甚一さんも創刊当時、一読者としてベタ褒めの葉書送ったりしてたんだよ。
新しさはアートディレクターの和田さんの力なのがはっきり分かる。その頃のほかの雑誌と比べてみたら一発だよね。
編集:和田さんは「オレがやった」とは決して言わないので。
伸坊:そう、言わない。でも「オレが」全部やってるんですよ。和田さんがやってきたことがいかに大きかったか。
伊野:『話の特集』で、横尾忠則さんは表紙以外に中でも関わっていたんですか。
伸坊:「人物戯論」っていう連載。岡本太郎を講談社の絵本の表紙のパロディにしたり、植木等を『無責任14号』って「鉄人28号」みたいにしてる。
伊野:無責任14号(笑)、いいっすね。宇野亞喜良さんは?
伸坊:宇野さんは栗田勇さんが「愛奴」っていう小説を書いてて、それの挿絵を描いてた。その後、寺山修司さんの「千夜一夜物語」の挿絵とか。宇野さんは当時からもうスタイルが完成してたね。
*1 永六輔(1933-2016) 放送作家、作詞家、タレント。早稲田大学在学中よりラジオへの投稿を始め、三木鶏郎(作曲家、放送作家 1914-94)の誘いで、ラジオの世界へ。放送作家、演出の他に、番組の司会やラジオパーソナリティも務め人気を得る。作詞活動も行い、中村八大(1931-92)作曲で坂本九が歌った。「上を向いて歩こう」(1961)は国内外で大ヒットとなった。エッセイストとしても活躍、江戸風俗や芸能に関する著作もある。
*2 TIS イラストレーターの作家団体「東京イラストレーターズ・ソサエティ」の略称。1988年結成され、現在の会員数は約250名。伊野さんと伸坊さんは会員で、伸坊さんは2018年から理事長に就任。歴代の理事長は灘本唯人(のちに会長)、安西水丸、井筒啓之。
*3 矢崎泰久(1933-) ジャーナリスト、編集者。日本経済新聞社、内外タイムス記者を経て、1965年『話の特集』を創刊、1995年の休刊まで編集長を務めた。同誌のADを和田誠に依頼するにあたり、「ノーギャラでいいから内容に口出しさせてほしい」という和田の申し出を受け入れ、執筆者の人選や記事には和田の企画によるものが多い。テレビやラジオのプロデューサーとしても活躍。自著のほか、永六輔らとの共著も多数。
*4 木滑良久(1930-) 雑誌編集者。マガジンハウス取締役最高顧問。立教大学在学中より平凡出版(現マガジンハウス)に出入りし、1954年同社入社。数々の雑誌の創刊に関わる。『週刊平凡』を皮切りに、『平凡パンチ』『an an』『POPEYE』『BRUTUS』『Olive』の編集長を歴任、『POPEYE』では創刊編集長を務めた。88年代表取締役社長就任、96年同会長、98年より現職。
■中国もの挿絵の第一人者・原田維夫
編集:宇野さんと横尾さんが二人で『海の小娘』*5っていう本を作ってましたね。
伸坊:ああ、まだお二人とも日本デザインセンターにいた頃ですね。横尾さんが市松模様のスタイルで描いてた頃。その2年後、1964年から絵がガラッと変わった。『美術手帖』でオリンピックポスターのパロディをポップアート調で描いた。ポップアートを意識してたのは、横尾さんが一番早かったんじゃないかな。

『海の小娘』
宇野、横尾のイラストレーションがそれぞれ青と赤で刷られ、付録の青と赤のセロハンを乗せると片方の絵と対応する文が浮かび上がる仕掛け。人称や時系列が異なる物語がそれぞれ進行し、本の中央部分でクロスオーバーする。
伊野:プッシュピンスタジオの影響を受けて、宇野さんと横尾さん、原田維夫*6さんの3人で「イルフィル」*7というスタジオを作りましたよね。湯村さんと河村要助さん、矢吹申彦さんの3人が「100%スタジオ」*8を作ったのもプッシュピンの影響ですよね。
伸坊:「イルフィル」じゃ原田さんが一番売れてたんだってね、あの時。横尾さんも宇野さんも仕事なくてぶらぶらしてたって。
伊野:へー、それは意外でした。1960年代のイラストレーションのことを語る時に、宇野さんや横尾さんの話はよく出てくるけど原田さんの話はあまり出ない。そのへんの話聞きたいですね。原田さん、あの頃から版画で中国もの描いてたんですか。
伸坊:そう、あの絵(笑)。もう決めたんだね、これで行くって。中国ものは一手に原田さんが描くってのが業界の常識みたいになってた。今でもそんなにいないもんね。中国ものの小説、一時流行ったことあって、その頃オレ中国風の漫画描いてたから、それで注文来たことあるけど。
伊野:今でも小説雑誌には1本ぐらい中国ものの小説が載ってて、挿絵は原田さんが描いていらっしゃることが多い。あの時代に一人だけ中国ものに目をつけた原田さんはすごい。
伸坊さんの中国ものとはまた時代が違うのか、原田さんが担当されるのはいつも三国志的な時代?(笑) 小説の内容読んでないので分からないんですが。原田さんのは「陰刻」*といって線を彫っていくやり方だから、版画だけど、割と早く出来そうですよね。

