【和田誠×和田唱 親子対談】絵を描くこととレコーディングは似ている?(後編)


イラストレーションNo.210(2016年6月号)に掲載した和田誠さんと和田唱さんによる初の親子対談。WEBではその完全版を前後編に分けてお届けする。
日本を代表するイラストレーターの父・誠さんと、ロックバンドTRICERATOPS(トライセラトップス)のヴォーカリスト/ギタリストの唱さん。後編では、それぞれ持ち寄ったお気に入りのレコードジャケットを中心にした話となった。

前編はこちら

取材・構成:濱田高志、吉田宏子(撮影も)
取材協力:鈴木啓之

【和田誠×和田唱 親子対談】絵を描くこととレコーディングは似ている?(後編)
 

親子でマイルスの同じレコードを選んだ

 
——今日はお好きなジャケットを持参して頂きました。

唱:レコード・ジャケット、やっぱりいいですよね。枚数を絞るのが難しかったです。とりあえず今日の気分で持ってきました。

誠:ぼくがやっぱりジャズはいいなって思ったのは、さっきも話に出た『Walkin’』だった〈図C〉。

唱:そうなの!? 同じじゃん。

誠:マイルスのレコードは、いいジャケットがいろいろあるからね。

唱:『Round About Midnight』(56年)とか。ジャケットはマイルスがトランペット持ってる赤い写真だったね。こっちはチェット・ベイカーとアート・ペッパーのオリジナル盤『Playboys』(56年)〈図D〉。

誠:「プレイボーイ」の表紙風にしてる。あとは『Thelonious Monk Plays Duke Ellington』(55年)。セロニアス・モンクの曲をデューク・エリントンが弾いてるんだよ。ジャケットの絵がアンリ・ルソー〈図E〉。

唱:これはありものの絵?

誠:そう。

唱:結構残酷な絵なんだね。ライオンがヒョウみたいなの食べてるじゃん。これ有名な絵なの?

誠:どうだろう。有名な絵かどうかは分かんないけど、ひと目でアンリ・ルソーって分かる。モンクといえば、『Solo Monk』(64年)が有名だね〈図F〉。ジャケットはポール・デイヴィスって人の絵が使われてる。ビル・エヴァンスの『New Jazz Conceptions』(57年)はロバート・アンドリュー・パーカー。好きなの5枚選ぼうと思っても5枚以上になっちゃう。ベン・シャーンだけでも何枚もあって。

 

唱:ベン・シャーンって、昔うちのリビングに飾ってあった絵の人でしょ。あれは長い間家に飾ってあったよね。ベン・シャーンから相当影響受けた?

誠:相当受けた。

唱:だよね。ははは。

誠:かなり初期、多摩美の1年生のときにね、本屋さんでやった小さな展覧会を観に行ったの。そこでひとつだけ強烈に感動した絵というかポスターがあったから調べたら、ベン・シャーンって人が描いたってことが分かった。それから外国の本を売っている本屋さんで画集探しては買って、それでLPジャケットもベン・シャーンが描いたものを夢中で集めたんだ。

唱:ベン・シャーンって、いつぐらいの時代の人なの? 

誠:戦中戦後くらい。実際に会ったことがあるんだけど。

唱:そうなんだ! ちゃんと思いの丈は伝えた?

誠:うん。

唱:いつ頃の話?

誠:60年代のはじめかな。日本にベン・シャーンが来たというニュースがあって。京都のわりと有名な日本旅館に泊まってることをデザイナーの粟津潔さんが知って、俺のところに電話かけてきたの。粟津さんもベン・シャーンが好きだったから、一緒に会いに行こうって。
それで、自分たちの作品も見てもらおうと持って行ったんだよ。粟津さんは自分が作ったポスターをいっぱい抱えて、俺はライト(パブリシティ)に勤めていた頃の作品をまとめて持ってった。粟津さんが作品を見せるたび、「これはもらっていいか?」ってベン・シャーンが聞くの。それって認められたってことだよね。粟津さんが見せるたびに「もらっていいか?」って聞くんだよ。

唱:いい人じゃん。

誠:そう。で、俺のを出すじゃない。ひとつも欲しいって言ってくれない。次のを出しても、なんにも言ってくれない。結局、欲しいって言ってくれなかった。

唱:最後まで?

