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第6回前編 思い通りに描く技術と歪みやはみ出しを生かす発想|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

─────イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第6回前編 思い通りに描く技術と歪みやはみ出しを生かす発想


「イラストレーション」とは一体どんな「絵」なのか。
有名なあの描き手はどんな人なのか、なぜあの絵を描いたのか、
この表現はどうやって生まれて来たのか……。

イラストレーター界きっての論客(?)伊野孝行さんと南伸坊さんが
イラストレーションの現在過去未来と、そこに隣接するアートやデザイン、
コミックなどについてユル〜く、熱く語り合う、連続対談。

見たものを頭に焼き付けて思い通りに描ける技術を持った描き手もすごいが、
思い通りに手が動かなくて形が歪んだり色がはみ出しても
それを活かして面白い絵にしていく発想の持ち主もまた素晴らしい。
 

 

■今まで描いてきたものを捨ててでも流行に乗れ!?

編集:前回まで写実表現の話題でしたが、リアルイラストレーションのブームが終わってしばらくは、写実で描くこと自体が時代遅れのように言われていましたよね。

南伸坊(以下、伸坊):それはニューペインティングの影響? ニューペインティングってのは、ホックニーとかかな。

伊野孝行(以下、伊野):イタリアのニューペインティング三人衆とかいますよね。エンツォ・クッキ*1、サンドロ・キア*2、フランチェスコ・クレメンテ*3。みんな頭文字が Cで始まるから3Cとか呼ばれてて。

伸坊:えーっ、3人とも知らない(笑)。ニューペインティングって、ホックニーが始めたの? それとも流行りだした頃の作家の中にホックニーがいたってこと?

伊野:いや……どうなんでしょう? 始めたのは誰なんだろう。表現主義的なものが再び盛り上がったってことですかね。セツに行ってた時は学校中みんなニューペインティングみたいな絵を描いてたから、イタリアの3人の名前は覚えちゃって。まー、そこ覚えてるだけで特に詳しいわけではないっス(笑)。バスキア*4もニューペインティングの中にいたんだけど、ちょっと異質な感じですよね。

伸坊:バスキアって「天然」だよね。ウォーホルとかもバスキアみたいに描けないからさ、いいなあって思ったんじゃないかな。骨の絵とか描いてて、それがすごくかわいいんだ、形が。線が面白いんだよね。

伊野:僕がイラストレーションに興味を持って見始めたのは「ヘタうま」の時代でしたが、その前にスーパーリアルが流行って、それへの反動みたいなのもあったんでしょうか。

編集:ニューペインティングが台頭した時期はスーパーリアルのブームと重なるし、ヘタうまが流行り出した時期も少し被るので、それらがリアルの反動で出て来たとは言えませんが、流行に乗った人たちにはそういう意識があったかもしれません。

伸坊:アートにも流行あるけど、イラストレーションとかデザインの場合は流行がもっと露骨だよね。今まで描いてきたもの、パッと捨ててでも流行に乗らなきゃいけない。器用な人はまたそれが出来るんだ。


*1 エンツォ・クッキ(1950-) イタリアの画家。人物などをデフォルメして強い色彩とコントラスで描いた作品は、力強く攻撃的な印象を与える。1980年代にアメリカやイタリア、西ドイツ(当時)などで同時多発的に台頭した「ニューペインティング」(新表現主義)ムーブメントの中で注目を集めた。

*2 サンドロ・キア(1946-) イタリア・フィレンツェ出身で、ニューペインティングの一つに位置付けられるイタリア・トランスアバンギャルディアの中心的メンバー。1980年代以降はアメリカを拠点に活動。ルネッサンス以降のイタリアの現代絵画や近代絵画の技法を捉え直し、独自の具象画を手がける。

*3 フランチェスコ・クレメンテ(1952-) イタリア出身で、NYとインドを拠点に活動。前出のクッキやキアとともにニューペインティングの代表的作家で、3人の頭文字(Cucchi、Chia、Clemente)を取って「イタリアの3C」と呼ばれる。力強いペイント作品の他に、水彩画やドローイング作品も多数制作。

*4 ジャン=ミッシェル・バスキア(1960-88) 1970年代後半にグラフィティ(壁などに描く落書き)アーティストとして活動を始め、サブカルチャーシーンで注目を集める。やがてグラフィティをモチーフにした作品でアートシーンでも成功を収め、アンディ・ウォーホルと共作を行なったりしたが、薬物の過剰摂取のため27歳の若さで死去。
 