原田維夫『劉邦』(宮城野昌光作/「毎日新聞」連載)挿絵
2013年7月〜15年2月まで連載された新聞小説の挿絵。項羽との覇権争いに勝利して前漢の初代皇帝になった劉邦の物語で、単行本(上中下巻)と文庫(文春文庫/2018)1〜4巻が刊行されている。
編集:宇野さん曰く、「僕と横尾ちゃんは全然仕事がなくて、原田君だけいつも仕事が来てて、しかも飲みに行くと彼が一番モテた」と。
伸坊:二人ともそう書いてますね。原田さんは営業もちゃんと出来たんじゃないかな。
伊野:原田さんが活躍されているのを伸坊さんは見てましたか。
伸坊:もちろん挿絵は見てた、いつもおんなじだなあって(笑)。原田さんが挿絵描いてるような小説がオジサン雑誌によく載ってたから。中国の古典文学みたいな本の表紙とかでも原田さんの絵が使われること多かった。
伊野:戦後の日本がアメリカに憧れたように、昔の日本人はずーっと中国に憧れていましたからね。伸坊さんが描く絵にも古き良き支那文化の異国情緒を感じます。
伸坊:中国の絵もいろいろあるんだろうけど、オレはなんか絵の素っ気ない感じが好きで、まんま引用してる。中国の怪談て変な話が多くてさ、日本人の常識ひっくり返される。
中学生の頃『シナの五にんきょうだい』*9って絵本が好きだったんだけど、あれの影響もあるかな。

『シナの五にんきょうだい』
長男は海の水を飲み干し、次男は鉄の首を持ち、三男は足をどこまでも伸ばせる、四男は日に焼かれても燃えない体を持ち、五男はずっと息を止めていられる。いかにも中国の古典らしい荒唐無稽な設定だが、原作者はアメリカ人。
*5 「海の小娘」 1962年に朝日出版から刊行された実験的な絵本。当時、日本デザインセンターに在籍していた梶祐輔(コピーライター/1931-2009)と宇野亞喜良、横尾忠則の共著。宇野の絵とそれに対応する梶の文章が青、横尾の絵とそれに対応する文章が赤で印刷され、青と赤のセロファンを置くことで片方だけが浮かび上がり、別々の時間と場所で起きている物語を同時進行で読み進められる仕掛け。
*6 原田維夫(1939-) 版画家、イラストレーター。田中一光に師事後、多摩美術大学図案科卒業。日本デザインセンター、スタジオイルフィルを経てフリーに。木版画の手法で歴史小説、時代小説の装画や挿絵を中心に活動。時代小説の挿絵画家集団「草鞋の会」会員。
*7 スタジオイルフィル アメリカの「プッシュピン・スタジオ」に倣って宇野亞喜良、原田維夫、横尾忠則が設立した事務所。「イラストレーションがいっぱい」という意味が込められていたが、原田以外は絵の仕事には恵まれず、メンバーが相次ぎ体調を崩し(ill-fill=病気だらけ)、わずか1年で解散した。
*8 100%スタジオ 湯村輝彦、河村要助、矢吹申彦の3人が1970年に結成したデザインチームで、湯村と矢吹が結成したY2が母体となっている。自然消滅に近い形で74年に解散。湯村と河村はその後、佐藤憲吉(ペーター佐藤)、原田治、大西重成(1946-)とイラストレーターチーム「ホームラン」を結成するが数カ月で解散した。
*9 陰刻 版画や印の表現方法で、表現したい線や面、文字を彫り取る手法。紙に刷ったり捺印した際は彫った部分が白く抜け、彫っていない部分にインクの色がのる。反対に、表現したい線や面を彫り残し、それ以外を彫り取る手法を「陽刻」という。
*10 『シナの五にんきょうだい』 アメリカの児童文学作家クレール・H・ビショップ(1899-1993)作、クルト・ヴィーゼ(1887-1974)絵、1938年刊行。特殊な能力を持つ兄弟のお話。海の水を飲み干せる長男が誤って子供を溺死させてしまい死刑判決を受けるが、兄弟が次々入れ替わり、処刑されても死なずに生き残る。日本語版は1961年福音館書店から刊行され、1995年に瑞雲舎が新訳で再刊。
■コピーワークで面白い効果を得る
編集:前にも出ましたけど、永井博さんのことを全く知らずに永井さんみたいな絵が好きという若い人がいたり、オリジナルを知らないことがよくありますよね。
伊野:ちなみに永井さんはこの連載を読んでくださってるみたいで、伸坊さんが言った、ダーカンジェロみたいな単純化されたリアル、「そういう感じで描いている」っておっしゃってました。トークイベントで。
伸坊:細かいところを捨象したよさだよね。いろいろ発明してるよね。まずバックを黒く塗っておいて、植え込みの陰影を何段階かの濃度のドットで乗っけてみたいに。描いてくうちにどんどん自分で作ってった技法だと思う。ダーカンジェロのハイウエイのポップアートはすごく新鮮だったんだけど、本人はあの表現に飽きちゃったのか、いろいろやりだしてだんだんつまんなくなっちゃった。