誠:そう。なんとなくしょぼんとしてたら、「こういうことを言っては申し訳ないけど、一言いいか?」って言ってから「きみはいろんなスタイルで絵を描きすぎる」って言うんだよ。それまでいろんな仕事をやってたので、それをまとめて持って行ったからね。
「我々アーティストにとって一番大事なのは個性だ。いろんなスタイルを持っていることを、個性があるとは言い難い。もっと個性を追求しなさい」って、通訳を通して言われたの。最後に「厳しいことを言って申し訳ない」みたいな一言があって、帰り際に旅館の玄関まで送ってくれてさ。靴を履いてたら「グッドラック!」って言ってくれたんだよ。そのとき「グッドラック」ってなかなかいい言葉だなと思った。

唱:以来、教えを守ってるの?

誠:あんまり守ってないね(笑)。いろんなスタイルで描いてるから。

和田誠さんお気に入りのベン・シャーンのジャケット

 

振り幅の大きいビートルズ

 
——他に唱さんが選ばれたものは?

唱:まずはさっきも話題になった『Walkin’』です。ジャズを好きになるきっかけという意味でもすごく重要ですし、ジャケット自体がかっこいいから。ジャケットがよくて中身もいいと、さらに好きになりますよね。いいジャケットは中身もいいって言いますけど、必ずしもそうでもないので。

誠:じゃ次はぼくが選んだこれ、ジョニー・グリフィンの『The Congregation』(58年)。不思議な絵だけど、きれいで達者〈図H〉。

唱:アンディ・ウォーホルも面白いよね。これはポップアートで有名になる前の初期の作品でしょ。彼は結構ジャズのレコードも手がけてるから。

誠:バナナがバーンと大きくあるジャケット、あれは何だっけ?

唱:ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコのアルバム(67年)。あれはポップアートの時代だよね。
 あとソニー・ロリンズの『Saxophone Colossus』(56年)。ブルーと黒っていうのがクールですよね〈図I〉。

——好きなレーベルはありますか? 例えばブルーノートなどは特徴的なデザインですけれど。

唱:ブルーノートは洒落てますけど、ワンパターンというか、似たようなものが多いですよね。二色展開で、モノクロの人物でそのまわりに少し色が入ってる。

誠:ブルーノートだったら、クラリネット奏者のジョージ・ルイスのアルバムで、すごくいいのがある。この『George Lewis And His New Orleans Stompers Volume Two』(55年)がそれ〈図J〉。

唱:真っ赤な地にタイポグラフィ、面白いね。一見無機質だけど、クールでかっこいい。あとジャズを離れて、これはやっぱり入れなきゃなあと思って持って来たのがビートルズの『The Beatles』(68年)、通称“ホワイト・アルバム”〈図K〉。『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』(67年)の次ってところがまたすごいですよね。ビートルズはこの先どこまでいっちゃうんだろう?って思わせといてこれですから。本当すごいよ。ビートルズって文字が浮き彫りになっているだけで、見た目は完全に真っ白。

誠:当時俺もいいと思った。

唱:『Sgt. Pepper’s〜』で見せたサイケデリックの極みみたいなやつの次がこれで、この思いっきりのよさがすごい。

誠:文字の入れ方も好きだったな。

唱:誰もやってないことをやっちゃうっていうのがやっぱりかっこいいよね。

誠:『Yellow Submarine』(69年)のジャケットもいいけどね。

唱:あれは映画もいいし。で、次にぼくが選んだのはローリング・ストーンズの『Sticky Fingers』(71年)。これはジッパーを下げられて、なかのパンツが見える仕掛け。ぼくが持ってるものは錆びちゃって動かないけど。この盤もぼくより年上ですから。洒落てるし、ストーンズのバンド・イメージにもぴったり〈図L〉。