■才能ある画家は子どもの時から絵が上手だったのか

伊野:話変わりますけど、2年くらい前にパルコで「大々贋作展」って子どもが模写した絵の展示があって、あれうまいですよね。

伸坊:「アーブル美術館*5」ってやつだよね? あれ、すごく面白いと思ってるんだ。あの面白さは新しい。子どもの絵が面白いってだけじゃない面白さがある。あの子の色彩感覚がものすごく鋭いっていうか、「贋作」だから再現する色彩が正確なんだ。そこがすごく面白い。形は子どもらしいまんま、色がすごく原作の感じ出まくりで。あの子たち、大きくなるとどうなるのかな。やっぱ、だんだんフツーになんのかな。

アーブル美術館「笛を吹く少年」(左)「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」(右) 2点ともエデゥアール・マネの贋作。
(下)「POPアート大贋作展」(2014)会場風景 静岡県内のモデルハウスと東京のギャラリーで開催されたポップアート作品を題材にした展覧会。
©Musee du Aouvre

 
伊野:分かります。子どもの絵がいいのって、一時期だけですもんね。パルコの展示のもっと前にも、子どもで有名になった人いませんでしたっけ。

編集:MONDO*6君?

伊野:いやもっと前、20年くらい前。

編集:JUNICHI*7君?

伊野:そうJUNICHI君! これも僕がセツに通ってた頃だったと思うけど、JUNICHI君はマガジンハウスの雑誌やなんかで、結構仕事もバンバンしてて。くやしいと思いつつ、みんなで「この子の絵いいね」って言ってた。今どうなってるか知りたい。フツウになってるんだろうか。

編集:公式サイトを見ると、現在は兵庫を拠点に活動されているようです。

伸坊:クロード・岡本*8っていう天才少年もいたなあ。オレと同い年ぐらい。いつの間にかいなくなった。

伊野:それも子どもらしい絵だったんですか。

伸坊:そう、子どもらしい絵。ユーモラスな線だったね。

編集:子どもの時の絵というと、よくピカソの9歳の時のデッサンがものすごくうまかったというのが話題に出ますね。あと、横尾さんが5歳の時に描いた模写もうまかった。

伊野:ゴッホが9歳頃の時に描いた犬の絵もものすごくうまいんですよ。

伸坊:えっ? オレそれ知らない。ゴッホでうまいなと思ったのは、画家について油絵習って、初めて描いたって静物画。帽子があってパイプがある絵。あの頃の絵があと2、3枚あるんだけど、全然ゴッホっぽくない。普通にうまいの。タッチがのびのびしてて。

伊野:もたついてないですよね。普通なかなかそうはいかない。

フィンセント・ファン・ゴッホ「麦わら帽子のある静物画」(1885) Wikimedia commonsより

フィンセント・ファン・ゴッホ「Dog」(1862) 9歳の頃のデッサン。 www.vincent-van-gogh.gallery.org より

 
編集:検索で出て来ましたけど、犬の絵はこれですよね。

伊野:そう、これを自分で見て描いてるとしたら、かなりの目と腕の持ち主ですよね。

伸坊:確かにうまいね。でも、これは模写でしょうね(キッパリ)。自分家の犬を描いたわけじゃないと思う。

伊野:なんだぁー、模写かぁー(笑)。

伸坊:だけど、うまいよ。子どもの絵じゃない。
 

*5 アーブル美術館 小学生の兄妹と母親の3人のアートユニット。2012年活動開始。2015年にパルコミュージアムで、古今東西の名画を子どもたちが描いたユニークな展覧会「大々贋作展」を開催した。https://ameblo.jp/museeduaouvre7836/

*6 モンドくん(2003-) 本名・奥村門土。幼少時より絵の才能を発揮し、小学生の時から似顔絵の活動を始める。2014年に画集『モンドくん』(PARCO出版)を刊行。雑誌『ヨレヨレ』表紙&挿絵、詩人・谷川俊太郎氏とのコラボレーション、書籍の装画や雑誌挿絵などメディアの活動のほか、国内外での展覧会など精力的に活動を行う。http://mondo-art.blog.jp/

*7 JUNICHI(1989-) 本名・小野純一。ドローイングアーティスト、兵庫県在住。1998年、8歳の時に大阪で初個展を開催。10歳で画集『JUNICHI』(マガジンハウス)を刊行、パルコで個展を開催。国内外で展覧会を多数開催。広告や企業のキャンペーン、スポーツイベント等へのビジュアル提供、書籍・雑誌、CDジャケット等の仕事のほかチャリティ活動にも注力する。https://www.junichiworks.com//

*8 クロード・岡本 パリ生まれ。8歳で来日し、昭和20〜30年代に天才少年画家として一世を風靡。1954年『クロード岡本少年のえ』(王様芸術部)、59年『クロード・岡本』(みすず書房)刊行。63年に『こどものとも』8月号(福音館)として刊行された自作絵本『てじなしとこねこ』は、のちに英語版も刊行された。その後の活動の詳細は不明だが、挿絵などの制作のほか音楽活動も行った。
 

■写真記憶ってなんだ!?