編集:永井さん自身いろいろ変遷があって、看板の絵とかスタジオの背景画を描いていたり。
伸坊:ああ、そうか、そっちの発想もあるかもしれないね。手順を考えるんだよね、空だったらまず空の色を全部塗っちゃう。銭湯のペンキ絵とか。いま気がついたけど、永井さん、銭湯のペンキ絵にカリフォルニアぶつけたのかもね。その方がかっこいいなあ。
伊野:永井さん、セツに通ってた頃は宇野亞喜良さんみたいな絵を描いてたって言ってましたよ(笑)。この間、作品集の発売記念で永井さんと都築響一さんのトークイベントがTSUTAYAであって、タイトルが「サル真似イラストレーター天国」っていうんで、こりゃ面白そうだなと思って聞きに行って。都築さんが以前「サルマネクリエイター天国」*11って連載をしていたのを覚えてたTSUTAYAのスタッフが、企画してつけたタイトルらしいですけどね。永井さんのパクリと思しき80年代のイラストをスライドで映してて、その中に鈴木英人さんの絵が出てきてたんですが(笑)。もっとも、セレクトしたのは永井さんじゃなくてスタッフの人ですけど。
編集:あれはパクリではないですよ。
伸坊:当時カリフォルニアっぽいのが流行ってて、そういう写真をベースにペンで輪郭線をなぞって、カラートーンを貼っていく。あれはパントーンとカリフォルニアっていうバキバキ流行ってる同士を合体した鈴木さんの発明ですね。
写真のアウトラインをトレースするっていうので面白かった人が他にもいて、いま名前が思い出せない。その人は2回コピーにかけるんです。ちょっとズレた線が二重になってて、それが面白い効果になる。洒落た感じ出してたんだけど、2年ぐらいでいなくなったかな。
伊野:早いですね(笑)。
伸坊:オレも初めてコピー機を入手した時、1回コピーして薄いからもう1回コピーした時「おお」ってなって。半調(ハーフトーン)のところのテクスチャーのニュアンスが手では描けない感じだったんです。ドットのところが二重になるんで、不思議な版画みたいなニュアンスが出る。
編集:パソコンの普及以前、コピー機はまさに文明の利器だったんじゃないですか。
伸坊:そりゃあもう、作業の仕方が全然変わりますね。
編集:宇野亞喜良さんや灘本唯人さんは、適当な紙にバラバラに描いておいた絵を適度な大きさに拡大縮小コピーして組み合わせて、それを着彩して原稿にしている。コピー機をうまく使っていたんですね。
伸坊:僕が前にリースしてたコピー機は、写真をアミ点*12に出来たんですよ。一時はそれを自分の絵によく使ってて、去年の「風刺画ってなに?」展の時にその時の絵流用したら伊野君に「どうやったんですか」って聞かれた。
伊野:あ、そうそう。一つの作品だけアミ点になってたから。今はパソコンで簡単にアミ点を作れますけど、伸坊さんがパソコンで作ってるわけないなと思って(笑)。

南伸坊画 「三方原の舛添要一」
アミ点効果を活かした作品。三方原の戦いで武田軍に敗れた時の家康を描いたとされる「徳川家康三方ヶ原戦役画像」のパロディ。
伸坊:あ、そうなんだ。昔はアミ点を拡大して荒らしてって表現をよく使っていたよね。
伊野:アミ点を荒らすなんて憧れでしたよ。自分の絵が印刷物にならないとアミ点にならないから。プロの遊びだなって思いました。
(後編につづく)
*11 サルマネクリエイター天国 編集者の都築響一氏による商業アートや広告デザインにおけるパクリを告発・批判した雑誌連載。『ur』(ペヨトル工房)の記事がきっかけとなり、1992年から『BRUTUS』(マガジンハウス)で連載開始、クライアントの圧力により数回で終了するが、その後『マルコポーロ』(文藝春秋)、『プリンツ21』(プリンツ21)と媒体を移しながら2002年まで続いた。
*12 アミ点(網点) 印刷で色の濃淡を表現するために用いられるドット(点)の集合のこと。ドットの大小で濃淡を調整し、小さければ薄く、大きければ濃くなり、最後はドット同士がくっついてベタ面になる。ドットの間隔と密度は印刷の細密度(スクリーン線数)に対応し、商業印刷では通常1インチあたり130〜175個。カラー印刷では、色をC(クロマ/青)M(マゼンタ/赤)Y(イエロー)K(黒)に分解し、各色のドットの重なりで色調や濃度を調整する。
取材・構成:本吉康成
<プロフィール>
伊野孝行 Takayuki Ino1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/
南伸坊 Shinbo Minami1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。
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