誠:これはうちで木の額に入れて飾ってあったよなあ。

唱:俺が架けてた。

誠:さっきの“バナナ”も飾ってたよね。

 

 
——子どもの頃から、ジャケットをアートとして飾っていたんですか。

唱:目の前にやってた人がいるから(笑)。

誠:やってたね。廊下にズラーッと。

唱:ぼくが譲り受けて持ってますからね。今、売ってないですから。ウォールナットみたいな木枠で、上からLPがストンと入る。レコードを飾る専用のものでしょ。ぼくはそれを全部譲り受けて、部屋では常にジャケットを飾ってた。気分によってロックだったり、ジャズだったり、R&B、ソウルな感じだったりって具合に。
 で、もうひとつ好きなのが、セックス・ピストルズの『Never Mind the Bollocks』(77年)。パンク時代を象徴するジャケットで、CDじゃこの味は出ない。レモン色とショッキングピンクっていう色が目を引くんです。ぼくは今回ジャケットも中身も好きっていうのを選びました〈図M〉。

——普段、ご自身のジャケットには、どの程度関わられていますか。

唱:ジャケットって自分にはとっても大事だから、とても干渉するんです。まず最初に「なんとなく宇宙的な感じ」とか、「ジャングルな感じ」とか大まかなイメージを伝えます。それで一度ラフを上げてもらって、より明確なイメージを掴んだところで、さらにいろいろ言っちゃう。しつこいと思います。嫌われるギリギリのところでしょうね(笑)。

【和田誠×和田唱 親子対談】絵を描くこととレコーディングは似ている?(後編)
 

子どもから見た父のジャケットデザイン

 
——では、次は和田さんがデザインしたジャケットのなかから、唱さんに選んでいただきましょう。

唱:初期の頃はさ、ベン・シャーンからの影響もさることながら、ディズニー作品に出てくるようなキャラクターを描いてるでしょう。あれ、何の影響なの?

誠:ディズニーのアニメーションに、ジャズの歴史みたいなのがテーマのものがあるんだ。

唱:それ『シリー・シンフォニー』(29〜39年)のなかの一編でしょ。やっぱそうだ、そうだと思ったんだ。初期の作品は仕事じゃなくて勝手に架空のアルバムジャケットを作ってるところがいいね。いつ頃描いたの。10代?

誠:多摩美時代。

唱:文字も全部手描きなわけでしょ、すごいよね。マイルス〈図N〉もいいけどMJQ(Modern Jazz Quartet)の〈図O〉もいいね。これ本当に使われればいいのにと思うよ。『Good Old Ragtime Days』〈図P〉とか。こういうキャラクターは、当時雑誌とかに載ってた絵柄を参考にしてるの?

誠:自分で勝手に作ってるね。ラグタイム・ピアノを弾いてる人はこんな感じかなってところから考えて。

唱:これも『シリー・シンフォニー』っぽい気がする。要するにこの頃は、ディズニーとベン・シャーンの時代なんじゃないのかな。あと、デューク・エイセス結成25周年記念のレコード『コーラスの仲間たち―ビバ!!コーラス―』(80年)。このロゴ、コンサート会場で配られたステッカーにも使われてたよね〈図Q〉。実家の自分の部屋にそのステッカーがずっと貼ってあって、いつだか剥がそうとしたら、うまく剥がれなくて、今も汚いままくっついてるから、とても思い出深い。これはカエル?