伸坊:子どもの絵って言えば、「写真記憶*9」ってのがあって、子どもの頃はみんな持ってるらしい。映像の記憶がそのまま再現できるんだよ。でも手が追いつかないから、その記憶と同じようには描けない。この写真記憶を持ったまま大人になったら、資料なしですごくリアルに描ける。動かないし、いつでも取り出せる。目の前に写真があるのと同じ。

伊野:頭の中にあるイメージをそのまま引き出して描ける……。イメージをなぞるような感覚なんですかね。ラスコーとかアルタミラ洞窟の絵*10ってすごくうまいですよね。イメージを焼き付ける力は今の人間よりも強かったんでしょうね。でも言葉が高度に発達していくと、情報伝達にはそっちの方が便利。

伸坊:そう、言語で情報処理するようになると、写真記憶の能力がだんだんなくなっちゃうんだ。持ってた写真記憶、手放しちゃう。河鍋暁斎って子どもの時に国芳の弟子になって、絵が好きで四六時中描いていたっていうから、それを温存できたんじゃないかなって。子どもの時にピアノ習ってた人が絶対音感持つことがあるみたいに、絶対音感も実は子どもはもともと持ってるんじゃないかな。ピアノ習ったりしないと発揮する機会がないから、持ってるかどうかも分からないまま。写真記憶も実はもともとみんなあるんだけど、必要ないから捨てちゃうって方向に進化してきた。

伊野:写真記憶とは別に「犬はこう描く」みたいな描き方があるじゃないですか。ある仕草をするときのポーズとか、足の曲がり方はどうだとか、そういうのを覚えちゃうと、見ないでも描けるようになる。

暁斎は3日前に見た風景を思い出して描いたっていうから、やっぱり写真記憶がある。さらにプラスして人間や動物や植物の描き方も習得している。その二つを持ってると、もう何も見ないでサラサラ、サラサラ永遠に描ける。山口晃*11さんもそんな感じですよね。

伸坊:あー、そうだね。展覧会の時見たんだけど、子どもの頃描いた消防車の絵、全然子どもの絵じゃないもん。暁斎のデッサン力にフェリックス・レガメ*12って画家が驚嘆するんだけど、日本人の絵描きなら誰でもそうだったわけじゃないからね。

伊野孝行画 「河鍋暁斎物語(抄)」より抜粋。(『美術手帖』2015年7月号)
レガメが暁斎を訪ねた時はこんな様子でした(伊野)。


 
伊野:伸坊さんとこの話をする度に、自分に写真記憶が残ってるのかなって思うんですけど。今度ヒマな時にジーッと何かを見て、記憶だけで描けるか試してみよう思ってて、いまだにやったことないんですよね(笑)。

伸坊:伊野君はなんか、残ってる気がする。オレは全然ダメ(笑)。片山健*13さんがね、昔、仕事で大久保清って強姦魔の似顔絵を描かなきゃいけなかったんだけど、そんな資料ない。本屋に行ったら、こんな分厚い事件史の写真集に小さ〜い写真が載ってたんだけど、そのためだけに1冊買えないからさ、ジーッとそれ見て、そーっと家に帰って描いたって(笑)。

伊野:ハハハ。頭からこぼれないように、そーっと。途中で誰かに会って話しかけられたら、こぼれちゃう。昔は大変ですよね。

伸坊:そう、だいたい写真探したりするのが一番大変だったよね、昔は。今はネットでいくらでも手に入る。

編集:写真記憶があったとしても、そのイメージ通りに手が動かないもどかしさがあって、大半の人は描くのをやめてしまいますよね。

伊野:子どもの時に子どもらしい絵を描かずに、最初から大人の絵を修業していれば、手が思い通りに動くから描けると。

伸坊:そうか! ピカソの場合って、それだったんじゃないかな。お父さんが絵の先生だからね。で、お父さん、息子が自分よりうまくなっちゃったんで、絵描くのやめちゃうんだよ。

編集:イラストレーターの方に取材で話を聞いている時に、「例えばこうでしょ」って、資料も見ないでサラサラっと描ける人が多いんですね。

伸坊:いますね。でもそういう人、多い?

伊野:漫画家の人って、基本的に何も見ないで描けるんじゃないですかね。漫画は記号的な絵だから。

伸坊:いや、漫画家でもいろいろ。
 

*9 写真記憶 直観像記憶、映像記憶とも呼ばれ、見たものを写真や映像のようにそのまま記憶する能力のこと。幼少時は誰もがこの能力を持っているが、言葉を覚えて物事を言葉の概念で認識するようになるにしたがって衰えると言われる。

*10 洞窟の壁画 有史以前の古代人が洞窟や岩壁の壁面に描いた絵。スペインのアルタミラ洞窟やフランスのラスコー洞窟の壁画が有名。現存する洞窟壁画は数千年〜4万年ほど前の旧石器時代に描かれたもので、動物が主なモチーフだが、狩猟のための情報伝達やシャーマンによる祈祷など、目的には諸説ある。

*11 山口晃(1969-) 美術家。大和絵や浮世絵の画風で現代と過去が入り混じった作品を描き、時代が錯綜したユーモラスな世界観と細密な描写で国内外で高い評価を得る。展覧会での作品発表のほか、書籍の装画や挿絵の仕事、コママンガの執筆も手がける。2013年、評論『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で小林秀雄賞受賞。

*12 フェリックス・レガメ(1844-1907) フランスの挿絵画家。1876年、政府から極東の宗教調査を依頼された実業家エミール・ギメ(1836-1918)の訪日に記録画家として同行。日本の寺社仏閣や風俗文化、庶民の日常生活などを記録した。ギメと共に日本の文化を紹介する本の出版を手がけ、パリ日仏協会の設立にも尽力した。来日時に河鍋暁斎の自宅を訪問している。

*13 片山健(1940-) 武蔵野美術大学で商業美術を学んだ後、1966年絵本『マッチのとり』を自費出版、68年に福音館書店から『ゆうちゃんのみきさーしゃ』刊行。しばらく絵本から遠ざかるが、自身の子どもの誕生を機に再び絵本に取り組む。代表作は『タンゲくん』『コッコさん』シリーズ(いずれも福音館書店)。
 

■形の歪みや色のハミ出しを直すのか、活かすのか

伊野:漫画家で思い出しましたけど、水木しげる*14さんの漫画の背景とかの細かいリアルな点描が素晴らしい、まるで銅版画のようだ、ってフランスかどっかの人が言ってて、本当に分かってねーなと思ったんですけど、あれはアシスタントに描かせているのであって、点々で描いていけば誰でも描けるんですね。線はアシスタントでもある程度の技術がないと描けない。水木さんが自分一人で全部描いてる貸本時代の絵が僕は一番すごいと思いますね。本当に1コマ1コマ素晴らしいですよ。褒めるならこっちでしょって。

伸坊:そうだよねー。水木プロじゃ、あの点描は一番絵がうまく描けない人にやらせてたらしいね、根気があれば出来る。

伊野:うん。あとなぜかまた急に違うこと思い出したんですけど、自分の描いた絵を鏡に写してみると、ものすごく歪んでるのが分かりますよね。

編集:人間の目はもともと左右均等でなく、人によって水平が傾いていたり、利き目があって偏った見方をしているのを、脳内で補正しているらしいです。反転するとその補正とは逆になって、歪みや傾きが強調されるとか。

伸坊:ああ、そうかもしれない。

伊野:自分じゃ気付かない歪みに驚くと同時に、ふと自分以外の人が僕の絵を見ると、こんなに歪んで見えるのかなってちょっと心配になっちゃう。

伸坊:オレものすごく歪むよ。

南伸坊画 「自慢できない」


 

伊野:反転させた時の歪みってのは、ある程度形を整えてると余計に気になるんですけど、いい加減に描いてるとあまり気にならないですね。

伸坊:オレはもうあきらめてる(笑)。裏から見ても均整が取れた形に描けるようになると、なんか自分の絵じゃなくなる気がする。

伊野:そーなんですよね。パソコンだと簡単に反転できるから、うわーこんなに歪んでるんだーって思って、つい修正したくなるんですけど。こうやってきちんとしていくことって、絵にとっていいことなのかな? って思う。