誠:デューク・エイセスが「筑波山麓合唱団」という“かえるの歌”を歌ってるからカエルを描いたんだよ。

唱:あと『三木鶏郎ソングブック』(71年)。デュークと由紀さおりさんも歌ってるんだ。このジャケットに写ってる鶏の実物の立体、うちにあったよね(*12)〈図R〉。

*12 和田さんプロデュースによる作曲家・三木鶏郎さんのソング・ブック。和田さんが幼少時にラジオで聴き馴染んだ曲を選び、八木正生さんのアレンジで再録音したもの。生前、三木さん自身がお気に入りのアルバムに挙げていた。

誠:今はもうないけどね。これ実は酒の瓶。それに紙粘土をくっつけて作ったんだ。

唱:なるほどね、このジャケットのためのものだったんだ。
 あと黒柳さんのアルバム『チャック・オン・ステージ』(77年)とか意外〈図S〉。それとロゴと写真を使った木の実ナナさんのアルバム『愛人』(76年)、これかっこいいよ〈図T〉。それから親子の間接的なコラボってことで、藤井フミヤさんの『F’s シネマ』(2009年)。ぼくはこのアルバムに「ネオン」って楽曲を提供してるんです〈図U〉。

 

 

和田さんが自分で選ぶ自作のジャケット

 
——次は和田さんの自薦を紹介して下さい。

誠:『ちいさな地球-和田誠・歌の絵本』(77年)。唱が3歳になったときに、母ちゃんと相談して作ったんだよね。おとうが作詞・作曲しておかあに歌ってくれって言って。そしたら「千夏っちゃんも誘わなきゃ」ってことになって、中山千夏ちゃんも参加してくれた〈図V〉。

唱:俺に聴かせるためにつくったの?

誠:そう。単なる親ばかだな。

唱:曲はこのために作ったの? それとも元々あったの?

誠:このためにいくつか作ったのと、前からあったのと。

唱:作詞は違う人っていうのが何曲かあるね。このために書いてもらったってこと?

誠:もともと誰かが書いてた詞に曲を付けたんだ。全部童謡みたいなもの。アレンジは八木正生さんと佐藤允彦さん。

唱:『ファーブル昆虫記』(78年)、これは?〈図W〉

誠:いずみたくさんが主宰していた劇団の人たちが舞台劇にしたんだよ。年少者向けっていうことで、みんな昆虫の格好で出てたんじゃないかな。

唱:初演じゃないと思うけど、これ観に行った気がする。

誠:そうかもしれない。あとこれ『和田誠寄席』(79年)、このときは落語をいくつか書いた〈図X〉。

唱:噺を?

誠:そう。噺家さんが話せる口調で。

唱:でもさ、それやるって言っても、なかなかやらせてくれる環境がなかったりするでしょ。

誠:料理研究家の山本益博さんが、料理だけじゃなく落語も好きな人だったんだよ。それを知ってたから、彼に見せたんだ。そしたら、「寄席でやりましょう!」って言って。あれは、紀伊国屋ホールだったかな。全部話をつけてくれて、噺家も彼が一緒に選んでくれた。交渉したら全員OKだった。

唱:じゃ、これ落語が入ってるんだ?

誠:ライヴ・レコーディング。次はイヴっていう三姉妹のコーラス・グループのアルバム『EVE,LIVE』(83年)。これもぼくがプロデュースをやった〈図Y〉。イヴってのは沖縄出身の人たちで、わりあい活躍してたんだよね。それを八木さんが聴いて気にいって、この人たちのためにアレンジしてた。で、ホールを借りてレコーディングしたのがこのライヴ盤。

 

 

ステージの構成やレコードプロデュースまで

 
唱:イラストレーターなのにどうして構成とかプロデュースの話が来るようになったの? 

誠:なんでかな?

唱:俺には来ないよ、構成の話なんて(笑)。

誠:デューク・エイセスのコンサートが最初かな。

唱:坂本九さんのもやった?

誠:九ちゃんのもやったね。

——和田さんは晩年の楽曲で作詞を手がけていますね。

誠:「21世紀の歌」でしょ。九ちゃんの曲が先にあって、それに詞を付けた。九ちゃんとは、わりと親しかったからね。ぼくが『麻雀放浪記』(84年)の監督をやるって決まったあと、シナリオ書いたりして準備してたの。ある日、誰かが訪ねて来たのでドアを開けたら、九ちゃんが立ってて、「僕に何かお手伝いできることがあったらなんでもします」なんて言ってくれてね。和田が映画監督を引き受けたことを何かのニュースで知ったみたいなんだ。九ちゃん、なかなかいいやつなんだよね。

——唱さんは、和田さんが監督された映画はご覧になってますか。

唱:全部映画館で観てます。好きなのはジャズのやつね。

誠:『真夜中まで』(99年)。

唱:すごく面白かった。

誠:真田(広之)くんがよくやってくれたしね。

唱:『麻雀放浪記』は、当時まだ子どもだったから難しくて、理解出来なかったけど。

——和田さんは、唱さんの音楽についてはいかがですか。

唱:知らないでしょ、そんなの。

誠:いや、ライヴ観に行ってるから知ってるさ。メンバー3人がうまく機能してるよね。

——さっき親子コラボの話が出ましたけど、今後、その可能性もありますよね。

唱:望んでる人は多いかもしれないよね。

誠:やれって言われれば、やるんだけどさ。唱たちはアルバムのジャケットって自分たちで決めてるんだよね。

唱:ちゃんとデザイナーの人がいるよ、方向性は示すけど。

誠:映画館の看板のジャケットがあるでしょ。

唱:『A Film About The Blues』(99年)。本当はもうちょっとうまくやりたかったんだけど〈図Z〉。

誠:きれいないいジャケットだよ。

唱:本当に? よかった。

図Z『A Film About The Blues』

図Z『A Film About The Blues』

 
——将来的にコラボはあり得そうですね。

唱:そう、家族で。うちは絵を描く人と、ご飯作る人と音楽やる人がいて、弟はいろんなプランニングをするので、みんなバラバラなんだけど、エンターテインメントの世界に関わっているので、4人で何か出来そうだなとは思いますね。そんなこと出来る家族って、なかなかいないですもんね。

誠:弟が結婚するときに曲作っただろ?

——YouTubeで観られる「君の音 〜Song for Aska〜」ですね。

唱:あれはある意味、家族のコラボだ。

誠:弟が「僕が歌詞書くから作曲してよ」ってお兄ちゃんに頼みに行って、二人で作って結婚式当日にあの映像をご披露してる。

唱:おとうはロゴ描いた。

誠:二人のイニシャル。結婚記念に二人のロゴみたいなのを作ってプレゼントしたんだよ。

【和田誠×和田唱 親子対談】絵を描くこととレコーディングは似ている?(後編)

——和田さんのおそらくライフワークのひとつでもある『いつか聴いた歌』のシリーズは、単行本からコンサート、トークイベント、ラジオ番組、そして和田さん選曲によるCD監修といった具合に、幅広く展開しています。実際、『いつか聴いた歌』は多くのミュージシャンにも影響を与えていますが、先々、唱さんがそれを継ぐというお考えは?

唱:ぼくもそれについては思うところがあるんです。スタンダードソングを語れる人がどんどんいなくなっていますし。ポピュラー音楽の歴史って、なんとなくロック以降になっちゃってるでしょう。その歴史はネットで検索すれば出てきますし、本もたくさんある。でもそれ以前の音楽を紹介したものって、日本にはあまりないんですよ。
例えば、父に教えてもらったヴァースのこととか。台詞から歌に入るための繋ぎの意味があって、つまりミュージカルナンバーだということ。最初は語るように歌って、しばらくしてようやく本題に入る。小田和正さんらの世代の人と話をすると、すごく理解してくれるけど、その下の世代はわからないかもしれない。

——以前、ピアニストの島健さんが、何かのパーティで唱さんがスタンダードソングを歌われたのを聴いて、「すごくよかった。唱くんは、ああいう曲をもっと歌えばいいんだよ」と力説していました。歌謡曲やJ-POPのカヴァー・アルバムはたくさんありますけど、スタンダードをカヴァーしたアルバムって少ない。ぜひ唱さんにやってもらいたいです。

唱:ロック以前の音楽を伝えていくことは意義があるかもしれないですね。ぼくがジャズを聴くようになって以降は、知ってる曲が結構あって。「ああ、あの映画の曲ね」って感じで。

誠:「My Funny Valentine」だって、元はミュージカルの劇中歌だし。

唱:昔はそれだけミュージカルが娯楽のメインストリームだったってことかな?