編集:リアル系の方は、反転して歪みを確認する作業を必ずやりますね。

伊野:そこに面白みを見つけるか、修正しちゃうかですね。

伸坊:そこは決断だね、その人の。左右反転して形が崩れてても、「よし!」ってその人が思えば、もう気にすることない。

例えば、湯村輝彦さんのパントーン*15って、すごくいいじゃない、あのハミ出し具合が。あれは「いいや、ハミ出ても」って湯村さんが決断したんだよ。不器用が生んだテクニックだと思うな。

伊野:湯村さんのパントーンが線からハミ出すのは、このぐらいハミ出すと気持ちいいかなとか、けっこう狙ってやってると思ったんですけど、この前YouTubeに上がってた日比野克彦さんが湯村さんを訪ねるNHKの昔の番組を見てたら、全然そうじゃなかった。カッターでピーッピーッって切って、ベッベッて感じで貼りつけてて、自分に考える暇を全く与えない感じ。考えちゃうと逆にダメなのかも。伸坊さんがマーカーで色を少しハミ出すように塗る時は……。

伸坊:あれはね、わざとやってるの(笑)。

編集:パントーンのオーバーレイをそんなに正確に貼る人っているんですか。

伸坊:アメリカ人なんかはそのエキスパートがやるから、完全にぴっちり貼る。安西水丸さんがパントーン使い出したのは湯村さんより後だからさ、オレと同じように湯村さんのテクニック、パクったんだろって思ってたんだけど、水丸さんも案外無器っちょなのな(笑)。

伊野:もともとはぴっちり貼るものだったんでしょうけど、僕なんかは、湯村さんや水丸さんみたいに、パントーンはああやってハミ出して使うものだと思ってました(笑)。

安西水丸「ケーブルカー」(2006) 個展用に制作したシルクスクリーン作品。


 
伊野:水丸さんはどういう感じで貼ってたんですかね。

伸坊:いや〜見たことない。水丸さんはものすごく細かいことも出来るんだけど、透明なアセテートフィルムっての? あの上から貼るのと、デザインカッターじゃなくてふつうのカッターで切るんだ。ワザとやってたっていうより、「技法」みたいなのに興味なかったのかもしれない。

編集:原田治*16さんが水丸さんにパントーンを教えたけど、最初は間に空気が入って気泡だらけだったので、気泡だけは出来ないように教えたと聞いています。

伸坊:へぇーっ、おかしいねえ(笑)。パントーンのハミ出し方はどうだか分かんないけど、水丸さんはアートディレクターでデザイナーだからさ、感覚が。湯村さんのいいところは盗もう! とは思ってたと思うな。

湯村さんはやっぱり天才ですよ。まず和田誠さんが天才。で、横尾忠則さんの天才を見出したのが和田さんで、湯村さんの天才を見出したのも和田さんなんだよ。日本の「イラストレーション」の歴史を作り出したのは、和田さんだったんだなと思うなあ、つくづく。


*14 水木しげる(1922-2015) 紙芝居作家として活動を始め、1958年に貸本漫画家に転身、商業漫画デビューは64年『ガロ』誌。貸本時代の作品「墓場鬼太郎」(のちの「ゲゲゲの鬼太郎」のベースとなる)が『少年マガジン』に連載されて人気となり、鬼太郎は繰り返しアニメ化された。自身の戦争体験を書いたエッセイや妖怪研究に関する著作も多く、近年の妖怪本ブームへの貢献は大きい。

*15 パントーン パントーン社が発売していたパントーン・オーバーレイのこと。粘着式のフィルムで、カラートーンとも呼ばれた。ムラのないフラットな色面表現が可能で、イラストレーターやデザイナー、漫画家に愛用されたが、デジタル時代の到来とともに生産を終了。

*16 原田治(1946-2016) 多摩美術大学卒業とともに渡米。帰国後、1970年に創刊した『an an』でイラストレーターデビュー。75年オリジナルキャラクターグッズ「OSAMU GOODS」を発売、ミスタードーナツのノベルティにも起用され人気を博した。『ビックリハウス』で知り合った安西水丸、ペーター佐藤、アートディレクター新谷雅弘と79年「パレットくらぶ」を結成。イラスト教室も開講し、現在のパレットクラブスクールの母体となる。


取材・構成:本吉康成


<プロフィール>

伊野孝行 Takayuki Ino

1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレのアニメ「オトナの一休さん」の絵を担当。http://www.inocchi.net/


南伸坊 Shinbo Minami

1947年東京生まれ。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』(青林工藝舎)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』『狸の夫婦』(筑摩書房)など。
亜紀書房WEBマガジン「あき地」(http://www.akishobo.com/akichi/)にて「私のイラストレーション史」連載中。

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