誠:ブロードウェイというニューヨークの中心部で公演してるんだから。最初は舞台で歌われていた曲を、別のシンガーが自分も歌いたいって歌い始めて、どんどん広がっていったんだよ。

CD「いつか聴いた歌 スタンダード・ラヴ・ソングス」
CD「いつか聴いた歌 スタンダード・ラヴ・ソングス」
CD「いつか聴いた歌 ソング・アンド・ダンス」
CD「いつか聴いた歌 ソング・アンド・ダンス」
書籍「いつか聴いた歌 増補改訂版」愛育社
書籍「いつか聴いた歌 増補改訂版」愛育社
書籍「Record Covers in Wadaland」アルテスパブリッシング
書籍「Record Covers in Wadaland」アルテスパブリッシング

 

イメージを現実にするのは絵も音楽も同じ

 
【和田誠×和田唱 親子対談】絵を描くこととレコーディングは似ている?(後編)

——では、最後に。唱さんは和田さんのお仕事をご覧になってどうですか? 今日初めて目にしたものもあるかもしれないですけど。

唱:父は今まで絵を描くのをめんどくさいとか描きたくないとか思ったことがないって言うんですよ。それがすごいなと思って。やっぱり、ぼくも歌いたくない日なんてない、そうなりたいですね。なかなかそうはいかないですから。
 父が事務所で絵を描く作業とぼくがスタジオでレコーディングする作業って、どこか似てると思うんです。父の場合は、自分がイメージする頭のなかの形やデザインに近づけていくわけでしょ? それはレコーディングも同じ。ぼくは頭のなかのイメージに近づけていく作業がすごく好きなんです。やり直しも苦にならない。

誠:似た作業かも知れないね。

唱:だからかなり影響というか、遺伝子を受け継いでると思います。集中力やこだわるところとか。

——お母さんの影響はどうですか。

唱:ステージでみんなをリードしてしゃべったりしてると、周りはどうしても母親の影響を感じちゃうみたいです。もちろんそうなんでしょうけど、趣味趣向や仕事面での本質的な部分は、やっぱり父からの遺伝だと思いますね。

(2016年1月25日:和田誠事務所にて)

【和田誠×和田唱 親子対談】絵を描くこととレコーディングは似ている?(後編)

 

プロフィール

わだまこと
1936年大阪生まれ。グラフィックデザイナー、イラストレーター。59年多摩美術大学卒業、ライトパブリシティに入社、68年よりフリー。65年雑誌「話の特集」にADとして参加。77年「週刊文春」の表紙(絵とデザイン)を担当し現在に至る。74年講談社出版文化賞ブックデザイン賞、97年毎日デザイン賞受賞。著書は2015年に200冊を超えた。映画監督として「麻雀放浪記」「快盗ルビィ」「真夜中まで」などを手がける。

わだしょう
1975年東京生まれ。TRICERATOPSのボーカル、ギター、作詞作曲も担当。ポジティブなリリックとリフを基調とした楽曲、良質なメロディセンスとライブで培った圧倒的な演奏力が、国内屈指の3ピースロックバンドとして評価されている。またソングライターとしての評価も高く、SMAP、藤井フミヤ、松たか子、Kis-My-Ft2、SCANDALなどへの作品提供も多数行っている。2016年5月から全国9カ所をまわるツアー中。
http://triceratops.net/

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